第65話「幼馴染だけでは無い」


 翔と桜花はゆっくりと抹茶とその時に流れる時間を味わい、楽しいひと時を過ごしていたのだが、翔が突然尿意に襲われ、トイレへと向かった。


 幸いにも全て飲み干していたのでマナーが悪い、行儀が悪い、と桜花に叱られることは無かった。申し訳ない、と思いながらも生理現象には抗えない。


「ごめん、待たせ」


 最後の「た」をいう前に目の前に広がっている光景に絶句した。

 翔がトイレへと向かう時に桜花がゆっくりと追いかけてきていたのは知っていた。なので、翔の勘違いでその場にいない桜花に挨拶をしてしまった、という訳では無い。


 桜花はいる。

 ただし、よく分からない男達も付随して。


「お嬢ちゃん暇?」


 チンピラ代表、とでもいわんばかりの名もない男が桜花に不必要なまでに絡みに行っていた。


 俗に言うナンパだということは直ぐにわかった。しかし、それがわかったところでどうすればいいのか分からない。


(離れなければよかった)


 翔は後悔した。

 すっかり失念してしまっていたのだ。桜花がその美しい美貌のせいで凡人よりも人目を引くのだ、ということを。

 いつも一緒にいるせいで頭の片隅に置いていたはずの事が、するりと抜け落ちてしまったかのように翔は桜花の美しさを甘く見すぎていた。


「私は暇ではありません。お引き取り願います」

「そんな釣れないこと言うなって。遊ぼうぜ、俺らと」


 な?と周りに同調を求めた先程とは違う名もない男。


 翔は後悔した。しかしもう懺悔の時間は終わった。


 翔は静かに怒っていた。

 何を持って桜花へと話しかけたのかは分からないが、その隠しているのか隠していないのか分からない穢らわしい妄想が表情から丸見えの男達に。


 必死なのか少し挑発的な言葉選びになってしまっている桜花に。


 そして何よりこの状況をただ観客のように眺めている自分に腹が立った。


 困っている人を助ける?それは当たり前のこと。


 困っている幼馴染を助ける?それは義務だ。知っている人ならばそうするべきものだろう。


 ならば。

 相手に伝わらないと思っていたとしても恋焦がれている相手なら?


 それは何を犠牲にしたとしても守るべき存在だろう。


「ごめん、桜花。待たせた」


 はっきり大きな声で。小学生の健康観察のように。


「翔くん!」


 表情には出してはいないが恐らく怖かったのだろう。桜花は翔の背中へと周り、服の裾をぎゅっと握った。


「何だおめぇ?」

「逆に聞きたいね。女の子一人に複数の男が寄って集って。しかも外見からするとほとんどが年上と来た」


 翔と同じような背丈のやつもいたので一応断言はできなかったが、恐らく年上だろう。


「お前は誰だ?」


 チンピラらしい、最高の問い。笑いだしたくなるのを抑えて、間を作った。


「僕は彼氏だ。人の彼女に手を出そうとするなッ!」


 思い切り叫ぶとあまりの勢いに気圧されたのか「ひっ」と及び腰になるチンピラ共。

 翔は裾を掴んでいた桜花の手を優しく己の手で握った。


「か、翔くん」

「説明は後だ。逃げるぞ」


 小声で伝え、手を引く。

 そして最後に追ってこられないようにしておく。


「お巡りさ〜ん!」


 勿論、お巡りさんは姿も形もない。しかし、驚いた状態では視覚からの情報よりも聴覚からの衝撃的な情報の方が信憑性はなくとも深層意識が働いてしまうらしい。


 チンピラ共は慌てふためき、散り散りになって逃げていった。


 しばらく走り、山の開けた場所に辿り着いた。全力にも近い足力だったので桜花から手を離し、肩で息をする。


 桜花も呼吸は乱れて、頬は上気していた。


「久しぶりに走った」

「え、あの、翔くん……?」

「めっちゃ怖かったな、あの人達。よく泣き出さなかったな」

「私を一体何だと思っているのですか。……と、そうではなく」

「あー、その、だな」


 関係のない言葉で取り繕うとしたが桜花はそれをさせてはくれないようだ。

 翔は歯切れ悪く答える。


「あれはその場を乗り切るために付いた嘘、というか方言というか……」

「……」

「助けたい一心で」

「嘘です」


 桜花がぴしゃりという。

 その顔は厳しいものだったが、直ぐに柔らかいものに変わる。


「翔くんがわざわざ目立つような事をする人ではないということぐらいは私だってわかっていますから」


 よく見られている。

 翔は素直に自分のそこに至った経緯を話すことにした。


「腹が立ったんだ。守りたい、守るべき人を直ぐに助けられなかった僕が嫌だった。イライラした、から」

「ちゃんと守ってくれました」

「だといいけど」


 桜花が翔に手を差し伸べた。その手が意味することは何も言わなくても分かる。


 翔はそっと包み込むようにして桜花の手を握る。人肌の感覚が触覚から伝わり、どぎまぎする。


「ありがとうございます。翔くん」

「一人の時はもう少し気をつけろよ」


 至近距離で素直にお礼を言われるのは慣れない。

 桜花は肩を揺らして笑った。


「また助けてくれないのですか?」

「気をつける努力が見られたらな〜」

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