第64話「食べ歩き」


「見てください!江戸時代にいるような気分です」

「和服にすればもっと風情がでたかもな」

「そうですね。……残念ながらありませんけど」


 翔達は岡山で言えば美観地区のようなまるで江戸時代へと迷い込んでしまったかのような外観の観光地へと来ていた。


 和服を着て歩けばまさに日本人の誰しもが初めに想像するであろうその光景が表されるだろうが、観光地へと赴くのにわざわざ和服などは持ち歩くはずもなく、そもそもスーツケースの中に和服が入っていなかったのでただの妄想となってしまった。


「焼き鳥ならぬ、焼き牛。食べますか?」

「さっきソフトクリーム食べてなかったか?」

「えぇ。食べました」

「う〜ん……そうか。平気なのか。……僕はもう少しソフトクリーム感が減ったら頂くよ」


 先程食べたばかりのソフトクリームがまだ口の中に残っている。甘ったるい感覚に塩辛いのは合わないだろう。

 桜花は全くそんなことを気にしないようでぱくっと美味しいそうに食べている。


「もうなくなります」

「うん、焼き牛はパスだな」


 翔は焼き鳥ならぬ焼き牛を食べさせてもらおうとは思っていなかったのだが、桜花は違ったようだ。


 桜花は最後の一口を翔の食欲を唆らせようとしているのか変にリポートを始めた。


「この焼き牛は焼き鳥よりも歯応えがあって美味しいです。食べないと勿体ないです。折角の旅行なのに」


 最後に「あ〜ぁ」と心底勿体ないことをするな、もでも言うように聞こえた。


 口に持っていき、翔がそれを見るとすっと離していく。

 もう翔は見事に桜花の食リポに乗せられていた。食リポと言っていいのかはなんとも微妙なところではあったが。


「いりますか?」

「う……」


 最後のとどめとばかりに刺さった串を翔の口元まで持ってくる。


「はぁ……頂くよ」

「はい、どうぞ」


 口元に持ってこられたものを断るのでも罪悪感が湧くのに、そんな期待した目で見られると誰が断れるだろうか。

 翔はソフトクリームを食べた事を記憶の中で作為的に消去して牛にかぶりついた。


 もぐもぐと咀嚼していると、桜花は照れたようにわざとらしく、そっぽを向いて未だ見ぬものを何か探していた。


 何も無いと思うぞ、と思いながらも牛の旨味に思わず「うまい」と声が漏れた。


「そうでしょう?」

「全部食べたかったんじゃないのか?」

「翔くんにも食べて欲しかったので構いません」


 くすっと笑い「心配ご無用です」と翔の考えていることなど全てお見通しのようだった。


「それでいいならいいけど」


 考えを見抜かれたことに対してか、くすっと笑った桜花に見惚れたからか、翔はぶっきらぼうな口調で言った。


「翔くん見てください!抹茶です」

「うん、味替わりが酷いな……」


 翔の独り言など聞こえていないかのように桜花は抹茶の元へと歩いていく。振り返り翔に手招きをする。


 翔はついて行くしかない、と割り切り、桜花の元へと追いついた。


「茶道は分からないんだけど」

「私も基礎的なことしか分かりません。ですがそこまで厳しくはないようですよ」


 桜花がちらりと流し見したのでそちらの方を見てみると、そこには男女二人が仲睦まじく抹茶を飲んでいた。そこに作法といった、堅苦しいものはなく、これなら翔でもできそうだった。


「お茶を飲むだけならプロだからな」

「それなら日本人のほとんどがプロです。あと、翔くんが普段飲むのは抹茶ではなく、麦茶です」

「茶葉の発酵具合だけだろ?」

「紅茶と緑茶はそうらしいですが、果たして抹茶はどうでしたかね……」


 桜花が珍しく考え込むように唸った。桜花が答えられない質問は翔とのやり取りの中でなかったのだが、ここで初めて桜花でもぱっとは分からないことがあるのだということが分かった。


 翔も紅茶と緑茶が同じ茶葉だと言うのは知っている。しかし、それは桜花のようにどこかの本で知ったという訳ではなく、ただ「五等分の花嫁」というマンガを読んでいたからだったが。


「抹茶をふたつ、お願いします」


 店の人はにっこり微笑み、手早く茶を立ててくれる。やはり観光地と言うべきか、日本古来の伝統の堅苦しいものは全てカットしているようだ。


「和室へ行くのでしょうか」

「いや、どうやら作ってくれたものを受け取るらしい」

「失礼のないようにしないとダメですよ」

「そこまで信頼されないほど、僕は失礼な態度をとってきた覚えはない」

「一応です、一応」


 そんな、傍から見れば微笑ましい他愛もない会話をしていると、陶器に入った抹茶が運ばれてきた。


 渡された抹茶を恭しく受け取り、桜花へと手渡す。


「ありがとうございます」

「どういたしまして。次の予定を聞いてもいいか?」

「もう少し食べ歩いてから旅館へと戻りましょう」


 足に結構な負担がかかっていた翔は桜花との時間も大切にしないといけない、と思いつつもやはり、旅館でゆっくりしたいという思いも少なからずあった。


 抹茶は疲労の身体に染み渡り、桜花の不思議そうにしている顔が華となり、翔の心は少しだけ癒された。

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