第112話「我慢我慢」


 桜花の甲斐甲斐しいお世話のおかげで目の痒みはすっかり治まった翔は買ってきたソフトクリームをぺろりと舐めた。


 桜花は最近発売した期間限定味のソフトクリームを食べている。深く訊ねはしなかったのだが、色からしてブルーベリーかさつまいも辺りが妥当だろうか。


 渦巻くソフトクリームが紫色だ。


 頼まれて買ってきたはずなのに、店員には「これください」と指示語で頼んだためか、全くもって思い出せない。


 お金は勿論、翔が出した。

 生活に必要なお金は桜花が管理している。しかし、翔もその生活費とは別に修斗からお小遣いを多めに貰っている。


 梓にはバレないように、と重々言われているので誰にも話すつもりは無い。男同士の約束である。


 翔はそれを全て趣味に注ぎ込むような意図を全く読めていないことをするつもりは無い。

 修斗がくれるのは、そういうためではなく、桜花とのデートのためだろうからだ。


 カルマは蛍とどこかへ遊びに行く時は必ずカルマが出すらしい。それが男として普通だ、とも言っていた。


 翔と桜花は生活までも共にしているので、お財布事情まで完璧に筒抜けなため、さらっとカルマのようなことはしにくい。


 そんな状況なので修斗は一肌脱いでくれたのだろう。


「美味しいです」

「新作の期間限定味だろ?」

「さつまいもです」


 さつまいもだったようだ。

 頬に手を添えながら、満足そうに笑う桜花にそれほどまでに美味な物なのか、と気になってしまう。


 好きな人が美味しそうに食べているものは美味しそうに見えてしまうのだ。


 そんな物欲しそうな思いが表情に出てしまったのだろう。桜花は翔を見るとくすり、と微笑み、ソフトクリームを翔の方へと向けた。


「食べますか?」

「いただきます」


 ありがたくいただいた。口の中に入った瞬間からさつまいもが広がり、アイスの冷たさも相成って、感想としては「珍しい感触」だった。


「美味しいな」

「はい。美味しいです」

「……あの、これって一応」

「分かってますよ?」


 間接……であることを遠回しに伝えようとすると、平然とした顔で言い返されてしまった。


「断ってくれても良かったんだぞ」

「どうしてですか?」

「えっ……」


 上手く言葉が出てこない。

 間接であることを承知で翔に一口くれた桜花がもしかしたら嫌々だったのかもと思ったせいでつい訊いてしまった。


「どうしてですか」

「……無理に僕の願いを聞く必要はないよっていいたかっただけだ」


 桜花はすっかり気になってしまったらしく、もう一度訊ねてきた。

 翔は頬を掻きながらぼそりと小さな声で呟いた。


「無理に聞いている訳ではありませんよ。私が食べて欲しいからあげたのです」

「……」

「それに、好きな人と共有したいという気持ちがありましたから」


 ふふっ、と大人な笑みを向けられ、翔は自分が照れてしまっているのを確信した。

 萌えとはこういう事だったのか、と納得さえした。


「もう恥ずかしいとは思わないのか?」

「思いますよ」

「だよな」

「でも、翔くんならいいかな、とも思います」

「桜花……。今日はどうしたんだ?」

「それを言うなら翔くんの方ですよ。寝不足でおかしいです」


 今日の桜花は可愛いと言うよりも大人びていてかっこいいという印象を受ける。

 翔が深夜ハイテンション時の今でさえ尻込みするようなことを簡単にさらっとやってしまう辺り、桜花は翔よりも随分と胆力があるのだろう。


「一人だと夜更かしする傾向にある」

「英作文のような文ですね」

「人間の体内時計は25時間らしいから、僕の体内時計は夜が昼なんだろ。たぶん」

「決まった時間に寝ないと学校がしんどくなりますよ」


 本当かどうか分からないが、人間は夜行性な生き物である、という話もあるようだ。確かに深夜の方が気分は高揚するし、何でも出来るような錯覚に襲われるので、生物として考えれば夜行性な生き物である、というのはあながち間違いではないのかもしれない。


 しかし、昼間でも活動できるので、完璧な夜行性という訳では無いらしい。


「学校は元からしんどい」

「そうですか」

「桜花がいないと多分やっていけてないな」


 勉強面でも精神面でも、いつも隣にいてくれる桜花の存在は翔の中で随分と大きなものになっている。

 カルマというできた友達もいるが、それはまた別だ。


 しみじみと呟くと、桜花は俯いてしまっていた。一体何事だ?!と一瞬焦るが、翔の言葉が告白めいたものに聞こえてしまったのだろうと合点がいき、笑みが毀れる。


「私も……翔くんがいないと学校行きたくありません」

「そうか」

「席替えさえ危ないです」

「そんなに?!」


 流石の翔もびっくりだった。

 クラスが変わるとなれば、翔も桜花のように思うだろうが、席替えでかんがえはしていなかった。


 隣にはならなかった場合でも、クラス中に付き合っているということは知れ渡ってしまっているので、休み時間に話しに行っても問題は無いはずだ。


「けどまぁ、そろそろ一学期終わるな」

「そうですね。色々ありました」

「ダブルデートは一学期の行事に入れるのか?」

「行事……。夏休みでいいのではないでしょうか」

「修業式の次の日だっけ?」

「その予定です」


 因みにその修業式は明後日ある。

 つまり、ダブルデートは明明後日ということになる。

 結構急な気もするが、夏休みには修斗達と桜花の両親も帰ってくることになっているため(しかも時期未定)、確実な日、と言われると明明後日ぐらいしかなかったのだ。


 カルマ達もカルマ達で何やら予定があるようで、たまたま空いていたのがその日だったというのもある。


「他に買うものは何かあったっけ?」

「日焼け止めクリームが切れそうなので」

「それ買って帰るか」

「実は結構眠いのですか?」

「う〜ん、眠いと言うより甘えたい」


 翔の正直な物言いに、桜花はぴたりと固まった。嬉しいけど困るような、恥ずかしいけどにやけてしまいそうな、複雑な感情が見え隠れしているように見えた。


「……ちょっとだけですよっ」

「は、はいっ」


 桜花の甘い囁きに緊張してしまい変に上擦った声になってしまった。更にその上、敬語になったので、桜花に笑われてしまった。



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