第3話「電車で揺られる身体と心」


 何とか遅刻一本前の電車に乗り込むことが出来た翔達は安心して一息ついた。


 初日から遅刻は翔は勿論、桜花も避けたいところだろう。思い切り走るようなマネはしなかったものの、後ろをついてくる桜花をあまり気にしていなかったので、翔は謝罪を口にした。


「少し急ぎすぎたな、ごめん」

「いえ、あのくらいなら私もついて行けますから大丈夫ですよ」


 桜花が笑顔で大丈夫と言ってくれたのに思いの外、安心して、翔の矛先は自分の母親に向かった。


「初日からバタバタだ……全く。もう少しスマートにしたかったのに……」

「私が来るのを響谷くんは知らなかったのですか?」

「ん?あぁ。今日の朝っぱらから慌ただしく片付けしてて、それで問いかけたら……」

「私が来ることを知った、と」

「そういう事だ」


 翔は席が空いていたので桜花に座らせようと手招きした。

 桜花は辺りをきょろきょろと見回し、自分より座る優先が高い人がいないかを確かめたあと、「ありがとうございます」と席に座った。


「色々とごめんなさい。驚かしてしまって」

「謝ることじゃない。伝えてくれない母親のせいだ」

「それもそうですが……。私が今日から一緒に住むことになることです……」


 申し訳なさそうに言ってくる桜花に、翔はどうしてそんな思い詰めているのだろうと不思議に感じた。


 ここに至るまでの経路で様々な事があったのは聞かなくても分かる。そしてこの結果となったのならそこに、口を挟むことは出来ない。


 翔はあの家に生まれたが、住まわせて貰っていると思っている。それが、翔の訊ねたい衝動を抑えていた。


 それでも母親に対しては抑えなく聞くつもりでいたが。


「気にするな。前に知らされなかったのは僕がそれを知らなくていいと両親が判断したからだ。だから、双葉が気にすることはない」

「気にならないのですか?」

「気になるさ。けどそれで地雷を踏み抜くのは避けたい」

「正直ですね」

「悪いか?」

「いえ、いいと思いますよ」


 さり気なく呼び捨てしたが、釘を刺されることもなかったので認められた、と勝手に思うことにしよう。


 翔は言いたいことはハッキリ言うタイプだ。

「言う」が「言ってしまう」になるかは時と場合によるが、それでも男子の中ではよりさっぱりした性格だと言えるだろう。


 先程の「地雷を踏み抜くのは避けたい」も本心であり、せめて踏み抜くなら他人との会話にしておきたいというのが本音だった。


 翔にとって、突如降ってきた同居する美少女なのだ。初めから嫌われたくはなかった。


「楽しみだな、高校」


 楽しみと言う割には少ししみじみとした雰囲気で語る桜花。カバンに付けたキーホルダーに触れる。


「好きなのか?そのキーホルダー」

「わ、分かりますか?」

「まぁ。それだけ色褪せてれば愛着があるんだろうな、ってことぐらいは」

「昔、大事な人からもらった大切なものです」


 大事な人、ねぇ。

 普通の家庭ではないことは今日からお世話になられる身としては予想がつくが、一体どこが普通では無いのかがわからないため、深く切り込むことが出来ない。


 これが男なら、好感度度外視でズバズバ行けたかもしれないが、少なくても家でこれからも関係がある人物にそんなこと出来るはずもなく。


「クマ、か?白いけど」

「ホッキョクグマじゃないですよ。クマですが」

「何で白いんだ?」

「特別、と確か言ってました。特別版か何かなのでは?」

「ふぅん」

「アルビノ個体ですかね?」

「その大事な人には聞かなかったのか?」


 桜花は両手でキーホルダーを包み込み、翔と目を合わせた。

 翔は何となく桜花の方を向いていたため、目が合ったことに驚きを隠せなかった。


 何かを訴えたそうな表情、というより目をしていたが、翔はそれが何なのか読み取ることは出来なかった。


「聞けたらよかったのですが」

「無理なら仕方ないな」

「ところで響谷くん」

「ん?」


 唐突な話題転換に多少強引さを感じながらも地雷と隣合わせの話をいつまでもする気はなかったので素直に応じた。


「電車に乗車している時間は結構長いですか?」

「あぁ、あと20分ぐらいかかるはずだ。その後、駅から歩いて約10分ってところかな」

「ありがとうございます。明日からは単語帳が要りますね:


 平然と語る桜花に翔は目を丸くせざる負えなかった。

 勉強はテスト前にがっついてやればいいと思っていたのだが、今の桜花の発言はその考えを根底からぶち壊すのに充分だった。


「勉強……するのか」

「えぇ。高校の勉強は難しいと聞いていますので」


 何を当たり前のことを聞いているんだ、と言う風に答えられ、言葉を失う。


 翔も中学時代の成績は悪い訳では無い。だから少し背伸びをして進学校に入学を決めたのだが、本当に頭の良い奴というのは目の前の桜花のような人のことを言うのかもしれないと、翔は真面目に考えた。


 だが、簡単に明日からは翔も見習って単語帳を広げよう、なんてできる訳が無い。

 それが出来れば悪い習慣に気をつけろ、なんて言われない。


「はぁ……。頑張れよ」

「他人事ですね。とやかく言うつもりは無いですが、響谷くんもやってみてはどうですか?」

「う〜ん……。まぁ考えとく」


 丁度あと一駅というアナウンスが流れ、翔は答えを流すことに成功した。

 ただそれが本当に成功と言えるのかと問われれば間違いなく失敗である。


 翔は翔の中で勉強に対してこれほどまでに拒否反応が出ることに驚いていた。いや、折角通学中に話し相手ができたと内心喜んでいたのに、それが早速叶わない夢となってしまったことに落胆しているのかもしれなかった。




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