第31話「無理は禁物」
それから何時間寝ていてただろうか。ずっと懐かしい夢を見ていたような気がしたがはっきりとは思い出せない。
すっかり冴えてしまった目を擦る。
上体を起こし、時計を確認すると時刻は昼休みの時間だった。
桜花が来る、と言っていたのも昼休みだったはずだが、今のところその影は見られない。
頭痛も少しは収まり、額に手を当てて自分なりに熱を測ると、寝る前と比べて確実に下がっているのは分かった。
「起きたか。調子はどうだ?」
「若干しんどいですが、幾分かマシにはなりました」
翔が起きたことに気付いた養護教諭が仕切りのカーテンを勢いよく開けて、状態を訊ねてくる。
「1年生だったか」
「はい。今年入学しました」
「緊張して家でも上手く切り替えできなかったのだろうな」
「かも知れません」
あながち間違えではなかったので、翔は内心驚いていた。
学校では須藤の睨みや暴力から身を守り、隣の桜花が不自由なく学校生活を送ることができるように気を遣い、帰ってからはまだ馴染みきれていない桜花とぎこちないながらも多少なりとも意識して言葉を交わす。
翔が心から落ち着けるのは無意識化、つまり寝ている間だけだったのかもしれない。
「もっと気楽にやれば楽しいと思える学校だと思うが……」
「僕も頑張ってはいるのですが」
それが出来れば苦労はしない、とは口が裂けても言えなかった。
頑張る、という誤魔化しの魔法の言葉を使うと、養護教諭はそれだぞ、と指摘した。
そして、それはそうと、と話を変える。
「噂話なんだが、この学校で暴力事件が怒っていることを知ってるか?」
「暴力事件、ですか?」
知っているも何も、その事件の当事者で被害者である。
「何でも、校舎裏、体育館裏、体育倉庫に血痕が見つかっている」
「結構な場所で見つかってますね」
あくまで噂話として、翔は相槌を打つ。
ここで関係者だとバレてしまえば根掘り葉掘り聞かれるのは自明の理であるし、今まで翔が黙ってやられてきた意味がなくなってしまう。
「DNA鑑定をした結果……」
「この学校にそんな機械があるんですか?!」
「ない。いってみただけだ」
「……」
相当に焦ったこの気持ちを返して欲しい。
翔はじとっとした目を向ける。養護教諭はそれを吹き飛ばすほどの軽快な笑い声を上げた。
「いや〜、すまんすまん。話したがり屋なもんで」
「一応、僕も病人扱いですからね」
「眠っている間はここを離れる訳にも行かないし、かと言って一人ですることも無いしで、暇をしていたんだ」
……仕事しろよ。
これが養護教諭ではなく、友人であるカルマなら、確実に口から出ていただろう程にツッコミどころが満載だった。
「休み時間とかは誰かが話に来ているものだと勝手に思ってましたが違うのですか?」
「高校生は中学生とは違う。それが顕著に現れて感じさせられるのはそこだ。進学校だというせいか全く来ない!」
「来て欲しいんですね……」
「何のために養護教諭になったのかと問われればそのためだと言うぐらいだ!」
「はぁ……」
あまりに熱弁する養護教諭に速攻で追い抜かれていった翔はベッドからいそいそと這い出た。
「すぐに動くとぶり返すぞ」
「水筒が教室にあるので」
化学物質もびっくりの切り替えの早さで、医療に携わっている人へと変貌する。
しかし、喉が渇いていたのだ。
朝も翔は起きてすぐ、顔を洗ったあとにコップ一杯の水を飲む。これはもうほとんど翔のルーティーンと言っても過言ではなく、しなければ気が済まないほどになっていた。
養護教諭の更なる忠告を聞かされる前に翔は保健室を出る。
しばらく歩いているとやはりまだ完全には治りきっていないせいか、身体が重く感じてくる。
座っていたし、何より養護教諭がよく喋っていたので、ついつられて話を聞いてしまい、熱を考える間もなかった。
その点で言えば充分に養護教諭の責任を果たしていると言えるだろうが、翔はもうなった理由やぶっちゃけた話を聞いていたのであまり感謝は湧いてこなかった。
感謝はしているが。
「教室……遠いな」
トイレを済ませ、教室へと向かう。
いつもの道がその何倍もの長さになって立ち塞がっているように錯覚する。
階段を一歩一歩、手すりにしがみつきながら登っていく。
進学校のくせに古くてボロい校舎は手すりに力を込めるだけでミシッ、とまるで寿命を縮めるかのように音を立てる。
「ふぅ……しんどい」
やっとこさ、登りきる頃には翔の額にうっすらと汗が滲んでいた。血液の流れを感じる。
心臓は爆発寸前のボムのように忙しく動いている。
「話とは一体なんでしょうか」
はっと息を呑んだ。
その声を聞き間違うことなどありえない。
翔はそっと物陰に隠れた。
どうしてかは説明できなかったが、話がなんであるかはそれだけで察しがついていた。
そしてその相手は、
「おう、時間を取ってくれたことは感謝するぜ。桜花」
喜びには到底感じられない、むしろ怒りにも似た声の主は須藤だった。
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