第32話「決着をつける時」


 息を殺して須藤と桜花を物陰からこっそりと見る。


 須藤は翔からしても明らかに怒気を含む声色で桜花に迫った。


「なぁ、一体どういうことか説明してもらおうじゃねぇか?あぁ?」

「何のことでしょうか」

「これからどこに行こうとしてんだよ」

「須藤くんには関係の無いことでしょう?」

「保健室にでも行く気じゃねぇのか?」

「かも知れませんね」


 怯えた表情ひとつ見せずに桜花はいつも通りだ。そんな桜花の態度も気に障ったのか、須藤は足音をわざとらしく大きく鳴らして威圧する。


 翔はここまで響いてくる須藤の声を聞き、どうしてこの光景が引き起こされてしまったのかを察した。


 明らかに翔が引き金になってしまっている。


 須藤は桜花にまた一歩、間合いを詰める。体躯が良く、口が悪い須藤に迫られると翔でも恐怖を感じる。しかし、桜花は感じているのだろうがおくびにも出していなかった。


「用はそれだけですか?」

「まだだ。まだ桜花はどこに行くかを俺に言っていない」

「言う気はありませんし言う必要も無いでしょう。あとどうして名前で呼ばないでください。馴れ馴れしい」


 言葉で心にダメージを負わす桜花は穏便に済ませようとしていた態勢から攻撃的な態勢へと切り替えたようだ。


 好意を持っている相手から「馴れ馴れしい」と言われた須藤は手の関節を鳴らした。青筋がぴきりと浮き彫り立つ。


「おまえ……見てくれがいいからって調子乗ってんじゃねぇぞ?」


 言うが早いか須藤は思い切り桜花の顔ギリギリのところに素早く張り手をする。

 鈍い音と衝撃音、そして、初めて桜花は須藤に恐怖を感じた。


 今のところは桜花自身に手を出すことは無いだろうが、頭に血が上ってしまった場合、それも絶対とは限らない。


「なぁおい。何とか言ってみろよ?響谷にばかり気にかけてよォ!」


 ダァン!

 もう片方の手で桜花の退路を塞ぐように同じく壁に張り手をする。


 所謂、壁ドンと言われる形だが、この二人にそのような甘ったるい関係は皆無だ。


「響谷くんは……熱が……ありました……から」


 途切れ途切れに言葉を紡ぐ桜花。恐怖に対して足の震えを抑えようとするのに精一杯で目を背けようと必死だった。


「そんなことをいわせてぇんじゃねぇんだよ!わっかんねぇか?」


 須藤は右手で桜花の顎に触れ、強引に目を合わさせる。


 桜花の両目からは耐えられなくなった二筋の涙が零れ落ちていく。


 翔は遠目ではあったが、ハッキリと視認した。そして、怒りが湧いた。


 翔を気にしてくれていただけの桜花がどうしてあのような脅迫まがいの事をされなければならないのか、という理不尽への怒り。


 翔の意志とは裏腹に全くとして動こうとしない石のような身体に対する怒り。


 熱があるから、なんてただの言い訳だ。


 そして何より、桜花を泣かせたという怒り。


「分からないならちょっと痛みでも味わってもらおうか。そうすれば俺がさっき受けた心の痛みも分かってくれるかもしれないしなッ!」


 須藤が振りかぶる。

 桜花が目を閉じる。

 翔は止めるべく思い切り駆けた。

 もうこれ以上桜花に触れさせることも傷つけることも許さない。


「ちょっと待てよ」


 須藤の声でも翔の声でも桜花の声でもない新たな声が耳に響く。

 しかし、新たな声だが聞き馴染みのある声。


 見ると、カルマが須藤の振りかぶった腕をがっしりと掴んでいた。


「これ以上、女子を泣かせるのは感心しないな」


 間髪入れず、須藤がカルマの方を向いた時とほぼ同時に掴んでいない方の手で顔面に一発見舞う。


「うぉおおおおおッ!」


 よろけて顔面を抑える須藤にようやく追いついた翔がタックルを喰らわせた。


 ロクな受け身も取れなかった須藤は廊下にそのまま倒れ込み、後頭部を強打した。


「死んだみたいな音がしたぞ?」

「これぐらいで死ぬかよ……」


 カルマに物騒な事を言われるが、後頭部強打では流石に死ねないので、普通に返す。

 急激に動いたせいか頭がぼーっとし身体が物凄く熱かった。


「カルマ」

「ん?何だよ」

「須藤よりも力あるよな?」


 翔は須藤に覆いかぶさったままだと大いに誤解されてしまう可能性があったので、すぐに立ち上がり、カルマに先程のことを訊ねた。


「さぁ?比べたことがないから分からない。ただ、力は比べるものじゃなくてこうやって守るために使うものだと思っている」

「真面目か」

「まぁ、それよりも」


 カルマが目配せする先には腰を抜かしてへたり込む桜花の姿があった。


「大丈夫か?」

「響谷……くん」

「怪我はないか?」

「大丈夫……です」


 手を差し伸べると、桜花はその手を取った。

 力強く引っ張ってやると立てはしたものの、よろよろと翔へと倒れ込んだ。


「ご、ごめんなさい」

「気にするな。双葉の方が苦しい怖い思いをしたんだ」


 翔は抱きしめてしまいたい衝動に駆られた。しかし、翔自身がそろそろ立っているのも辛くなってきていたので、やめておいた。


 こほん、と大袈裟な咳払いが聞こえる。


「その絵面は一生見ていられるが……そろそろ、な?」


 桜花はカルマの存在に今気づいた様で、慌てて翔から離れた。


 伸びてしまっている須藤を運ぶカルマの友達と、須藤のあまりの大声に興味を持って集まってきていたガヤ達が翔達のことを見ていた。


「さっさと言えよ」

「俺の目の保養もいるだろ?一応、貢献者だし」

「なら、最後まで頼む」


 翔はふらっと倒れ込もうとしたところで支えられる感覚を感じた。

 カルマが奇しくも桜花が運んでくれたのと同じ体勢で翔を抱えた。


「私が……」

「いいよ、双葉さんは教室かトイレかで休んだ方がいい」


 カルマの言いたいことは一人になって落ち着きな、だろうが言い方に難があった。


 翔から見れば桜花は分かりやすく凹んでいたので、


「放課後に、迎えに来てくれるか?」

「はい」


 桜花は嬉しそうに微笑んだ。

 涙の跡も相成ってか、相当に美しかった。


「見とれんなって」

「うるさい」

「さっさとくっつけ」

「うるさい」


 軽口を叩かれながら翔は保健室へと戻っていくのだった。

 因みに水筒はカルマに往復させて持ってきてもらった。

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