第141話「どうしようもなく」


 桜花は隣で静かに泣いていた。

 桜花が充から過去の真実を告げられてどう思ったのかは翔には分からない。だが、同じく隣で聞いていた者として想像することは出来る。


 翔の本音を言えばしっかりと「親」をして欲しかった。桜花のため、桜花のことを思って、などではなく、自分達の子供だから、桜花は自分達の希望だから、と周りから見れば我儘に見えていたかもしれないが、親の元に置いて欲しかった。


 勿論、翔と一緒にいた方が楽しそうだから、と言ってくれたのは嬉しかった。翔はその事を最近まで記憶として残せていなかったのだが、幼少期にそれだけ思わせられたということは本当に仲が良かったのだろう。


 だが、本当にそれを基準に選択してよかったのだろうか。


 そう思わずにはいられなかった。


 それとは別の選択をした並行世界があったとして、今と同じように桜花が翔の家へと訪れて一緒に暮らすことになり、彼氏彼女の関係になる、と言い切ることは難しい。

 難しいが、きっと翔は思い出して桜花を探し出すことは胸を張って言い切れるような気がした。


 翔は桜花の背中を優しくさすってやりながら、充達に訊ねた。


「あの……これからどうする気ですか」


 過去のことは聞かない。

 今更、部外者である翔が喚いたところで何が変わる訳でもないし、それを桜花が望んでいるわけもないからだ。


 翔の問いに充は桜花を気遣ってか神妙な面持ちで返答した。


「私達にはもう修斗や梓さんがキミに言うように桜花へ私と佳奈が桜花の親だ、と言えない。そこにある親の責任というのを放棄したのは自覚している」

「高校生になるまで連絡の一つもしてあげられなかったものね……」

「……」


 翔は続く言葉を黙って待った。

 きっと言葉を選んでいるのだろう。桜花も、翔も、そして、充と佳奈自身も傷つかないような言葉を。


 そして、充はずっと心の内に秘めていたのであろう自分の信念にも似た思いを告白した。


「せめて、桜花の決めた道の応援はさせてもらいたい。それを言いたくてここまで来た」

「お父……さん」

「修斗から実の娘のように自慢されてきたから桜花が容姿端麗、頭脳明晰であることは知ってるよ」

「修斗さんに噛み付いていかれてましたものね」

「それは忘れてくれると助かる……。で、だ。私と、それから佳奈も桜花が決めたことを全部、応援したいと思っている」


 はっと、心を打たれたように顔を上げる桜花。その瞳は赤く腫れ上がってしまっているが、その中に垣間見得る桜花の意思が強く、太いものがあると感じた。


「私は……。幸せ者ですね」


 桜花はふふ、と心地良さそうに笑った。

 それは翔に今まで見せたことのある笑みとは持って異なるもので、言うなればずっと抱え込んでいた心の中にあった棘が、痛みなく、すっかり消え去ってしまったようなそんな顔をしていた。


「一つ、お願いしてもいいですか?」

「私達に出来ることならば何でも」

「お父さん、お母さんと……呼んでもいいですか……?」

「……ッ?!勿論!」

「嬉しいわ」


 充や佳奈は思ってもいなかったようで、驚いたように目を丸くさせたあと、少し食い気味に返答した。


 桜花はその様子に気圧され、慌てた様子で翔の背中に隠れた。


 容姿に似合わず、幼い行動に微笑みがこぼれそうになったが、何とか堪えた。


「ごめんな。つい……」

「興奮しすぎです」


 充が佳奈に窘められる。翔は何故かその光景が翔と桜花に重なって見えた。


「ところで……」


 落ち着いた充がふと思い出したかのように言葉を続けた。


 翔はこの時にすっかり油断してしまっていた。桜花の過去、というとても大事な佳境を超えて、安心してしまったのだろう。


「仲が良かった二人は……付き合っているのか?」


 どきり、と心臓が跳ねた。それはもう一瞬以上の時間で止まってしまったのではないか、と疑う程。


 どうやらここからが翔の戦いらしい。

 後ろでぎゅっと服が握り締められるのを感じる。


 翔は小さく深呼吸をすると、気合いを入れた。


「挨拶が遅れました。今、桜花とお付き合いさせていただいてます響谷翔と申します」


 声が上擦った。

 相手は桜花と初めて会った、血の繋がりしかない大人二人だ、と緊張を和らげるために軽視したとしても、先程の桜花と充の問答で親子、という様をありありと見せつけられてしまったためか、動揺し緊張が止まらない。


 数多くの小説を読んできた翔は当然、ご両親に挨拶、という展開も知っている。しかしながらただ知っているのと実際に体験するのとでは全くどうして勝手が違う。


 恐らくは三人称視点で見ているか、一人称視点で見ているか、の違いだろうとこんな時に限って冷静な翔の脳の一部がそう判断を下す。


 しかし、そう分かっていたとしても、割り切ってしまうことは難しい。

 相手の思考が気になって仕方がない。


 もしかしたら認められないのではないか、と気が気出ないのだ。

 唯一の心の拠り所の桜花は背中に隠れてしまっているので目視することもままならず、現在、翔の視界の中での味方はどこにもなかった。


 見ているが重々しく口を開く。


「そうか。……私は桜花との交際を認めない」


 それは想像していたが、実際に言われてみると想像以上の破壊力があった。


 どうして、何故。と、思考が混乱してしまう。

 翔は充をじっと見つめることしか出来なかった。


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