第十八章『戦争を招くもの』3

「悪用と犠牲か……、ところで蒸気大戦の原因を知っているか?」

「ぇえ? それは、大東和帝國が東欧に攻めこんだのが発端で」

 いきなり投げられた問いかけに、楓は面食らうもつい口を開いてしまった。

 博士にとってはもっけの幸い、彼女は話に乗せられやすい面があった。


「確かにそうなっている。だがそうなった遠因はさらに数年前に起きた欧州発の恐慌にある。ではその大戦が起こった要因のひとつ、この恐慌の原因は知っているかね?」

「……いえ、存じておりません。ですがそれが――」

「〈ねんぴょう機関〉だ!」

 話を戻そうとしていた楓を跳ね除けるようにして、《猟奇博士》が声を張り上げる。

「それと新型蒸気機関に絡む大国の身勝手な思惑がある」


「ねん、ぴょう?」

 初めて聞く言葉だった。ましてや新型蒸気機関というのも聞いたことがない。

 楓のつぶやきを聞いた博士は主導権を取り戻せたとほくそ笑み、そのまま畳みかける。

「石炭ではなく『燃える氷』を燃料とする機関の総称だよ。そもそも現代人は大きく錯誤しておる。現代において蒸気機関が全盛と謂われるのは『黒い金剛石』こと石炭の燃焼を最も効率的に活かせるからという理由にすぎん。ならば、だ、石炭に代わる高効率の燃焼物があれば、あるいは熱を取り出せる媒体が発見されればどうなるかね?」


「それ用の蒸気機関が作られる、でしょうか?」

 答える楓はもう完全に博士の術中にあった。


「惜しい。もう一歩突っ込むべきだな。新燃料に見合った機関が開発されて、蒸気機関を駆逐するのだ。そうなれば蒸気機関などただの旧式よ」

 たとえば石炭よりも効率が良く、持ち運びも容易な燃料があればどうか。

 仮にそのような物質が存在すれば、機関や文明の在り方は大きく変わるだろう。

「で、ですがそれと科学の悪用がどう関係あるのですか」

「かつて石炭にとって代わると嘱望しょくぼうされた燃料があった。北欧から東欧にかけての極寒の地に眠っていた『燃える氷』だ。そしてこれを燃料とする機関が〈燃氷機関〉だ。この機関のすごいところはな、『燃える氷』を直に燃やして稼働する点だ。石炭やら木炭でかまを焚いて蒸気を発生させ駆動させる、そんな回りくどい蒸気機関との効率は段違いなのだよ。そんな〈燃氷機関〉の制御技術はまだまだ未成熟であった。

 しかし欧州の〈三盟主〉――すなわちイングリーズ、グラン=ハンザ、ルーシー――は当時すでに蒸気機関による発展めざましかった大東和帝國の台頭を恐れ、〈燃氷機関〉の導入を強引に推し進めた。連中にとっては東の帝國など目の上のたんこぶだからな――」


 滔々とうとうと語られる内容に楓はつい聞き入ってしまっていた。

 先ほどの自慢混じりかつ専門的であった技術の話と異なり、歴史やそれにまつわる事件の話は彼女の興味を引くに足る内容であったからだ。

 もし博士が〈燃氷機関〉の話に終始していれば楓は早々に興味をなくし、再び場の主導権を取り戻していただろう。


「しかし欧州列強に〈燃氷機関〉がある程度普及したころ、かの碩学《全一ぜんいつ機関》が既存の蒸気機関を上回る性能を持つ新型蒸気機関を発表した。この新型は〈燃氷機関〉の性能をわずかに上回り、制御も安定していた。かくて〈燃氷機関〉は表舞台を追われる」

「性能差がそれほど大きくないのならば、その〈燃氷機関〉というものも併用すればよかったのではないでしょうか」

「機械だけを見ればそうだろうな」

 博士の口角が満足げに吊り上がる。

 いいところを突いた質問だったようだ。

「しかし世界は金で回っておる。『燃える氷』が採れるのは北欧から東欧の一部地域と分布が偏っていた。だからこそ〈三盟主〉も燃料を独占できる〈燃氷機関〉の導入に踏み切ったのだ。一方の石炭はどうだ? 世界の至る所に鉱山があり採掘が可能だ。この採掘地域の差がそのまま市場価格にかかってくる。

 すなわち『燃える氷』は高く、石炭は安い。それが明暗を分けた。

 燃料が安く手に入って、しかも〈燃氷機関〉よりも性能がよいのなら、誰だって使い勝手の良い蒸気機関を使うに決まっておろう」


「ですが欧州では〈燃氷機関〉導入に踏み切ったと」


「だから起きたのだ! 〈燃氷機関〉から新型蒸気機関へという揺り戻しがな。当然それは欧州経済に大きな爪痕を残した。これが世に言う世界恐慌の発端だ」


「しかしそれは戦争とは関係が――」


「大いにあるさ。〈三盟主〉をはじめとする列強は自国を恐慌から立ち直らせるために、東欧や南欧の植民地からの搾取を強めていった。そうした流れのなか、大東和帝國も欧州の混乱に乗じて植民地獲得競争に飛びこんで東欧へ攻め入り、後は蒸気大戦へまっしぐらだ」

「……経緯はわかりました。ですが、新型蒸気機関なんて聞いたことがありません」

「科学に夢を見る割には想像力が欠乏しておるな」

 まだ話を信用しきれない楓を前に、博士は勝ち誇るように鼻で笑う。


「よく考えてもみなさい、わたしが言った新型の蒸気機関が作られたのは蒸気大戦前夜ですよ。それから何年経ったと思っている?」

「およそ七十年ほどではないでしょうか」

「そんな昔のものをいまでもなお『新型』などと呼ぶかね? いまではその新型にさらなる改良を施した蒸気機関が、帝都どころか東和中にあふれかえっているというに!」


「あっ!」

 新型も時間を経れば量産され普及していく。

 すっかり定着したころにはもう『新型』とは呼ばれなくなっている。

 当たり前ともいえる言葉の修辞であった。


「貴様が言った通り蒸気大戦は直接的には、あるいは歴史学的な見地からすれば帝國が東欧に攻めこんだのが発端といえる。だがな、そうなる状況を整えたのは〈燃氷機関〉と新型蒸気機関だ。いずれも科学が生み出した子だ。すなわち科学の子が蒸気大戦を引き起こさせたのだ! そしてなにより、科学の総合芸術たる兵器群は先の大戦で飛躍的に進歩したではないか!」


 楓は圧倒されてしまい挟む言葉も出ない。

 相手を言い負かしていい気になった博士は、後ろ手にこっそりと、装置に接続された管の蒸気排出弁を握る。


「はたして蒸気大戦を人が科学を悪用した結果と言えるかね? わたしにはね、科学と歴史が人を弄んでいるとしか思えんのだよ。科学の徒? なるほどな、科学に縛られた愚かな連中が好みそうな言葉じゃないですか!」

 博士の舌はさらに回る。

「人のために科学があるのではない、科学のために人が存在しているのだ。それとてしょせんは神の御業みわざの猿真似にすぎん。人間がすることはすべて神の模倣にすぎん。ならばその猿真似が行き着く先とはどこか? 簡単だ」

 ここまで来ると博士自身も時間の引き伸ばしと藉口しゃこうに必死で、もはや自分が何を言っているのか正確に把握できていなかった。

「それすなわち神の御業の再現に他ならん!」


「神の御業? もしやあなたは教会の……」

「かつてはその技術を学ぼうとかじったこともあったが、信者ではない。だが、神の領域は目指すべきところでもある。なぜなら――」

 口からあふれる言葉に任せる。

 そこにはもはや論理的な思考などなかった。


「わたしが目指すのは人のくびきを越えし真なる科学、しん科学なのだから!」


 博士は神がかり的に口をついた言葉をほとばしらせていた。


「その礎となる〈地下炉〉の犠牲者など、神を疑い落伍した不信心者と同じだ」

「たとえどこの教えに照らしてもあなたは神などではありません」

「小うるさいわ俗物! もうよい、十分に時間は稼がせてもらった!」

 そう言って《猟奇博士》が弁を引き抜くと、装置の管から大量の蒸気が排出された。

 楓はとっさに二重廻にじゅうまわしを前面に掲げる。

 が、突然の蒸気をいくらか浴びてしまい、目鼻を焼かれるような熱さに顔を苦痛に染ませた。

 噴出時間が短かったのが不幸中の幸いであった。


「ほれ! 早くこの女を始末しろ! 我が猟奇式人形!」

 博士の指示が飛ぶやいなや〈喜色〉がようやく動きだす。

 楓は慌てて背後を振り返り、たっぷり湿った二重廻しに袖を通した。

 びしょびしょで気持ち悪い、などと言っている場合ではなかった。


 炎を挟んだ向こう側では、市谷も〈怯え〉にてこずっていた。

 牢の前にいた人形とは明らかに動きのきれが異なっている。

 それでも動きがいくらか直線的で、すばしっこい市谷としては避けやすいのが救いだった。

 ――坂下の兄貴ならなんともないんだろうけどよ

 市谷は銃を構えながらも安易に撃とうとしない。

 牢からは二丁を持ってきているが、弾には限りがありいたずらに消費できない状況だ。

〈怯え〉を確実に倒して、〈喜色〉も倒せるだけの弾数は確保しておかなければならない。


 ――博士がこっちにいるってこたぁ、特高野郎は無事に外へ逃げられたのかよ

 事実を知らぬ市谷は日進の行方に望みを託す。

 ――外へ出たんなら早く応援を呼びやがれっての!

 悪態をついて、〈怯え〉の動きをかわして銃床で殴りつける。


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