第47話「行ってらっしゃい」


「忘れ物は……ないわね!」

「いつも持っていく帽子はいいのかい?」

「あの帽子ならここに入ってるわ」


 梓はリュックサックを指差した。

 どうやら梓には旅行に必須の帽子があるらしいのだが、翔にはそれが一体どのような帽子なのかわからない。


「ん、なら行こうか」


 梓と修斗が最終チェックを済ませ、スーツケースとリュックサックを背負う。


 結局、どこに旅行へ行くのか訊かなかったのだが、毎回お土産を買ってきてくれるので、その時にでも推察しよう。


「気を付けてくださいね」

「いってら〜」


 夫婦旅行なので、翔と桜花は勿論、お留守番だ。

 ペアで向かい合っているので、どこかあのゲームのときを思い出す。


 最も、あの時のような緊迫感はなかったが。


「いつもと違って桜花ちゃんがいてくれるから新鮮だわ」

「確かに去年はお見送りすらなかったからね」


 梓は桜花に抱きつき、修斗は去年のことを思い出して呟いていた。

 去年は桜花はいなかったし、翔は今の高校を受験することを早々に決めていて、夜中まで勉強に勤しんでいたので、朝早い時間に起きることが出来なかったのだ。


 梓と修斗も理由が理由だけにあまりとやかくは言わなかったのだが、一段落ついた今に少し愚痴を言いたいらしかった。


「今年はちゃんと見送ってるからいいだろ」

「ありがとう」


 半ばヤケで言い返すと、修斗は逆に正面から受け取り、礼を言った。


「梓さん……」

「おい、母さんもそろそろ行けって。飛行機間に合わなくなるぞ」


 声では梓を呼びながらも埒が明かない、と翔に目線で助けを求めた桜花は梓が離れていき、小さく安堵のため息をついた。


「修斗さん」

「まだ時間はある。間に合うよ」

「そうじゃなくてぇ……」


 すっかり恋する乙女に戻ってしまっている梓は何かをねだるように修斗に擦り寄った。


 修斗は何も言うことなく自然と唇を塞いだ。


「ひゃっ?!」


 可愛らしい声が隣で響き顔を手で覆っていた。ただ、しっかりと指と指の間から覗き込んでいるようだったが。


 深い密着をしたところで二人は離れた。


「修斗さん……」


 とろん、と惚気けた顔の梓は修斗しか見えていないようだった。


 しかし、流石と言っていいものか、修斗は顔色一つ変えることなく、じっと見ていた翔達に、


「翔達も楽しんでおいで」


 と、大人の対応を見せた。

 先程までが大人過ぎて、紳士とは口が裂けても言えなかった。


 修斗が玄関の扉を開け、梓を自然にエスコートし、期待に満ち溢れた表情で二人は旅立っていった。


「行ったな」

「行かれましたね」


 未だ、玄関の方をじっと見つめたまま互いに確認し合った。


「取り敢えず、自由だな」

「翔くん、今日はまだ平日なので学校がありますよ」


 早速ぐうたらしようと画策していた翔は今日が平日であることをすっかり失念していた。


 去年は起きると両親がもう居なかったが、その日は恐らく平日ではなく休日だったと記憶している。


 学生のゴールデンウィークは平日はしっかりと学校があるので、今年の途切れ途切れのゴールデンウィークは休みという感じがしなかった。


「顔を洗いましたか?ご飯は食べましたか?着替えて歯を磨いてください」

「おかんか」


 現実に引き戻した挙句、母親のような事を言われ、呆気に取られた。


 いつもは「母さん」と呼んでいるのだが、混乱状態に陥ってしまったため「おかん」と変わってしまった。


「幸いにも金曜日ですからね。今日を乗り越えればおやすみです」

「……まさか、母さんに変な事頼まれたな?」


 尚も普段とは違い、翔にお節介を焼いてくる桜花は翔の問いに「えぇ」と答えた。


「『翔を頼んだわ』と言われました」

「頼まれ方!!」

「変ですか……?」

「普段の桜花に戻ってくれ。落ち着かない」


 翔が素直にそういうと、桜花は少し俯いたあと、聞こえるか聞こえないか微妙な声で「はい」と肯定した。


「頼むって言うのはそういう事じゃなくて、一緒にいてやってくれってことだと思う……ぞ」

「そんなの、当たり前です」

「そ、そうか」

「そうです」


 参ったな……と後頭部をかいた。

 桜花は自分達、響谷家の人間が思っているよりもとっくに家族の一員だと思ってくれていたらしい。


 はっきり言い切られて、翔は戸惑いもしたが嬉しく思った。


「翔くんは梓さんや修斗さんが居なくなるとどこかへ行ってしまうのですか?」

「いや、そんなわけないだろ。僕はここにいるよ」

「そういう事です」


 桜花はいつもより少し強い口調で翔に詰め寄った。通常ですら敵わないのに、更に強くなられてしまい、翔に勝算は皆無だった。


「もしかして……怒ってるのか?」

「怒ってはいません」

「つまり、ちょっとだけ腑に落ちなかったところがある、と?」

「私達は家族です」

「うん、初めて来た時からそうだな」

「だからそういう心配は無用なのです」

「は、はい」


 こくこく、と首を縦に連動させる。

 怒ってはいない、と言っていたがこれは少なからず怒っているだろう。


 しかし、怒られているにも関わらず、翔はそんな桜花を見て可愛らしいと思ってしまっていた。

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