第十四章『暗き翳りへ』2

 ――まるで自ら闇に呑まれに行ったようにも見える

 との感をいだいた楓であるが、すぐに縁起でもない考えだと打ち払う。

「ちょっと、お待ちになってください!」

 放ってはおけぬと呼びかけても、もう答える者はいない。

「楓姉ちゃん、あんなの放っておいておれらも準備を整えて行こうぜ」


 二人で簡単に話した結果、日進が残した拳銃のうち一丁は楓が、残りの一丁と牢の前の人形を撃った時に手にしていた一丁の計二丁を市谷が持つことになった。

 射撃はおろか弓術の経験もないからと、楓は飛び道具の所持を拒んだが、緊急の護身用に持っておいたほうがいい、当てなくても敵の方にむけて引き金を引きゃそれで十分さ、などと散々なだめすかされしぶしぶ了承した。

「間違ってもおれの方に撃たないでくれよ」

 と市谷が冗談めかして言うが、生まれて初めて銃器を持つ彼女にはそれが真面目な注意に聞こえてしまうほどである。

 すぐ取り出せるように、楓は二重廻しの腰の部分のに入れた。まるでそこが元の定位置であるかのごとく、拳銃がすんなりと収まる。

 市谷は一丁を片手に、もう一丁を無造作にズボンに突っこんだ。大きな拳銃なので収まりきらずに銃床がはみだしている。上着の下には愛用の小型拳銃を収めたじゅうのうを身に着けているが、規格が違うのでとても入らない。ちなみにこちらは地上で人形を相手にした時点で弾切れになっている。替えの弾倉ももうない。


「二丁を両手で持たないのですか?」

 片手に一丁ずつ構えるものかと思っていた楓が質問する。

「姉ちゃんそれ本気で言ってる?」

「え? 違うのですか。てっきり――」

 言いかけてぐっと奥歯を噛む。紙芝居の主人公が両手に構えて交互に撃っていたから、それが普通だと思っていた、と、てっきり口にするのをおしとどめたのだ。市谷の否定的な聞き返しを耳にした時点で答えの予想はつく。

「この大きさの銃を一丁ずつ持って相手に当てられるなんて芸当、よっぽどのむきむき野郎にしかできないさ」

「ぁ、あっ、……そうなのですね」

 みなまで言わなくてよかったと楓はほっとする。もし口にしていれば、いい歳をして紙芝居と現実を混同している女と思われていたかもしれない。

「おれはそんな器用じゃないし、撃った反動に耐えられるほどの筋肉もないよ」

 大胆にも犯罪者から鍵束を盗んでみせる市谷が、器用じゃないと言うのがなんだかおかしくて、楓は失礼とは思いながらもくすりとほほ笑む。ほっとしたりほほ笑んだり、感情の変遷がめまぐるしい。

「何がおかしいのさ」

 市谷が唇をとがらせる。

「なんでもありません、準備も整いましたし行きましょう」

「あ、それは持ってっちゃだめだ」

 壁にかかった燭台を手に取ろうとする楓を市谷が制止する。

「ですが、薄暗いままでは見通しが」

「これくらいだったらすぐ慣れるよ。遠くの明かりもあるしな。博士が来る前だって火がなかったけどちっとは見えてたろ?」

 楓は無言でうなずく。目覚めてすぐの薄暗さの中で、ときおり訪れるかすかな明かりを頼りに牢の中を確認したのだった。

「見たところ通路に他の灯りがかかってない。そんな薄暗い通路の中で灯りなんて掲げてたら、おれたちはここにいますよって教えるようなもんだぜ。それに楓姉ちゃん、燭台を落としたり蝋が切れたりしていきなり灯りが消えた時のことを考えてみて」

 優しく指摘されて楓ははっと息を呑む。

「目が薄暗がりに慣れるまで、ちょっと時間がかかります」

「うん、で、慣れるまでの間こっちは無防備をさらす可能性があるわけで、そんなんじゃ灯りなんて持ってってもいいところなんかないよ」

 たとえ少年であろうと探偵の助手なのだ。市谷の考えや言い方を聞くにつれて、楓は深く感心する他なかった。彼を侮っていたわけではないが、いまその考えをまざまざと見せつけられて、そう思わずにはいられなかったのである。同時に己の浅い考えを思い知らされているようでもあった。

「俺たちがそんな危険を冒す必要はないんだよ。ま、あの特高野郎は自信があんのか灯りを持ってったけどな」

 ひょっとして彼がたいまつを手にしたのは、囮になるためでは。楓はそんなふうに思いもしたが、ただの推測でしかない。

「と、話しこんじまったな」

 市谷が通路の左右を見回してしゃがみこむ。

 疑問に思った楓が傍に寄ると、探偵助手は床にビー玉を置いていた。その行為が意味するところは楓にもわかった。地上に出るにあたってどちらが上なのか、傾斜で探っているのだ。彼の備えの良さに楓はまたも感心せざるを得なかった。

「うん、左に転がってくな。右に行こう」

 市谷はなんでもないふうに言ってビー玉を収めた。


 通路は二人が並んで歩くには十分な幅があった。

 市谷が右に、楓が左に立って進む。

 こんな具合に横並びなのにもそれなりに意味がある。

 楓を前に行かせると、前から何かが来た時に彼女が対応しなければならなくなる。

 といって後ろに行かせると、それも後ろからの対応に同様の懸念が残る。

 市谷が前を行っては、足を痛めている楓の歩幅に合わせるのにいちいち振り返って確認しなければならず、その間に前から何かがきたときの反応が遅れてしまう。

 結果として二人が並んで歩く隊形に落ち着く。

 これならば市谷も楓も互いに横目で確認しあえるし、それで前方への注意が疎かになる恐れもあまりない。背後から迫ってきた場合には……、前へ進む時点である程度の隙が出来るのは甘受するしかなかった。ただ、人よりも気配や殺気に敏感な楓は後ろへの警戒を最大にしていた。それで後ろから迫る気配を感知できれば、何もないよりはましだろう。


 ちょっと進むと、通路が左へほぼ直角に曲がっていた。

 こうして角に行き会えば市谷が前に出て、顔を地面に近づけて慎重に通路の先をのぞきこみ、しばらくそのままの姿勢で様子をうかがう。隣の楓は意識を研ぎ澄ませる。


 暗紛くらまぎれに見張りや巡回の人形はいない。


 その確認が取れてようやく二人は角を曲がる。

 二人が進む間にも地響きは断続的に鳴っていた。その度かすかに明るくなるのも変わりはない。ただ、明るさは牢にいた時よりも心なしか強くなっているようだ。

 二人とも慎重な足取りでそろり、そろりと進んでいく。


 ほどなくして通路はまたも左へ折れている。分岐はない。

 二人は角に出るたびに同じ動作を繰り返し、曲がってさらに先へ。

 楓は左足首に負担を与えないよう慎重に歩む。壁を支えにしての一歩は遅いが、足に負担をかけないのを考慮して、半ば壁に体重を預けながら遅々と歩まざるをえなかった。

 大事なのは腿と膝の重心の移し方だ。最初のうちはそれがかわらず、一歩を踏み出すのに随分な時間をかけていた楓であるが、やがて重心の動かし方を心得てくると、次の一歩までの間隔を少しずつ狭めていけるようになった。

 勘所かんどころをおさえてしまえば、ずきずきした痛みをほとんど覚えず進めるようになっていた。遅さには依然じれったさを感じるが、これは平素から歩くのが速い楓だからだろう。市谷は、「楓姉ちゃんに無理がない速さでいいよ」と言う。

 壁に手をかけながらよろよろと、左、右、右、左、左、右、左、……、一見不規則な足の運びは、左足への負担を避けるためで、同じ足が二回続くときは半歩ずつの進みとなっている。

 楓は自分の足の軌跡を見ながら、


 ――まるで反閇へんばいのような足捌き


 と、いまはまったく役に立たない己の知識と結び付けていた。

 反閇とは呪術的な歩行法のひとつだ。元来はという。

 特異な歩き方の実践により道中の危険を避ける、古代の『陸涯ろくがい』、現代の麓海ろっかい地方に端を成すまじないであった。禹歩は雨歩とも記し、雨乞いや治水技術の一種であったともいう。その禹歩が王朝時代の中原なかはらに伝わり、独自の発展を遂げたものが反閇である。より呪術的に改良された反閇は、大地を踏み鎮めることで凶事をおさえ吉事を呼び込むとされる。

 むろん楓は望んで反閇の足運びを取り入れているのではない。痛みを和らげようと歩いていたら、たまたまそのような動きになっていただけである。

 跫音あしおともたてずに通路をひたすら進む、ともすれば単調であるその中で、楓はついつい関係のないことを思い浮かべてしまっていた自分に気づき、はっとする。

 注意を疎かにしているつもりはない。

 ないが、関係のない連想で集中が途切れてしまって何かあれば市谷に迷惑をかける。


 ――なんでこう、すぐ関係ないことを考えちゃうんだろう

 一人で落胆する楓であったが、彼女の考えがついつい他に移ってしまうのも仕方ないと思えるほどに通路は単調であった。

 角は全て左に折れており、曲がって先へ進むと、また左へ曲がっていて、……まるで延々と続いているかのような気さえしてくるのだ。

 やがて繰り返しにうんざりした市谷が大きなため息をついた。

「どこまで続くんだよこれ。おれたち同じところを回ってるわけ?」

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