歯垢なしの日


 ~ 四月七日(火) 歯垢なしの日 ~


 ※英華発外えいかはつがい

 内に秘めた才能が、今、溢れ出す



 昨日。

 入学式の朝。


 生まれ育った東京とは比ぶべくもない。

 すっかすかの電車の中で。


 俺の頭の中を。

 ぎっちぎちに満たすものと出会っちまった。



 可愛いカバーが付いた携帯に。

 目と心を奪われて。


 その大人びた美しさに。

 思考と時間を奪われて。



 ――隣の席に座って。

 飴色の髪を肩に滑らせる。


 いつでも微笑を浮かべた女。

 舞浜まいはま秋乃あきの



 俺はこいつを。



 本気で笑わせてやりたい。



 ~´∀`~´∀`~´∀`~



「よう、大将。昨日はあの後、何時間立たされたんだ~?」

「大将じゃねえ。立哉たつやだ。保坂立哉」


 俺の一つ前に座るツンツン頭が。

 椅子の背もたれに肘を乗せて振り返る。


 その手に持ったおにぎりのでけえこと。

 砲丸かっての。


「えれえでけえな」

「背? よく言われるわ~」


 そうじゃねえっての。

 まあ、確かにひょろ長いけど。


「でけえおにぎりだって話しだよ。えっと……」

長野ながの拳斗けんと。ケンくんって呼んでくれ~」

「呼ばねえよなんだよケンくんって。おかんか」

「母ちゃんは俺の事そんな呼び方しねえよ~」

「じゃあなんて呼ばれてんだよ」

「アスパラガス」


 げ。

 ひでえなおかん。


「悪かったよ。せめて俺はケンくんって呼んでやるから肩を落とすな」

「ウソぴよ~」


 ……ウソぴよ~、じゃねえ。

 へらへら踊るないらつくわ。


「よし決めた。てめえのことは『パラガス』と呼ぶことにする」


 勘弁しろよとすがるこいつの手。

 ほんとにひょろっと長くて真っ白だ。


 そんな手に握られたおにぎりが。

 よく見りゃめちゃくちゃな量の海苔で巻いてある。


「すげえなパラガス。よくそんな海苔ばっか食えるな」

「やめてくれよ~。パラガスって呼ぶなよ~」

「質問に答えろよ。噛み千切るのも辛そうだ」

「そうか~? うめえよ、海苔。お隣りさんだって食ってるじゃねえか」


 そう言われて舞浜に視線を移すと。

 こいつは俺たちの顔を交互に見つめた後。

 慌てて弁当箱に蓋しやがった。


 でも、実はずっとチラ見してたから知ってる。

 こいつの小さなエクレア型の弁当箱には。


 飯と。

 その上に敷き詰められた海苔しか入ってねえ。


 いいとこのお嬢様みたいな見た目のくせに。

 貧乏なのか?


 いや、貧乏ってはずはねえな。

 育ちの良さが所作ににじみ出てる。


 弁当に蓋する前に。

 箸を一旦ランチョンマットに置くなんて。

 どんなお嬢様だっての。



 ……そんなこいつのすました顔を。

 しわくちゃになるほど笑わせてえ。



「なあ、パラガス。今のはデリカシーねえんじゃね?」

「あはは、悪いな。気にせず食ってくれ~」

「そう言いながらずっと弁当箱見てたら食えねえだろが」


 前向け、前。

 俺は手振りでパラガスを追いやって。


 昨日の残り物で埋め尽くされた弁当をかっくらうと。


 トイレに行って、歯磨きもせずに。

 完璧な笑いのネタをセットアップ。


 凜々花りりかも爆笑しながら。

 『次の時代は、えよりバカだ』と。

 手放しで喜んでくれたこのネタ。


 そいつを、この昼休みの間に……。



 キーンコーンカーンコーン



 おっとやべえ。

 急いで戻らねえと。


 廊下をダッシュして。 

 後ろの扉から教室に入って。


 窓際の一番後ろ。

 自分の席に腰かけて隣を見れば。



 まだ食ってんのかよ弁当!



 危うく俺は笑いかけちまったが。

 こいつにとっちゃ死活問題。


 先生が扉を開くのに合わせてなんとか口に押し込んで。

 弁当箱を鞄にしまって教科書を机に出してる間に。


「あー、ではこれから授業を始める」


 全然英語の先生に見えねえ担任が。

 真新しい教科書を開いちまったんだが。



 こいつ、ずっともぐもぐ口を動かしっぱなし。


 

 ……おお、いいじゃない。

 不意打ちには最高のシチュエーション。


 今こそ俺の英華発外えいかはつがい

 この笑いの伝道師の手腕をもって。


 作り笑いみてえな柔らかい笑顔。

 なんだか仮面みてえなその顔を。



 無様に笑わせてやるぜ!



「……おい、舞浜」


 小さな声に似あう力加減で。

 軽く肩を突いてやると。


 ビクッと体を強張らせて振り向いた舞浜が。

 その栗色の瞳に映すものといえば。



「にいっ」



 歯垢検査薬まみれのピンクっ歯。



 …………あれ?

 笑わねえ。


 それどころか。

 こいつはわたわた慌てた後。


 もごもごと口の中で何かを動かして。



「に……、にいっ」



 笑い返してきた前歯二本に。



 海苔。



「うはははははははははははは!!!」

「…………保坂、立ってろ」

「だってこれ! 前歯って神が与えた最強の笑いのツボ!」

「うるさい。とっとと廊下へ行け」


 ちきしょう、二連敗だっての。

 明日こそぜってえ笑わせてやる。

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