第139話「私の……両親」
翔という精神的支柱のおかげか、落ち着いた桜花はことり、とテーブルに湯飲み茶碗を置き、充に訊ねた。
「私のお父さんですか」
「あぁ」
桜花は佳奈の方を向いて、更に訊ねた。
「私のお母さんですか」
「えぇ。今まで会いにこなくてごめんなさい」
佳奈は申し訳なさそうに言う。
桜花も自分の母親らしき人のその様子には胸が痛んだのか「顔を上げてください」と慌てて言った。
「私達は少し席を外そうか」
「そうね。翔はどうする?」
答えなくても分かるような梓の質問に翔は悩む素振りすら見せず、即答した。
「ここにいるよ。僕にも少しは関係があるかもしれないし」
「そうか」
修斗はそれだけ言うと、梓と共に席を外した。
本音を言えば、翔も修斗達と一緒に抜けてしまいたかったのだが、見えないように裾を掴まれているのに気付いていたので、翔はそれを言うことが出来なかった。
ただ、桜花が自分を頼りにしてくれていることや、不安に押しつぶされそうになっていることがよく伝わってくるので、翔は自分のできる範囲で助けてあげたい、と思った。
「久しぶり、といえばいいのか、初めましてと言うべきなのかは悩みどころだ……」
「そうですね。こんなに立派になって……!」
佳奈はもう感極まってしまったようで、瞳に手を当てている。
「私は何と呼べばいいのでしょう」
「桜花が呼びたいように呼べばいいよ。誰にもそれをとやかく言われる筋合いはないからね」
翔がそう励ましてやると、桜花は少し悩んだあと、
「充さん、佳奈さん」
「「……!!」」
と、呼んだ。
充と佳奈は一瞬はっと目を開いたものの、少し悲しげな表情を残しながら、ふっと微笑んだ。
充も佳奈も桜花との距離を測り損ねていたのだろう。しかし、桜花からの名前の呼ばれ方で一瞬にして決まってしまった。
そこには落胆もあったのだろう。
翔は親の気持ちになったことがないため、実の娘から他人のように呼ばれることがどれだけ辛いことかは分からない。だが、想像しただけでも心が痛いので、実際に言われるとこの痛みは何倍にも何千倍も増加していることだろう。
「私達は桜花さん、と呼んだ方がいいだろうか」
「呼び捨てで構いませんよ。翔くんも呼び捨てで呼んでくれますし」
「ん?あ、あぁ」
「何ですか、その生返事は」
「いや、ちょっと考え事をしていて」
急に話を振られて驚いた翔は適当な相槌を打つぐらいしかできなかった。今の一瞬で充の瞳が草食動物を狙う捕食者の瞳になったような気がするのは気の所為だろうか。
気の所為だろう。……きっと気の所為に違いない。
「私は……佳奈さんから産まれてきたのですか?」
「そうよ。私がお腹を痛めて産んだ可愛い娘があなたよ」
「可愛い」
「そこを強調しないでください」
きっと、桜花の心の中では混乱に陥っていることだろう。捨てられた、という思いが強かったのに、いざ会ってみればこうして会うのを楽しみにしていたり、呼び方一つで分かりやすいほど動揺したりして、まるでいい人のようにしか見えない。
桜花は気持ちを吐露するようにぽつぽつと言葉にしていく。
「私は……幼い頃に両親から捨てられました。私を迎えに来てくれこともなく、抱き締めてもくれず……」
「桜花……」
「物心ついた時には私の何が一体ダメだったのだろう、とずっと考えていました」
唇を噛み締め、今にも泣き出さんばかりに拳を握りしめている桜花を見ていると、翔はその拳を覆わずにはいられなかった。
桜花はぴくっと反応を示したあと、翔を見て微笑んだ。
「充さんと佳奈さんが私の両親だと言うのなら……。理由を教えてくださいませんか?」
理由とは何か、などという野暮なことは聞かない。
桜花は知りたいのだろう。知らされる事実がどうであれ、受け止める準備は出来ているとでも言いたそうな雰囲気だった。
桜花の本心を前に、充はじっと目を瞑り、佳奈は何かを言いかけたが、言葉になる前に引っ込めてしまった。
「翔くんは……何も聞いてはいないのかい?」
目を閉じたまま、訊ねられたのは翔だった。翔は桜花の話を聞き、断片的には知っている。しかし、充が聞いていることはきっとそういうことでは無いのだろう。
修斗や梓から聞いていながら、桜花に言わず、辛い役目を押し付けているのではないか、と聞いているように思えた。
もしそうならば、翔はまるで知らないただの傍観者だ。
「何も聞いていません」
「そうか……」
「充さん」
「そうか。……苦しい思いをさせないようにしようとしたことが、逆にこうしてさせてしまうことになろうとは」
「どういうことですか?」
翔は疑問を抑えきれずに充に訊ねた。
充はそれに反応するように、口を開いた。
「私の思いと桜花の感じたことがすれ違ってしまったということだ。……少し昔話をしようか」
そして、充は語り始めた。
桜花が我が家に来るようになるまでの事の顛末を。
桜花の心を蝕む暗闇の真相を。
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