女子マラソンの日


 ~ 四月十六日(木) 女子マラソンの日 ~


 ※旱天慈雨かんてんじう

  苦しい時に超嬉しい恵みの雨



 体力測定ってやつは。

 全力を出しにくい。


 これはさぼってるって意味じゃなくて。

 握力とか。

 肺活量だとか。


 最大限の力を込めはするが。

 『全力を出している』

 そう括るには。

 もう一つ、物足りねえって意味だ。


 そんな中。

 たった一つだけ。

 『全力を出している』

 そう言い切れたのがこれ。



「いやー、出し切ったな!」

「あたしもへとへとよん!」


 千五百メートル走。

 たかがトラック七周半と。

 舐めてかかったら。


 最後の一周半。

 三百メートルがなかなかヘビーだった。


 それもこれも。

 先頭集団四人に。

 女子が一人混じっていたせい。


 こいつにだけは負けてたまるかとムキになって。

 全力で走った俺たちに。


 ヘロヘロになりながらも。

 ぴったり付いて走ったローツイン。


 その根性は大したもんだ。

 感心しちまったっての。


「保坂、足はやーい! 何かやってた?」

「別に何もやってねえけど、そう言う夏木の方がすげえよ。男子並みじゃん。何かやってたのか?」

「あたしは何にもやってないよん! でも、このあたしが負けるなんて……、はっ!? そうか分かった!」


 何を分かった?


「さてはサッカーやってたな!」

「聞けよ人の話。やってねえって」

「それじゃあ速いのも頷けるわ!」

「だから聞けって」


 相変わらず。

 きけ子は他人の話を聞きやしねえ。


「ポジションはどこ? チアガール?」

「あれを十一人に入れるんじゃねえ。ぜってえ目指さねえよそんなポジション」

「そういえば、この学校のチアガール、ユニフォームが超セクシーって噂よん?」

「それを先に言え。目指すぜサッカー選手、奪うぜチアガールのレギュラー」


 毎日間近でセクシーお姉さんを見れるなんて。

 夢のような学園生活じゃねえか。


 ……そんな与太話してる間に。

 パラガスたちが目の前を横切ってく。


 隣の席同士でタイムを計ることになってるから。

 俺が手にしたタイマーは舞浜のタイムを。

 きけ子のタイマーはパラガスを計測しているんだが。


「あれ? お前、タイマーどうした?」

「長野っちがさ、『じゃあこれ頼むわ』って押し付けて来たんだけど酷くない!? 自分で返しに行けっての!」

「……そうか。でも優しい夏木さんがそれを持ってねえってことは」

「そう! 代わりに先生に返しておいたわよ! 偉くない?」


 あわれ。

 あえぐように走るパラガスは。

 説明を聞いてなかったこいつのせいで走り損。


 せめてもの情けだ。

 気持ちよく完走させてやろう。



 さて、そんなどうでもいいことは置いといて。

 舞浜はどこだ?


 中央集団にもいねえし。

 その後ろの集団にもいねえ。


 あれ?

 どこにいやがる。


 スタートを見た限りじゃ随分遅かったが。

 いつの間にか急加速して先頭集団に?


 まさかと思いつつ、先頭集団を目で追うと。

 その中に、見まごうことのない飴色の髪がなびく。


 だから、俺は思わず。

 大声をあげちまった。



「おっせえ!!!」



 先頭集団に次々と抜かされて。

 あっという間に周回遅れ。


 あいつ。

 運動ダメな子なのか?


 呆然としながら。

 舞浜を見つめていた俺に。


 きけ子が声をかけてきた。


「あちゃあ、遅いねぇ舞浜ちゃん。でも、しょうがないのよん」

「しょうがない? なんか理由があんのかよ」

「おっぱいの大きい子は足が遅くなるように、神様が呪いをかけてるから」

「神が呪いかけちゃダメだろ」


 滅茶苦茶言うな。

 あと、舞浜の、揺れる空気抵抗をにらむな。


「ってのは冗談でね? 舞浜ちゃん、もうそろそろ五キロくらい走ってる計算になるからね」


 ……は?


「なんで?」

「体操服忘れたから、家まで取りに帰ったのよ」


 うそ。


「二時間で?」

「二時間で」


 それで一、二時間目いなかったのかよ。

 無茶苦茶しやがる。


 でも、電車ん中っていう休憩時間はあったかもしれねえけど。

 一人だけマラソン走ってるようなもんじゃねえか。

 それじゃ、あのスピードもやむなしだ。


 改めて舞浜の走りを見てみれば。

 遅いけど、きっちりとした美しいフォーム。


 あれで万全だったら。

 相当速かったにちげえねえ。


 どうにか。

 応援してやりてえもんだが。


 ……そうだ。


 マラソンと言えばこれだろ。


 舞浜に必要そうなものと。

 笑いとを。


 ダブルでプレゼントだ!



 医者がスタンバってるテントの後ろから。

 予備のテーブルとウォーターサーバーを抱えて持ってきて。

 俺がトラックの脇に作ったもの。



 給水所。



 通り過ぎる先頭集団の連中は軽く噴き出してペースを落とし。

 中央集団は足を止めてコップを手に。

 爆笑しながら水をあおる。


「バカなことしてんじゃねえよ!」

「あー、おもしれ! でもスポドリくらい欲しいとこだ」

「なに言ってんだよ、それじゃ応援することになるだろ。俺は邪魔してるだけなのに」


 そんな言葉に腹を抱えて笑いながら。

 騒がしい連中が給水所を後にすると。


 入れ替わりに。

 一番ここにきて欲しかった奴が。

 ふらふらと寄ってきて。


 コップを一つ手にすると。

 まさに旱天慈雨かんてんじう

 美味そうに。

 あっという間に飲み干しちまった。


「よっぽどのど渇いてたんだな。ほら、お代わり」


 そしてもう一つ、舞浜にコップを差し出したところで。

 長机にもう一人。

 体ごともたれかかってきた女性客。


「ぜー! ぜー! も、もうダメだし! ちょっと休憩……」


 そんな子を見つめてた舞浜が。

 ふっとキザっぽい表情を浮かべると。


 彼女を指差した手を頭上にかざして。

 俺を見ながら指パッチン。


「うはははははははははははは!!!」


 まったく、こいつはいつもそう。

 俺のネタより。

 もっとおもしれえ事を考え付きやがる。


 仕方がねえから、コップに水を満たして。

 ぜーぜー喘ぐ子の前に置きながら。


 俺は、キザったらしく言ってやった。


「…………あちらのお客様からです」


 そして、軽くコップを掲げる舞浜に。

 ほんのり頬を赤らめる女子。


 バカな茶番に腹を抱えて笑っていた俺ときけ子は。


 バーを勝手に開店した罪で。

 放課後の間ずっと。

 職員室でお茶汲み係をさせられた。



「あちらのお客様からです」

「やかましい。ケチな教頭がおごってくれるわけないだろう」



 …………俺のせいじゃねえぞ。

 あんたが立たされたのは。

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