第46話「むむむ……」
「早かったですね、蛍さんと打ち解けるの」
「う〜ん……。早かったというか、ぐいぐい来られて流れで、というか」
帰りの電車に乗ってからしばらく、含みを持たせた声色で桜花が訊ねた。
対する翔が歯切れ悪く答える。
日頃から人と話すことが少ない翔には蛍のコミュニケーション能力に圧倒された、という方が正しいのだが、桜花はお構い無しのようだった。
「しかも、お名前で呼び合う仲になってましたし」
つん、とあたかもダメ出しをされているように言われる翔はどうしたものか、と肩を竦めた。
あの時の蛍との会話はしっかりとしたものではなかった。
翔は弁当の処理に気を集中させていたし、蛍も桜花との会話の途中で翔に首を突っ込んだので、成立したものであって、互いにその人と話そうと思って会話していた訳では無い。
ここまで露骨に機嫌を損ねている桜花を見るのは初めてだ。
何がそうさせているのかは分からないが、これ以上引っ張られると家に帰ってからもちくちく言われてしまいそうだ。
「名前で呼ぶらしいな、高校では」
「蛍さんが特別だと思いますが……」
「ATフィールドがないらしい」
「何ですか?ATフィールドって」
翔はどう説明したものか、と思案した。「心の壁」だと言うのは簡単だが、それでは通じない可能性がある。
「ん〜……。『遠慮』が近い、のか?」
当たらずも遠からずだが、桜花は腑に落ちたらしく「そうですか」と納得していた。
「確かに遠慮はなかったですね」
翔が驚いて噎せた時のことを思い出したのか、くすくすと肩を揺らして抑え気味に笑う桜花。
「嫌だとは思わなかったから不思議だ」
「不思議です」
翔も桜花も、人と会話するのは得意ではない。理由は話しかけられないから、と話しかけることが出来ないから、と違うが結局は同じことだ。
その二人が綾瀬蛍という一人の少女には呆気なく懐に入り込まれ、心を握られたのだ。
この超絶技巧とも言えるような蛍のスキルにはコミュニケーション能力が足りていない二人からすれば「不思議」と称するしか無かった。
「あれで顔が美形だから反則だよな……」
翔は表情を崩した時の蛍の顔を思い出しながらしみじみと呟いた。
男ならば現金な話だが、顔がいいと言うだけで心の壁は簡単に緩む。翔も例に漏れることなく、男だということだ。
「確かに可愛かったですね」
「可愛かったな、うん」
何故か怒っているような声色で同調してくる桜花は拳一つ分程、翔と距離を離した。
「男の子は蛍さんのような方を好まれるのでしょう」
「まぁ、人気は高いだろうな」
「可愛いですしね」
「そんなに強調する?否定はしないけど」
もう一個分、開いた。
今のは明らかに桜花の自爆のような気がしたが、翔はどの言葉がトリガーになっているのかが分からないようで首を傾げていた。
「まぁ、何はともあれ目先の問題はカルマがどう攻略するのかってことだろう」
「蛍さんは気がありそうな雰囲気でしたけど」
「両想いならさっさとくっつけば話は終わりなんだけどなぁ」
考えても無駄だな、と一息ため息をついた。
周りがどう煽てたとしても、結局のところ、本人達が決心して行動に移せるのかどうかなのだ。
そして、正直な所、翔は綾瀬蛍という少女を恋愛対象の女の子としては見ていない。
顔立ちもよく、見ていて微笑ましいが、そこまでで、仲良くしてくれるのなら、それなりに付き合いはしよう、という程度だった。
「私の顔に何か付いていますか?」
「……いや、なんでもない」
無意識に視線を向けていたらしい。桜花に気付かれ、すぐに目を逸らした。
気持ち悪い、と思われてしまったのか、また拳一つ分、離れていった。
心の中が虚無感に包まれる。
どうしてだろうと考えるよりも前に翔は答えを既に得ていた。
(好き、なんだろうなぁ……)
決して表に出ることの無い、翔の心の奥底にある気持ち。
叶うことのない想いだと自覚している。
何故なら、桜花は綾瀬蛍よりも、どこの誰よりも魅力的な女の子であり、対する翔は釣り合いを計る天秤にすら乗れない落ちこぼれのどこにでもいる男の子なのだから。
「桜花」
「はい」
そんな想いを寄せている女の子がいつもよりもアクションが大きいことに気付かないわけがなく、翔は一つ、勘違いを正す。
「僕はまだ名前で呼んでいない。ただ呼ばれただけだ」
そう。翔はまだ一度も「蛍」と呼んではいない。
「僕の……好きな人といつでも、どこでも呼べるようになる時までは呼ばない」
「そう……ですか」
桜花はそれだけ言うと、今まで開けていた翔との距離を殆どゼロまで縮めた。
恥ずかしそうに俯く桜花を見て、頭を撫でようと手を伸ばしかけたが、理性で何とか押し留めた。
布の擦れる音で気付いたのか、桜花が顔を上げ、翔と視線を合わせた。
「その日が来ると良いですね」
にへら、と笑う桜花。
(何だよ、そんな顔もできるんだ)
それから下車するまで、翔は桜花の甘い匂いといつもより近い距離にずっとそわそわしっぱなしだった。
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