第94話「世界が変わる予兆」
「一体どういうことなの?」
「おい、ちゃんと説明しろ」
翔と桜花はそれぞれクラスメイトから言い寄られていた。桜花の方は興味本位のようだったが、翔の周りに集まったむさ苦しい男子の集団は本気も本気で、翔を今にも目付きで殺しそうな程に力が籠っていた。
席に座った途端に言い寄られ、男女全員に囲まれる形となってしまった翔達。
桜花は翔ほど、動揺することなく、毅然とした態度で答え始めた。
「そのままの意味ですが、聞き取れませんでしたか?」
マイクを通してお題が読まれ、その内容に驚いた生徒が落ち着くまでしばらく時間がかかったのだから、聞き取れなかった、というのは無いはずだ。
桜花の半ば挑発的とも取れる言葉に男子達は特に「うっ」と言葉に詰まった。少なからず好意を抱いている相手からこうも正論で返されてしまっては立つ瀬がない。
「ど、どうして響谷なんだよ!」
男子側もやけくそになりながら声を荒らげた。声を上げたのは以前に須藤の手下として翔と関わったことのある人だった。
出会いが最悪で親密になろうとも思わなかったので、名前も知らない他人だが、目元が腫れているのを見るに相当、桜花のことが好きなのだろう、と思われる。
「何の取り柄もないただの陰キャだぞ」
「隣でずっと話してたからドップラー効果で好きになっただけ!目を覚まして!」
堰を切ったように次々と翔を卑下する内容の文言が飛んでくる。しかし、大体は翔自身がそう思っている事でもあるので、何も言い返すことが出来なかった。
ドップラー効果は光の波長が云々、という話なので違う。吊り橋効果、とでもいいたかったのだろうか。
「誰ですか「何の取り柄もない」と言った人は」
言わしておけばいいだろうと放っておくと、桜花はそうはいかないようで食い付いた。
食いつかれた方は「ひっ」と喉を鳴らして須藤の後ろへと隠れた。
「事実だろうが。走りも遅い、勉強もそこそこしかできない。他の人間にすぐ抜かされて埋もれてしまう人間だろ?響谷翔って人間はよ」
バトンパスで須藤が喋り始めた。
桜花は少し怯んだように見えたが、萎縮することなく、返した。
「それだけで取り柄がないと決めつけてしまうのですか?走りが速ければ、勉強が人よりも出来れば取り柄があるのですか?」
「一目瞭然の取り柄だろ」
「翔くんの人柄は入らないのですか?」
「人柄?」
「そうです。私は翔くんの人柄に惹かれました」
桜花は言い切り須藤は気圧されて黙り込んだ。周りの聴衆は桜花が「翔くん」と下の名前で呼んでいることにひそひそと囁きあって妄想を捗らせていた。
「私をいつも優先してくれて、助けてくれる。何かと気を使ってくれて、ありがとう、とお礼を言ってくれる。一緒の空間にいられるだけで私の胸は高鳴って張り裂けそうなぐらいなのです」
胸の前で両手を重ねて気持ちを吐露する桜花に翔は顔が噴火したのを感じた。
「まだまだありますけど、それは取り柄がないと決めつけてしまっている皆さんには言う必要はありませんね。私だけの秘密にしておきます」
ふふ、と妖艶に笑い、翔は陥落されそうになった。皆に分からないように桜花を小突くと桜花はその腕に絡まってきた。
「私は翔くんが好きです。他の誰にも興味はありません」
女子の黄色い悲鳴が響き渡る。
「ちょっ……恥ずかしいんだけど」
「私もです……。ついやり過ぎてしまいました」
小声で話し、どちらともがため息を吐く。
しかし、その溜め息は落胆の意味では勿論なく、しょうがないなぁ、という笑いが漏れ出るようなため息だった。
「終わった……俺達の女神が」
「聖女様ぁあああッ?!」
「ちょっと男子達うるさい!」
聴衆は桜花達をそっちのけで、泣く者もいれば、喚きだす者もいた。女子が喝をいれるものの、それを聞き入れるほど理性は戻っておらず、悲しみに明け暮れる勢いであった。
「響谷」
唯一、ただ目を閉じて瞑想していた須藤が声をかけてきた。
「何だ?」
「今まで本当にすまなかった」
「……ん?」
急に謝られて訳も分からず困惑する。須藤は頭を下げたまま語った。
「暴行の話も今の事も本当にすまなかった。俺には見る目がなかったどころか目が腐っていたらしい。聖女がそこまで好きなのなら何か理由があるんだろ」
須藤はそこで顔を上げた。謝罪はこれで終わりらしい。翔はまさか須藤がこうして謝罪するとは思わなかったので驚いて目を丸くしていた。
カルマと共に有耶無耶にして学校側の介入を妨げたのが懐かしい。
「僕自身分かってないことだらけだけど」
「これから見つけていけ。隣には知ってる人がいるんだぞ」
真っ直ぐな瞳で言われ、照れ臭くなる。
「頑張るよ」
「なら、さっさと決めてこい。まだだろ?」
須藤が言っているのは翔の方からの想いだろう。桜花は障害物競走を通して伝えた。本当は翔がしたかった事を桜花が先にやってしまった。
そこから、事態は思ったよりも大事になり、なかなかそのタイミングがなかったが、翔の想いも当然伝えなければならない。
ここで言うのも……と思っていた矢先、須藤からの申し出はありがたかった。
「桜花!来い!」
「はい……!」
翔は自分の荷物と桜花の荷物を片手で持って、もう片方の手で桜花の手を引き、駆け出した。
咄嗟のことに誰もが唖然として翔の背中を見送るが、翔はそのようなことはどうでもよかった。
「翔!」
廊下を走り、玄関近くまで走ったところでふと誰かに呼ばれてはっと後ろを振り返るとそこにはカルマが蛍とともに立っていた。
「「ふぁいと!」」
二人の声が重なって翔の背中を押してくれる。翔は頷きで返し、校舎を出る。
前から考えていた。
もし、障害物競走で狙ったカードが引けなかった場合、学校で告白するのはおそらく無理だろう。翔の性格から考慮してもほぼ不可能であり、ずるずると引きずっていきタイミングを失う可能性が高い。
ならばどこなら、大丈夫なのか。
それが思い当たるのは一つしかなかった。
「翔くん……?」
いつも、家に帰る電車とは反対方向の切符を買って乗り込む。
どうせ告白するのならばロマンチックにかっこよく決めたい。
そして、翔は目指した。
思い出の海へと。
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