第十二章『坂上と坂下』1

「協力の申し出?」

「〈巫機構かんなぎ〉の方がぜひにと」

「不要」

 と即答する女の声は凛として、意思の強さを感じさせるが、ともすれば氷のような冷たく触れにくい印象も受ける。

 元より予期していた答えに、坂下は「はい」と短くうなずき安堵する。

 協力を申し出た山吹にとっての一番は、南海楓を無事に送り届けることであって、捜査を手伝わせることではない。彼女が事件にかかわる必要はないとの確約が取れて安心したのだ。彼は他人を巻き込むのが好きではない。

 ――坂上さかうえさんはいつも通り、自分にとって役立つかそうでないかでしか判断していないようだけれど

 目の前の上司は坂下と異なり、その声音の通りの冷徹さを持っている。申し出を拒否したのだって、口にした通り本当にそれが不要と思っているからだ。彼女は事態の解決を第一に考えており、そこに関わる者の感情をほとんど考慮しない。逆に言えば彼女は必要だと断じさえすれば、当事者が望んでいなくても協力させようとする人間だ。


「博士と道化師なんて組み合わせは水と油もいいところ」

 金剛石でも降りそうね、と相方が口にしたのと同じたとえを口にして、

「ただ《無銘道化師》が絡んでいることで、これが《猟奇博士》の個人的な思惑でなく、〈結社〉の正式な動きだと見なせるのは助かる。一方で道化師の言葉を私たちなりに受け取るのならば、あれが勝手に手を出しているとも見なせる」

「ええ、おそらく《軍団卿》を巻きこむ以外の意図があるのでしょう」

「露骨に神楽坂を巻きこみたいのならば、市谷くんだけをさらえばいい。だけどそうせず、〈巫機構〉の外国人女性も連れて行った。そこに〈結社〉なり道化師なりの誘拐の意図があると。神楽坂を確実に関与させるため無関係の人間をさらったとも考えられるけれど」

「それならば道化師がほのめかしているはずです」

「あの男の言はあまりに虚飾が過ぎる」

 かといってこれまでの経験上、斟酌しんしゃくもせずに切り捨てるには惜しいほど、あとから考え合わせれば暗に事実に触れていた言動も多いのが《無銘道化師》という男であった。

 といってそれを正面から受け止めるのも探偵としての姿勢に問題ありだ。

「道化師は〈地下炉〉計画と口にしたのね?」

「はい。詳細は不明ですが」

「仮に発言を真に受けるのならば、〈地下炉〉計画とやらはあくまで《猟奇博士》が主幹であり、あれはただのお節介。その一環で二人を連れ去ったと」

「そしてそのお節介を、おそらく博士は望んでいないのでしょう。道化師自身が勝手にやっていると言っていましたからね」

「市谷くんや〈巫機構〉は〈地下炉〉計画とやらの重要な手がかりをつかんでいたの?」

「いいえ。ですが市谷くんや〈軍団〉からは人形を撃破したとの報告を受けています」

 彼らならばなにかつかんでいれば真っ先に報告しているだろう。現に人形の件は撃破後すぐに聞き、坂下もその残骸を目にしている。

「ここのところ人形が活発化しているのは――」

「〈地下炉〉計画に関連しているとも取れるけれど、いまあがっている証拠は人形の活発化ぐらいだから、ちょっと都合よく結び付けすぎかな」

「ですが東部市で浮浪者の行方不明も相次いでいます」

「それはこのあと検討しましょ。それよりも先に〈巫機構〉について。あそこはなにもつかんでいないのね?」

 楓に同行した坂下は、彼女が〈地下炉〉計画はおろか〈黄金の幻影の結社〉について何も知らないのを確信していた。ただし彼女は坂下の思いもよらない可能性を披露してみせた。

「坂上さんは地縛霊や生霊というものを信じていますか?」

「〈巫機構〉の方の指摘ね」

 女は疑問に答えず事実を問う。

「はい。僕は人形か例の《蒸気人間》の見間違いかと思って案内してもらったのですが」

「そういうのから最も遠いあなたがそんな話を聞かされるなんてね」

「僕はこの目でそういったものを見たことがありません。だから信じようとはできても、根っから信じることはできません。それは同時に否定はできても、根っから否定しきることはできないということでもありますが」

「仮にいるとしてよ、それが拉致や〈地下炉〉計画とやらに関与していると判断できる? ましてや東部市で起こっている浮浪者の行方不明――〈巫機構〉風に言うと〝神隠し〟――に関わっていて、しかも〈黄金の幻影の結社〉とも関連していると?

 確かに可能性は否定できない。けれど他の可能性を全て否定してから着手すべき内容だわ。私たちにとって霊魂なんていうのはね、科学が未発達だった時代の雷や雨と同じ。仕組みや原理が分からないうちはただの現象としか言えない。

 それよりも私たちが最初に考えるべきは、雨や雷が直に人を殺したかどうかではなくて、雨や雷をきっかけに人が人を殺した可能性だ。少なくとも今は雷に人が打たれた可能性を探る段階には到達していない」

 可能性そのものは否定しない。

 しかし蓋然性が低いうちは他を優先し、俎上そじょうには載せない。

 そこに自分が信じる、信じないは関係ない。

 そう考えるのが坂上という女だった。

「現時点では〈巫機構〉も何かつかんでいたわけじゃないと考えていいかな。それを連行した特高も同じでしょう。そしてむろん私たちも。誰も彼も〈結社〉が〈地下炉〉計画で何をしようとしているのかは目下のところ不明」

 坂上がため息をついて自分の肩を抱く。ほんのり黄緑がかった瞳と切れ長の目に、情報収集がはかどっていないことへの苛立ちが隠見する。

「ただ、道化師が二人に危害を加えないと言ったのは収穫ですね」

「馴れ合いみたいで好きじゃないけれどね、そういうの」

 坂下の言葉に坂上が冷たく返す。

「ひとまず二人の誘拐をどう扱うか検討するのは置いておこう。次、ここのところ人形が東部市の人気の少ない通りで目撃されているのと、相次ぐ浮浪者の行方不明とが関係しているかどうかを検討しましょう」

「人形が人をさらっている場面はまだ誰も目撃していません」

「それなんだけど、坂下君の目の前で二人をさらったのは、君が行方不明になる場面を目撃したという事実を作りだすため……、というのは穿ちすぎか」

 坂上の推測に坂下は首を振る。

「ええ、それこそ都合よく結び付けすぎです。そこまであからさまにするのなら、こちらに拠点の場所を仄めかすぐらいはしているでしょう」

「引き続き〈軍団〉には地道に警戒にあたってもらうしかないか。浮浪者の誘拐が〈地下炉〉計画につながっているかどうかはまた別だけれど」

「特高の手を借りますか?」

「向こうも同じように人形の動きを警戒しているのよね」

 坂上が頭から拒否しないところに、坂下は彼女の検討を読み取る。

「はい。もっとも暖冬調査という名目や〈結社〉対策という点のみで、浮浪者の行方不明などは考慮していないようです。〈巫機構〉の方を連行したのも〈結社〉が関与しているかもしれないと疑いをいだいたからですし」

「そうでしょうね」

 帝都において浮浪者はあってなきがごとく扱われ、特高も警察もまともに取り合おうとはしない。彼らからすれば税金を納めていない者を守る必要はないというのだ。なかには不穏分子同然に見なしている特高の捜査官もいるほどだ。

 浮浪者の関連で警察が動くのは、一般市民に被害が出るような場合に限られている。

 また当の浮浪者としても、当然ながら進んで警察の厄介になろうとする者などおらず、もっぱら都市の狭間で今日を渡り歩いている。だからというべきか、犯罪組織からすれば浮浪者たちは体のよい鉄砲玉や人員補給先でもあった。

 直近で警察が動いた浮浪者関連の事件といえば、二か月前に西部市で起きた大量の行方不明事件だ。もっともこれは浮浪者絡みというよりも、行方不明の中に家族を持つ日雇い労働者も多くいたからというのが実相である。〈結社〉をはじめ複数の犯罪組織の関与が疑われている事件だが、警察は証拠をつかめないままに捜査を打ち切ってしまった。

 当時市民からは怒りの声が上がったが、その関心もとっくに薄れて他に移ってしまっている。


 ただ、ある探偵だけはそこに〈結社〉の関与を疑い、秘密裡に動きつづけていた。

《軍団卿》神楽坂和巳である。

 もっとも彼女も捗々はかばかしい証拠をつかみきれてはいない。

 そうした中、今度は東部市で浮浪者の行方不明が起きはじめ、〈結社〉の人形も目撃されるようになった。以来《軍団卿》は助手たちと東部市で地道に捜査、遊弋ゆうよくのため多くの網を張り続けているのであるが、それも芳しくないのは坂上と坂下の二人がここで話している通りだ。

「協力は視野に入れてもいいかな。だけど、あくまで現場判断にして。《軍団卿》や向こうの上まで通すと面倒だから、そこは坂下君たちでうまくやって」

「わかりました」

「お願いね」

 彼女のお願いは立場上ほとんど命令と同じである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る