補遺『楓待つ山吹』6


   *


 先輩はそのあと数日のうちに何度か特高の取り調べを受けた。

 あんなことがあった後だから、私は決意した通り先輩に同行する。

 この案には部長も強い賛意を示して、三人で人通りの多い場所を通って何度か警察署へ通うことになった。

 しかし部外者の私と部長は取調室への立ち入りまでは認められなかった。

 特高の取り調べが強引で一方的だというのは帝都の誰もが知っている。

 だから楓先輩を一人で行かせるのには大きな抵抗があった。

 先輩が尋問拷問その他の方法で責め抜かれるのは我慢ならない。

 そうした懸念を察してくれたのか、坂下探偵が部長や私の代わりに立ち会ってくれるという。それに市谷少年も先輩と同時に取り調べを受けるというので、大丈夫だろう。


 あれから私は少年になんとなく親身の情を覚えていた。

 ぎゃあぎゃあと騒がしいところなどそっくりで(と、やんわり部長に指摘された)、似た者同士、もっといえば弟ができたように思われたのだ。

 お姉さんと呼ばれたから、というのが理由ではない。

 実際の弟と違って身近にいるわけでもないから、近しい他人として気楽だというのが大きい。

 本物の兄弟姉妹の間柄というものはもっとがっちりとしていて、時には相手を強く縛り付けてしまうものだから、それがない私と少年は気安い間柄だった。


 部長は機構やその他の関係する役所などに掛け合って色々な書類を作りはじめた。

 もちろん私も進んでお手伝いをした。

 書類作成にあたっては、帝都の入管や外務省の極東局東原とうげん課、葦原あしはら大使館(楓先輩は葦原の生まれなのだ)などに赴いた。

 そこで必要な謄本を取ってきて、これらをまとめて特高に提出する。

 この書類の束が『楓先輩が帝都に初めて来た』という嘘偽りない証明になるのだ。

 だけどなんでうちが方々に確認を取らなきゃいけないのだろう。

 そういう調査も自らの足でするのが、警察の偉い版の特高なのではないだろうか。


 楓先輩が特高にどういう嫌疑をかけられているのか、そのあたりは誰も教えてくれないし、聞いても答えてはくれなかった。

 楓先輩に聞くのはさすがに気が引ける。

 きっとイオウギ捜査官の部下の、あの偉そうな安背広の捜査官が最後まで意固地いこじに疑っているのだろう。もしまたあいつが姿を見せたら、楓先輩に代わって渾身の蹴りをすねに入れるぐらいは許されるはずだ。

 その機会がいまに至るまで訪れてないのが残念だけど。


 私たちは東部市中央署の正面玄関の隅で先輩が出てくるのを待っていた。

 署内では暖房が全力稼働している。

 一週間ほど前までは市営放送が東部市だけの局所的な暖冬だの、《時計塔》の予測を外した異常な気象だのと事あるごとに伝えていたけれど、ここ数日ですっかり収まったという。

 といってもやっぱり小数点以下の出来事で、体感の寒さは全然変わらない。

 ともかく《時計塔》が予報した通りの気温の冬が遅れてやってきたらしい。

 私には楓先輩が凛冽りんれつとした冬を連れてきたように思えてならなかった。


 冬の寒さは厳しいけれど、私たちを引き締めるために必要なものだ。

 たとえば植物に開花期や落葉といった循環があるように、人にも同様の循環があってしかるべきなのだ。来るものは去り、やがてまた来て、いずれ去る。

 もしかしたら私は楓先輩の帝都来訪と、事件による連れ去り、そして帰還という一連の行為に、巡りの縮図のようなものを見出し、早くもいずれ去る楓先輩を予見しているのかもしれなかった。


 ……いや、あまり先々を考えるのは私らしくない。

 どうなるかも分からない未来を悲観して落ちこむのならば、今を懸命に享受するほうがよほど健全だ。

 それにもっと身近なことを喜んだ方が心の栄養にもなる。


 喜べるような出来事。

 そう、楓先輩の取り調べが今日で終わる。

 おそらくそうなるだろうと、イオウギ捜査官が言っていたそうだ。

「ねえ、部長は特高や帝探協ていたんきょうも交えて今回の一件について話し合ったんでしょう? どんな内容だったんですか?」

 部長は一瞥もくれずに答えない。予想できていた。

「私だけけ者みたいで納得いきません」

「事件事情に好きこのんで首を突っ込むものではないよ。探偵でもないのだから」

「その探偵ですけど、結局あの坂下探偵って人はなんなんですか? 取り調べとかに関する動きを見てると、まるであの人が先輩の事件を担当しているように思えるんですけど、本当に神楽坂探偵の助手なんですかね……」

 あわよくば神楽坂探偵のお目にかかれるのでは。

 そういうよこしまな考えもあったが、どうしたわけか坂下探偵ばかりが出てくる。健全な微笑に似合わない煙草を咥えている、人のよさそうな長身の探偵。煙草を吸う場所は弁えているし、荒っぽくもないしで、悪い人ではない。

 けれど、なんだか掴みどころがなくて頼りない気もする。

「探偵の事情なんて僕にはさっぱりだよ。ただ――」

「ただ?」

「一つだけ吹子さんに教えられるのは、話し合いの場に出てきたのも坂下探偵だったよ」

「え? 神楽坂探偵には?」

「一度もお目にかかっていないよ。碩学級探偵というのはよほど多忙なんだろう。だから外回りや特定の案件には個別の担当者をつけているんじゃないかな。坂下探偵のような助手に連絡や事務、渉外を担わせて、自分は事件の解決に専念する、そういう分業制なのかもしれないよ、神楽坂探偵ってのは」

「それじゃ、まるで会社みたいじゃないですか。神楽坂探偵がそんな事務的な人だとは思いたくありません」

「個人のことはともかく、探偵ってのは会社でしょう。個人事業主なんだから」

「そんな夢も希望もないことを」

 納得がいかず膨れていると、

「それよりほら、戻ってきたみたいだよ」

 部長が指差す先、楓先輩が廊下をこちらへ進んでくる。

「楓せんぱぁい!」

 呼ぶとこちらに気付いてほほ笑んでくれた。

 頬のつりあがりが絶妙です、先輩!

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