第十一章『ようこそ我が〈地下炉〉へ』3

 原因責任被せるなかれ。

 不平不満口にするなかれ。

 道理人倫背くなかれ。


 これらを守って清く生きよと、楓が祖母から教えられてきた三訓だ。

 楓の上二人が少々まっすぐ育たなかった分、娘の忘れ形見となる末っ子へかける期待は大きく、孫もこれに応えようとやってきた。当人たる楓としても、人のせいにせず、文句を言わず、お天道てんと様に恥じず生きてきた、つもりだ。

「……姉ちゃんは俺の想像もつかないような、羨ましい世の中で生きてきたんだろうな。たぶん帝都の金持ちや華族なんかよりもいい生き方をしてるぜ。だけどな姉ちゃん、ここじゃそれは通用しねえ。帝都は横暴で理不尽なんだよ。よその子供をさらって売る。家庭が政治のおもちゃにされる。真っ当に生きてる奴が詐欺師にやられて無一文になる。路地裏を歩いてたら物盗りに襲われる。家にいても強盗に押し入られるかもしれない。どんな生き方をしてようと、そんなことに巻き込まれるかもしれねぇのが帝都って街だ。原因があって結果があるなんて考えはあんまり通用しねぇんだ」

 市谷は楓の生き方を想像もつかないと言うが、彼が例に挙げる帝都という街こそ、彼女にとっては想像もつかない世界であった。

 むろん彼女の住む世界にも私利私欲に基づく事件や陰謀は少なからずあった。もっとも彼女がそれを知っているのは、巻きこまれ体質によるところが大きい。それがなければ同じ世界に住みながらも遠い出来事として知りもせず触れもしなかっただろう。しかしいずれにせよ、楓が知る世界での事件や謀りは特別な地位や立場の人、組織間で起こるもので、普通に過ごす人の身に降りかかるのはまれであった。それこそ凶事と言ってよいほどに。

 しかし帝都では凶事がさも当たり前の出来事であるかのように市谷は言う。

 ただしそれは彼が探偵の助手で、凶悪な事件に接する機会が普通の人に比べて多いからではないか。そう捉えようとしていた楓であったが、その考えの途中で、

 ――警察の他に特高や探偵がいるのは、そのような凶悪事件が日常的に起こっている証だからなのだろうか

 と思い直す。

 他ならぬ我が身を顧みればどうか。

 帝都に来たその日のうちに特別高度警察隊や探偵に行き会っているのだ。

 加えてこの場にいるのも大きな証かもしれない。

 一方で事ここにいたっても、『原因があって結果がある。その原因はもしかしたら自分かも知れない』という考えをぬぐえない。長年滲みついた習い性とは固いものだ。

 過去の巻きこまれについても、自らの不注意で渦中に入りこんでしまったのだと考えている。だから帝都に来て早々〈黄金の幻影の結社〉に巻き込まれたのも、己では気づいていない原因がどこかにあるのではないかと、楓は泥沼のような思考にはまりこもうとしていた。

「ですがやはり自分――」

「まだ自分のせいだって言うつもり?」

 市谷は声を大きくして楓を制する。

「姉ちゃんもたいがい強情だねぇ。原因を自らに求めて行動を改めようとするのは悪いことじゃないよ、でもそれが行き過ぎると、ただの臆病者になっちまう」

「臆病者……」

「相手にも原因があるかもしれないってちっとも考えられねぇのは、健全とはいえないと思うぜ。それって相手のせいにするのを恐がって逃げてんのと同じじゃないか?

 相手を責めちまってさ、でも実はその相手が悪くなかったとしたら、かえって自分が余計に苦しい立場になっちまうもんな。それよりかは最初から自分が悪いんだーって、最初から全部引き受けちまう方がどれだけ楽か。それに自分が悪いんだって言ってれば、もしかしたら誰か優しい人が傷を舐めてくれるかもしれねぇもんな。

 でもそれってよ、全部相手のせいにすんのと同じぐらい不健全だぜ」

 ともすれば進んで罰を受けようとするような態度は、責任や原因を被せられない存在に理不尽な仕打ちを受けた心の傷でもあるからか、自責の念ばかりが肥大化してしまっている。

 そんな人間は目の前に好機があっても気づきもしない。


「相手と自分を対等と見なすのが恐いんだろ、姉ちゃんは。誰かを責めて孤立化するのが恐いんだ。だから自分だけで背負しょいいこもうとする」


 ――私は……、私は……


 年下の市谷にそこまで言われて、今度こそ楓は色も言葉も失った。

 彼の指摘はところどころずれている部分もあったが、それを差し引いてもこれまで彼女が目を逸らしていた部分を照射していた。いや、実際には二人の姉からも遠回しに何度も突かれていたところである。ただ、姉たちは身内への優しさと甘さでずばりとは口にしなかった。

 他人だからこそ、市谷はそこまではっきり指摘しえたのだろう。

 面と向かって痛いところを突かれた衝撃の大きさゆえに、楓は自分についてすぐに考えられないほど自失してしまっていた。


 そんな楓を見て市谷はいまさら気づく。

 初対面の相手に自分はいったい何を言っているんだ、と。

 あんなことはもっと仲の好い人間が触れるべき事柄ではないか。

 しかし内罰的な彼女を見て思うところがあったのは事実だ。

 己の態度が何を示しているのかわからない。

 そんな彼女が自分の苦い過去を刺激するようで目に余ったのである。

 

 かっちきん、かっちきん……


 二人とも押し黙った空間を奇妙な音と遠くの地鳴りが埋めていく。

「……いまはここから出なきゃ何もはじまらないよな」

 やがて先に口を開いたのは市谷だった。経験の差というよりも、過去やその捉え方にあまり拘泥しすぎない、考え方の違いによるところが大きい。

「だから姉ちゃんに話すよ、《黄金の幻影の結社》のこと。話せる範囲で、手短にだけど」

 雇い主の女が明らかに苦い顔をするのが市谷の目に浮かぶ。

 ――もうここまで巻き込まれちまった姉ちゃんに秘密にしておくのは無理だぜ

 相手をさらに巻きこむのではないか、などと考えていたらきりがない。


   *


 人形に〝薪〟の増産指示を与えてから、《猟奇博士》は考えにふける。


 強引に介入してきた《無銘道化師》という問題はあったものの、〈地下炉〉計画そのものは順調に進んでいる。炉の出力は確実に上がり、すでに《時計塔》の気象予報を外れさせるという快挙に至っていた。

 もっともそれが《時計塔》の不調として報じられているのは面白くない。

 帝都市民に《時計塔》への不信感が募りはするだろうが、ただの不調では与える衝撃があまりに弱い。いずれ自分がやったと大々的に喧伝する方策を練らなければならない。


 薪の投入は適切に行っている。ここまで炉の出力は右肩上がりだ。

 この調子でいけば設計上の最大出力に達するまでそう時間はかからない。

 薪の確保と加工は少しばかり手間であるが、この大帝都ならば補充に困りはしない。欲を言えば帝都に土葬の習慣があればもっとよかったのだが。


 すでに《軍団卿》が嗅ぎつけているのは想定外であった。

 そのうえ道化師がこれを理由に勝手に介入してきたのでさらに具合が悪い。

 もっともいざとなれば全ての責任を道化師に被せればよい。

 探偵は油断ならないが、ちょこまかと嗅ぎまわっていたらしい政府の狗どもは始末できたし、同時に薪の材料としても確保できた。それがあまり大きな手柄でないというのは癪であるが。

 いざとなればあの生意気な小童とうすら馬鹿女も炉の燃料にしてくれる。


 こう考えれば順調どころか、邪魔者を排除しつつ予想以上に上手くやれているのではないか。

 道化師がいらないことさえしなければ成功は間違いなしだ。

 しかしその不確定要素がもっとも恐ろしくもある。

 ただ、道化師がどうであれ〈地下炉〉計画はなんとしても完遂させければならない。

 わたしの名を世界にとどろかせるために。

 わたしを追放したもうなる連中に屈辱を味あわせ、鉄槌をくだすために。


 怒りを募らせる博士の後方では、人形が死体の腹から臓腑を抜き取っていた。

 博士が言うところの〝薪〟の増産作業だ。

 死体は乾燥しやすいよう皮膚を剥がれている。

 さらにその後ろには天井から鉤手が伸びており、処置の完了した人間が何体も吊るされている。たいがいの人間は吐き気を催すだろう凄惨な光景であった。

 犯罪結社に属する男は、ただただ私利に基づき罪を重ねる。

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