第107話「雨燦々と」
梅雨の時期らしく、大雨が降っていた。
小説の話し中の気候の変化は主人公の気持ちを表しているらしい、と国語の教師から教えて貰い、桜花に補強して貰った。
現実では一人の感情の気持ちで天候が変わることがあるわけないのだが、翔はふと、昨日までの翔の気持ちが現れたのではないかと思った。
高校生にとって、放課後は遊びではなく明日の予習、今日までの復習に費やすため、外が晴れていても、雨が降っていても、雪が降っていても関係がない。
とはいえ、目に見えて、湿度が高いと、じめっとした感じになるのも事実だった。
「大雨ですね」
「帰りの電車も混んでたな」
「どちらかと言えば行きの電車の方が混みあっていたような気がしました」
「行きは出勤の時間帯だからな」
普段、自転車や、徒歩で会社へ向かう、または学校へ向かう人が雨になると電車を利用するため、雨天時はよく混雑している。
幸いにも、二人とも席に座っていたため、押し潰されそうになる、なんてことはなかったが、目前でそれが繰り広げられていたので、心から安堵したものだ。
「湿気が多いと困ります」
「頭が痛くなる、とか?」
「偏頭痛のことですか?」
翔は小さく頷いた。確か、梓が偏頭痛持ちの人で、雨の日には毎回のように「あー頭が痛い」と、ぶつぶついっている。
「私は平気ですけど、洗濯物が乾きません」
「考え方がもう主婦なんだけど」
「……」
桜花が無言だったのでしまった肌で感じた翔は、慌ててフォローに入った。
「いや、あの、そういうつもりで言ったじゃなくてな。えーっと……」
いつも以上にしどろもどろになる翔が何とか言葉を絞り出そうとすると、桜花が突然くすくすと笑いだした。
「怒っているから黙った訳では無いですよ」
「……え?そうなの?」
「嬉しかったので」
すっかり上機嫌になった桜花が今にも鼻歌を歌い出しそうな程ににこやかに笑っている。翔は嬉しかったと言われる理由が少しもわからなかったので、正直に訊ねた。
「嬉しかったって?」
「普通のカップルは一緒に生活できないので、生活面のお話ができたのが嬉しかったのです」
「そ、そうか」
自分で聞いておきながらも、桜花の屈託ない笑みと、言葉に胸打たれ、平常心で聞いていられなくなった。
確かに普通のカップルは一緒に生活はしないので洗濯物の話などはしないかもしれないが、それだけで、そんなことで嬉しがられるとは思ってもいなかった。
桜花の新しい面、というより、深いところをかいま見た感じがした。
因みに「垣間見る」は古文単語で「覗き見る」という意味があるらしい。伊勢物語の主人公のモデルである、プレイボーイ在原業平関連で出てくる。
桜花の教えを何気なく反芻できた。
「そうですよ」
「乾燥機使うしかなさそうだな」
「明日までに洗っておかないといけない物はないので、大丈夫ですよ」
翔も洗濯や掃除といった、料理以外の家事はしているのだが、桜花のように先を考えてはやっていないので、格の違いを見せつけられたような気分だ。
しかし、それは決して妬みや嫉みと言ったものではなく、感嘆からくる、尊敬のものだった。
「雨が降ると次の日が蒸し暑くなるし、花粉飛ぶからなぁ」
「そう言えば、翔くんは花粉症でしたね」
「年中な」
翔は重度の花粉症である。
どの植物も花粉を飛ばすことの無い12月のみ、翔は鼻の呪縛から解放されることができる。雨上がりの晴天は正に天敵といっても過言ではなく、通常の倍ほどの花粉が飛ぶことになり、マスクが必須なのだ。
「逆に桜花は全くなかったよな」
「ないです」
桜花は花粉症ではないらしい。この辛さを共感できないとは残念だ、と翔は少し落胆した。
「明日は晴天で気温も高くなるでしょうから、エアコンをつけてしまいましょう」
「文明の進歩は偉大だ」
桜花のお許しが出たので、明日はエアコンをつけることにしよう。外の環境からの影響を一切受け付けないようにしてくれる魔法とも言える科学の発展で得られた利器。
これでじめじめした雨上がりの湿度や気温、花粉ともおさらばできる。
「あまり温度を下げないでくださいね」
「電気代?」
「それもありますけど、寒く感じてしまうので」
今度は主婦話ではなかったようで、翔の先読みは不発に終わった。
桜花が寒がりなのか、翔が暑がりなのか分からないが、エアコンの温度については譲歩が必要なようだった。
「寒く感じたら言えよ」
「勝手に下げますよ」
「僕が傍にいれば暖かくなるだろ」
「……翔くんが熱くなるのでは」
「それとこれとは別問題だ」
気温が暑いのは耐えられないが、桜花の体温による熱さは全く気にならないどころか、必要なもの、とさえ思えてくるから不思議だ。
熱に浮かされた翔の言葉はこの後、一人ベッドで悶え苦しむには最適だった。
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