第12話 ハーフアップは狼狽える

 朝練に向かう双葉と菜々と別れ、一人教室に向かう。陸上部が朝練を始める時間の前だ、当然生徒は居ない。


 自分の机にカバンを置き、一息つく。さてここからどうしようかと、余りある時間を持て余す。


「……そういや勢いで遊びに誘ったけど、どこに行けば良いんだろう」


 あの後渋りまくる双葉を菜々が宥めて、何とか週末に遊びに行くことになった。春香とはよく出かけるが、そのどれもが春香からのお誘い。行くところは既に決まっているため、俺から何かを提案することは殆どないのだ。


 いつものようにうんうんと唸っていると、隣の教室のドアが音を立てる。こんな時間に誰が来たんだろう。やることもないのでこっそり覗きに行く。


 真ん中の方の席に座ったのは、姉の方の黒雲だった。何とも都合の良いタイミング。黒雲は参考書とノートを広げて勉強をするつもりらしい。


 あんまり邪魔するのもどうかと思うが、まあ俺は腐っても学年一位だ。わからないところがあれば教えてあげられるかもしれない。そんな言い訳を胸に、開けっ放しのドアから音を立てずに黒雲のもとへ歩を進める。


 正面に立っても黒雲は微動だにしない。恐らく無視しているわけではなく、周りが気にならないくらい集中しているのだ。流石優等生。


「そこ間違えてるぞ。答えは合ってるけどy座標<0を前提にしたら半分しか点数が貰えない」

「あ、そっか。ありがと」

「俺もよくやるから気持ちはわかるけどさ。簡単な計算だから省略してしまうんだよな」

「そうだよね。あたしもこのせいで減点されること多いし……、ん?」

「ん?」

「はぁ!? 中上雄宇!? てめー何でここに!?」


 遅れて気付いた黒雲は素を隠そうともせず声を荒らげる。根っから優しい子そうな菜々とは大違いだ。


「俺の教室誰も居なくてさ。暇だから遊びに来た」

「あ、アンタ……! 帰れ! いややっぱ帰るな!」

「えぇ……情緒不安定過ぎない……?」

「そ、そうじゃなくて! 登校中菜々と何話してたのよ! 菜々にちょっかい出したら殺すから!!!」

「今週末に遊びに行く予定をな。二人じゃなくて双葉も一緒だけど」

「な、な……!」


 わなわなと震える黒雲。一々動きが面白い。


「てか何で俺が菜々と一緒に登校してたのを知ってるんだ?」

「そ、それは後ろから……どうでも良いでしょ!!! てか菜々のこと呼び捨てにすんな!」

「でも二人とも黒雲だとわかりづらいし」

「ぐぅ……! じゃ、じゃああたしを下の名前で……ぐぅぅぅぅ!!!」

「めちゃくちゃ嫌がってんじゃねえか!」


 黒雲は握り締めたシャーペンを折る勢いで歯噛みする。こんなに真っ直ぐ嫌な顔をされたのは初めてだ。


「黒雲」

「秋羅で良い……つってんでしょ……! ぐぬぅ……!」

「いや呼ばねぇよ」

「何で!? も、もしかして菜々を狙ってるんじゃないでしょうね!!! ぶん殴るわよ!?」

「お前下の名前で呼ばれんの嫌なんだろ? 昨日は確認するために呼んでしまったけど、周りにも呼ばせないってことは何か理由があるってことだ。それに俺が呼んで周りが便乗したら最悪だしな」

「……!」


 黒雲のシャーペンを握る力がすっと緩められる。強ばってた表情も弛緩した。


「何で嫌がってんのかなんてことは聞かないけどさ、仮面を被りつつもそこだけは譲れないってことなら何か事情があるんだろ?」

「……まあ」

「なら呼ばない。まあ菜々とごっちゃになるからそっちを下の名前で呼ぶのは許して欲しいけど」

「……中上って、もしかして良い人……?」


 黒雲は上目遣いで俺の目をじっと見つめてくる。それは昨日見たような取り繕った打算的なものではなく、仮面の下の本心。




 ……いや、仮面外すの早くない? 普通色々あって問題を解決してから俺を見直すって流れじゃねえの? それで良いの……?




「……こんなにあたしのことを考えてくれて……」

「ちょ、ちょっとストップ。お前もうちょい考えた方が良いぞ」

「……でも今の、嘘じゃないんでしょ……?」

「そりゃ嘘じゃないけどな!? 進んで人の嫌がることをするのはよろしくないだろ!?」

「……ほら、本気じゃん」

「待て待てお前チョロ過ぎない!?」

「だ、誰がチョロいのよ!?」


 お前だお前! 昨日俺に死ねつったの忘れたの!? この学校で一番嫌いな相手の一人じゃねえの!?


「……はっ。てことはてめー二股じゃん! 姉妹丼……! シバくわよ!?」

「勝手に妄想を広げんなよ!? 俺はハーフアップ以外興味無いって!」

「さ、最近菜々が髪型をハーフアップに変えたのって……!」

「やぶ蛇かこれ!!! 今の無しな!!!」

「あたしには誤解されたくない……てことはやっぱり……あたしのこと……」

「どうすりゃ良いんだよ!?」


 百人斬りしたんじゃなかったのか!? こんだけチョロくてよく百人も断れたな!?


「……と、とにかく中上! てめーみたいなのを放っておいたら菜々が危険よ!」

「もう好きにしてくれ……」

「……ついて行く」

「一応聞くけど、どこに?」

「週末菜々とデートに行くんでしょ!? そこにあたしも行くっつってんの!!!」


 羞恥を一切隠さない上気した様子で黒雲は言い放つ。さっき自分で姉妹丼とか言ったばっかなのに。


 ……だが、これは別に悪いことじゃないんじゃないのか? 俺の目的は黒雲をハーフアップにさせること。付き合うつもりは毛頭無いが、仲良くならないことにはハーフアップなんてずっと夢のまた夢だろう。


 俺は思案顔で男女比一対三のデート(仮)について考えてみる。


「……キッツ」

「は、はぁ!? あたしに何か悪いところがあった!? まあ言ってくれたらそういうところも直すけど!?」

「だからお前のそれは早いんだって! どうなってんだよ黒雲の乙女回路は!?」

「と、とにかく! 今週末覚えときなさいよ! はいこれ連絡先! 菜々にはあたしから言っておくしあたしに連絡寄越しなさいよ! 菜々とは絶対に交換させないから!!!」


 はいこれ! とQRコードをスマホの画面に出す。まあ別に良いけどさ……こんだけ惚れっぽかったら百人斬りとか信じられなくなってきたな……。


「……一個聞きたいことあるんだけど、先に言っておく。勘違いするなよ?」

「何。早く言って」

「告白百人斬りをしたって聞いたことあるんだけど、それは本当なのか?」

「ええ。あたしは好かれるよりも好きになりたいタイプだし……って何言わせんのよ!」

「一人も付き合ってない……のか?」

「だって全員振ったし。……はっ!? こ、これってもしかして嫉妬……?」

「勘違いするなよって言ったよな俺!?」


 感じたこともないようなタイプの前途多難。俺は黒雲に聞こえないように小さくため息をつく。


 ……てかこの調子ならもう、本題を切り出しても応じてくれるんじゃないか?


「そうだ黒雲。もし良かったらハーフアップにしてくれないか?」

「え? 嫌よ。男子に言われて髪型を変えるなんて、まるであたしが中上を好きみたいじゃない」

「……黒雲の感性はよく分からんな」


 今度は黒雲にも聞こえるくらいの大きなため息を、俺はめいっぱいついたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ヒロインは全員ハーフアップにしろ。 しゃけ式 @sa1m0n

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ