第30話「体調不良なら保健室へ」
翔は重くなった身体を無理して正常に座らせながら授業よ、早く終われと祈っていた。
重くなったというのは物理的なものではない。簡単に言ってしまえば体調不良だった。
ストレスを拗らせたのか、何処かで風邪を貰ってしまったのか。
ぼーっとする頭を肘立てて抑える。
どうしようもない脱力感と横になりたい衝動に駆られる。しかし、今は授業中で内容もこの時間で一番大事なところに差し掛かっている。そこに割り込めなかったし、大きな声を出す気力もなかった。
「随分と顔が赤い気がしますけど、大丈夫ですか?」
小声で顔は翔に向けずに訊いてくる。
大丈夫には見えないから声をかけているのだろうが、その聞き方はついついうっかり「大丈夫」と言ってしまいそうになる。
翔は自分でも分かるほどの浅くなった呼吸を少し大袈裟にして、状況を伝えた。
「保健室へ行きますか?」
「あと……10分だ。それまでは……」
「我慢できるような様子ではないと思うのですが……」
言葉も途切れ途切れに話す翔にいよいよ怪しいと踏んだ桜花は保健室へ行くことを勧める。
「まさか……我慢して学校に来ましたね?」
心配を突き抜けて南極ほどの凍った声色だった。
桜花がそう結論づけたのは今が1時間目の真っ最中であったからに他ならなかった。
家を出る時からいつもと少し様子は違っていたような気もするが、それはこの状態を見てから思い返したからであって、その時には違和感程度にしか感じなかった。
「私が先生に言いましょうか?」
「……カップラーメン……3個分」
「……」
翔の渾身のボケは華麗にスルーされた。
桜花の頭の中はもういつ先生に打ち明けるかしかないのだろう。
止めようと声を出そうとした時、胃から何かこみ上げてくる感じに襲われる。
必死に抑え込むが、いよいよダメかもしれないと不安になる。
「お、どうした?双葉」
先生が桜花を捉えた。桜花は挙手をして先生が当ててくれるのを待っていたようだ。
「隣の響谷くんが体調不良のようなので、保健室へ連れて行ってあげたいのですが」
「体調不良か……。保健委員」
「私です」
「……なら、頼んだ」
翔は先生に怪訝な目を向けられた。
進学校でマンモス校のこの学校は体調管理など当たり前にできていなければダメな場所だ。それを怠っていた訳では無いのだが、恐らく十中八九、発熱しているので逆の証拠を残してしまっているようなものだった。
ついでに、と言ってはダメかもしれないが、須藤とも目が合った。
視界がぼやけながらだったので、不確かではあるが須藤だろう。
須藤が睨んでくるのも理解できなくは無かった。須藤はもしも、自分に怪我があった時に桜花に処置や連行して欲しいらしく、仲間を使い、桜花を保健委員にさせた。
桜花は全くもって興味がなかったらしく、委員会決めの際は四六時中読書していた。決まった旨を教えられても「そうですか」と淡白に終わった。
あわよくば初めては自分が、と思っていたのだろうが、翔に取られたことで睨んでいるのだろう。
須藤の屈強な体躯が怪我や病気になることはまずないだろうが。
「補助は……必要なようですね」
翔は男の意地と生命の保障のために教室内では一人で歩いたが、廊下を出て早々、壁にもたれかかった。
そこで桜花は補助を申し出た。
翔も流石に一人で歩けなくなっているのは分かっていたので、軽く頷いた。
「できるだけ自分で歩いてください。私の力ではとてもではありませんが響谷くんの身体を支え切る事は出来ませんので」
言われなくてもそのつもりだったので、これもまた軽く頷く。
すると、桜花は翔の左腕を自分の首に回し支え始めた。
「確実に発熱ですね。微熱どころでありませんよ……」
「伝染る、ぞ」
「伝染るとしても、響谷くんは一人で歩けないではないですか」
事実を言われてぐうの音も出ない、とはこの事だった。
いつもならもう少し頭が冴えているはずなのだが、やはり、発熱の影響かあたまがふわふわしている。
ただその中でも桜花の甘い匂いだけはいつも通り感じるのだけは不思議だった。近いから仕方ないが。
「どうして今日は学校に来たのですか?」
「月曜日……だから」
「いえ、そうではなく。体調不良でありながらも私に黙ったままで学校に来た理由を訊ねているのです」
「約束、したから」
翔の中にあったのは須藤の「月曜日、休むなよ」だった。
須藤という叶わない相手から言われた、という服属的な約束ではなく、対等な友人としての約束だと翔は言外に言っていた。
どんなに殴られようともどんなに蹴られようとも翔は友達だと、いずれは友達になれるからせめてこちらからは初対面のようにいよう、としていた。
桜花は勿論、知る由もない事なので約束と聞いて、思案顔になる。
「誰との約束ですか?」
「……秘密」
桜花が更に深く尋ねようとしたところで保健室へ到着した。ここまで来てしまえばあとは横になるだけなので、翔は少し気を緩めてしまった。
ふらっと視界が揺れて地面に倒れ込む。
ひんやりして気持ちいいが、硬い。
「まだ安心しないでくださいよ……。立てますか」
翔は掴まり立ちをする赤ん坊のようにゆっくりと立ち上がろうとする。
桜花は身体を両手で軽く支えるぐらいで手伝ってやる。
「響谷くんは寝てください。一応、昼休みには様子を見に行きますので大人しくしていてくださいね」
「う〜ん」
翔は話半分にも聞けていなかった。
寝てください、とは聞こえたがその後は言葉ではない何かの信号を聞かされているような気分だった。
保健委員は保健室へ連れていくだけが仕事であり、昼休み云々は桜花の個人的な事だったのだが、一々委員会の要項を見ない翔は話も聞けていないし、さっぱりだった。
養護教諭に軽く症状を報告し翔はベッドに横になった。
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