第二十三章『道化師問わず語り』

 まわる。

 廻る。

 映写機がカタカタと音を立てながら廻る。

 無数の蒸気管が通されたどこかの通路で。


 仮面で顔を隠した男が一人、煤のついた衣服のまま何かを見ながら手を叩いている。

 男は笑みを浮かべて、視線の先に乾いた拍手を送りつづける。

 道化のごとき面相の、白い陶製とうせいの仮面がひび割れている。襞襟ひだえりを巻いた真紅の燕尾服は焦げ、天幕から焼きだされた哀れな道化師のごとく見せている。

 だが、その姿はけして憐れみを誘うようなものではない。

 焼け出された姿は狂気に充ち満ちて、観客を恐怖させるものに他ならぬ。


 道化師には名前がなかった。

 かつて全てと共に捨て去ってしまったのだと彼は言う。

〈結社〉の序列にも彼の名は存在しない。

 ゆえに組織のしきたりに縛られず、誰からも閣下という敬称を用いられない。

 しかし彼が〈結社〉において伝言役を務める幹部であるという事実、そして一部の幹部たちが嫌々ながらも口にせざるをえない《無銘道化師》という号が、ここに立つ彼の存在を確たるものとしていた。


「演目はこれにて終わりでございます。いかがでございましたでしょうか?」

 道化師が嘲笑を交えてうやうやしく一礼する。

 すぐ脇に置かれた映写機の向かい側には一脚の安楽椅子が置かれている。

 老人が目を閉じて座っていた。


 投影された映像は、煉瓦レンガの壁を薄明るく照らすだけで明確な像を結ばない。

 その映像は彼らの組織にとっての青写真であった。

 四半世紀前に産声をあげた時から、あるいはそれ以前から望まれていたもの。

 だが映写されるべきものは像を結ばず、それを見る者もここにはいない。


 映写機がかたんと音を立てて終わる。


 再演はない。

 繰り返す。

 再演はない。


 老人は目を閉じたまま何も言わず、かなたを見上げた。


「ほう、お嬢さんは〝閣下〟の視線に気づいておられるようですな」


 道化師もはるか上方、いままさに崩落しているビルの方を見る。


「しかし〈扉〉が閉ざされたいま、お嬢さん方の記憶も閉ざされ、曖昧なものとなりましょう。さすれば〝閣下〟と会われたという事象も意識の奥底に沈みます」


 天井の遠近おちこちからさらさらと砂が流れ落ちている。

 まるで砂時計の底にいるようだった。

 上に建つビルが完全に崩壊すれば、ここも瓦礫に呑まれるだろう。


「それにしても、あの極東からのお嬢さん、我々としては本当に良いものを拾いましたな。《時計塔》の視認と端末との接触であれほどの高い感度を示すのならば、予備の触媒としては十分すぎるほどでしょう。端末越しとはいえ〈扉〉を開けて直々に動いた甲斐があったのではございませんか」


 本命となる触媒の二人はすでに監視下にあるが、大業に臨むにあたっては全てを入念に準備しなければならない。その中でも予備の確保は最優先課題であった。


「確保だけは誰にも任せられず、しかもそれを優先するあまり〈地下炉〉を破棄されるとは、三年前の頓挫とんざが随分と効いておられるようですなあ! しかしそのために何も告げられないまま一方的な計画変更を食らった《猟奇博士》閣下はとんだ災難でございました。もっとも猟奇閣下が計画を独断で進めていればこそ、お嬢さんの来訪とたまさか被ったのも事実。挽回の機を設けねばなりますまい」


 上方から激しい音が鳴り響いてくる。いよいよ崩壊が近い。


「わざわざ〈扉〉を用いて端末を併存させて、片方で《軍団卿》閣下をひきつけ、もう片方でお嬢さんに再会という形で接触を図るとは、いたくお焦りで」


 計画はまた練り直して再開すればいい。

 しかし見つけた候補を取り逃がせば次はいつになるかわからない。

 次がない可能性だって十分にありえる。

 大業の発心からすでに四半世紀。

 本命の発見からは十余年。

 大業の頓挫からは三年近く。

 しかし生命に与えられた時は有限。

 みるみるうちに残りが減っていく。


「偶然も後から振り返れば必然と申しますが、お嬢さんが〝閣下〟の端末にたまたま触れたことで、〈扉〉の向こうにあります御身おんみと〝共振〟、結果的にお嬢さんが元より備えていた感覚が鋭敏に研ぎ澄まされ、東部市からは見えないはずの《時計塔》が視えた」


 まさにその瞬間に決まったのである、〈地下炉〉計画よりも予備の確保優先が。


「確保に焦ったとはいえ御自おんみずから話しかけられるとは、〝閣下〟も人が好――」


 老人がさっと立ちあがる。

 道化師は口をへの字に曲げた。本懐たる侮言ぶげんをやむなく切りあげて、本題に入らざるを得なくなってしまったからだ。


「集積金剛体はこの通り!」

 懐から小さな金剛石をつまんで取りだす。

 思考機関に欠かせない情報のはこだ。

「《猟奇博士》閣下は装置の破壊をもって計画失敗だと断じておられましたが、〈地下炉〉計画の本旨――出力値の計測と記録は辛うじて成功しておりました」

 つまり《猟奇博士》は計画を完遂できていたのである。

 その事実に道化師がけらけらわらって手を打ち鳴らす。

 祝福するかのように。喝采するかのように。


「さて、それはそれとして――」


 手短に本題を済ませた道化師は口元を歪める。


「こうも続けて《名優》候補が現れるとは、一挙に〈混沌なる黄金〉の訪れが近くなりました。もっとも彼女たちが真に《名優》たらんとするのかは、まずまずの手順を踏んで見守らなければなりますまいが」


 どこかへと歩いて行く老人に向かって、道化師は耳を傾ける仕草でうなずく。


「なるほど。〝閣下″も同じご意見であらせられますか。玉石いずれになるにせよ、楽しみでございますなぁ! あぁ! ようございます! ようございますとも!」


 安楽椅子の上には金色の勲章だけが残った。

 歯車の上に柏葉と動輪を模した勲章はよく磨き抜かれている。

 さぞ大事にされていたのだろう。

 しかしいまや〈黄金〉に至った老人にはもう価値がない。

 勲章とは過去の栄光を塗り固めたものだ。

 過去をたのみとする〈黄金〉への依存を強固にする。

 だが、それはとうにすぎた〈黄金〉の結晶でしかない。

 再び〈黄金〉を手に入れた身にはもはや不要なものだった。


「それでは、我々もこれにてこの舞台を降りるといたしましょう」


 嘲笑を顔に貼り付けたままの道化師が指を鳴らして去っていく。


 かちんきかんちんきかちんきかちん……


 そのすぐ後を、仮面をつけぬ人形が呻きながらついていく。

 砕かれたはずの足を引きずりながら、まるで道化師に付き従うかのように、

《猟奇博士》を背負いながら……。


   *


 東部市で起こった廃ビルヂングの倒壊。

 明け方に突如とつじょとして起こったこの出来事は当日の朝刊に間に合わなかった。

 新聞社は夕刊に備えて記者を派したが、駆け付けた記者たちが見たのはすでに特高と帝都警察により封鎖された現場であった。そのため情報は最初から警察発表に絞られた。

 それによると倒壊の原因は老朽化であり、誰も巻きこまれた者はいないとのことである。

 またそうした事件性の無さに加え、発生した場所が東部市のうらぶれた区画であること、他の建物を巻き込まなかったことが、この出来事をより地味なものに仕立て上げていた。

 要するにこの一事は世間の目を引くような事件性をことごとく欠いていたのである。そのため他に大きな事件がない一日であったにもかかわらず、建物の倒壊は夕刊の一面を飾らなかった。

 そんな具合の出来事なので新聞社もすぐに興味を失ってしまった。


 ただ、ある新聞の社説がビルヂングの老朽化と東部市の再開発の遅れを絡めて指摘したところ、市議会にあたる東部市運営員会でこの件が取り上げられた。

 しかし『諸要素を鑑み、特に重要度の高い区画から予算に基づき順次執行していく』という従来通りの方針が確認され、再開発の手続きや手順はなにも見直されなかった。

 進展があったとすれば年明けの三月に、東部市運営委員会が東部市中央駅の北区画の開発を決めたことくらいであろう。

 その決定にあたっては、同委員会のとある議員が強く関わったという。東部市選出のこの議員はそれまでさほど重要視されていなかった人物なのであるが、どういうわけか今回の一件で強い力を発揮したらしい。

 ちなみにその議員も所属していた〈東部市暖冬調査委員会〉は、年末が近づくにつれ暖冬であった地区の気温が下がり、以降は例年並みで推移するという状態を確認したのち、翌三十三年の二月末に解散している。

 そのころには廃ビルヂングの崩落などとっくに過去の出来事になっていた。

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