第3話 ハーフアップは諦めない

 最終下校時間を知らせる音楽が流れ出す静かな図書室。俺はそろそろだなとパンと参考書を閉じた。


「行くか」

「わかった。片付けるからちょっと待ってね」


 春香はいそいそと机の上に広げた教科書やノートをカバンに詰め込む。


 ちなみに俺は参考書を読んでただけだから片付ける物なんて殆ど無い。


「ユウくんってネジ外れてる割に頭凄い良いよね。ネジ外れてるからかな?」

「二回も傷付くことを言うなよ。勉強なんて理解しようとして授業聞いてたらわかるようになるだろ?」

「……神様は不公平だなぁ」


 万物はハーフアップに通ずる。ハーフアップを愛する者は万物を理解出来て当然だ。


 俺と春香は図書室を出て、太陽の落ちた薄明の中校門で小夏を待つ。時折奇異の目で俺達を見る輩が校門を出ていくが、そんな些事は気にしない。今は小夏が最優先だ。


「あ、小夏さん出てきたよ」


 グラウンドの方から歩いてくるのは陸上部達。みんながそれぞれのグループで談笑しながら下校する中、一際目立つツインテール、小夏だけはやはり一人で足早に帰路を辿っていた。


「よう小夏」

「……何ですか」


 声をかけられ肩をビクッと震わせるが、俺の顔を見た瞬間露骨に嫌そうな表情をする。警戒心が青天井だ。


「一緒に帰ろうと思ってな。女子一人じゃ危ないだろ?」

「別に。今まで変なことが起きたわけでもありませんし」

「これから変なことが起きるかもじゃないか。今日くらいは付き合ってくれよ」

「ごめんね小夏さん。ちょっとだけ話を聞いてあげて?」

「……まあ、あなたがそう言うなら」


 春香の後押しに小夏は折れ、大きなため息をついて春香の右隣を歩く。ちなみに俺は春香の左隣のため物理的にも距離が遠い。精神的な距離は言わずもがなだ。


 小夏の歩く方向に俺と橘は合わせながら、すっかり紺に染まった今の夜のような静かな無言が流れる。


「なあこなっちゃん」

「小夏双葉です! 変なあだ名で呼ばないでください!」

「じゃあ双葉って呼ぶ。良い名前だし」


 俺がそう言うなり双葉はうぇっとめちゃくちゃ嫌そうな顔をする。流石に傷付きそうなレベルだけと俺は負けないぞ! これもハーフアップ人口を増やす必要経費だ!


「……下の名前で呼ばないでください」

「いや呼ぶぞ! 双葉と仲良くなりたいからな!」

「……まあ、何でも良いです。どうせ今回限りですし」


 双葉はそっぽを向きながらそう口にした。了承さえ得られれば何でも大丈夫だ。


 双葉が良い名前と思ったのは勿論本当だが、それとは別に名前呼びには理由がある。カクテルパーティー効果なんて呼ばれているが、人間は名前で呼ばれると何故か印象に残ってしまう。


 そして双葉はぼっち。先輩である早乙女にも小夏さんって呼ばれていることから、恐らく下の名前で呼ばれることは殆ど無いのだろう。


 つまり俺が下の名前で呼ぶようにすれば、意識するしないに関わらず距離が近付くってわけだ!


「ねえユウくん。わたしのことは?」

「春香は春香だろ?」

「えへへ、ありがと」

「? おう」


 春香はハーフアップとはいえたまによくわからないんだよな。まあ今は双葉が先決だ。


「なあ双葉、今日の部活はどうだった?」

「問題ありませんでした」

「良いタイムは出たか?」

「いつも通りです」

「練習で安定してると本番でも結果を残せるよな!」

「そうですね」

「……うん」

「「……」」


 話全然続かねぇな!? 俺ってこんなにコミュ障だったか!? 女子って何を話せば良いんだ!?


「……助けて春香」

「ふふっ、もう。しょうがないなぁユウくんは。わたしがいないとダメなんだから」


 たまらず助けを求めると、春香は嬉しそうに微笑んで任せてと俺にウインクをする。可愛すぎて死んでしまいそう。流石ハーフアップ。


「わたしも双葉ちゃんって呼んで良い?」

「……別に、構いませんけど」

「じゃあ双葉ちゃん。今好きな人はいる?」

「な、何ですか急に!? いいいいませんよそんなの!」

「なあ春香。本当に大丈夫なのか?」

「良いからユウくんは見てて」


 そう言われたら俺も待つけど……。いきなり踏み込みすぎな話題じゃないのか……?


「実はね、双葉ちゃん。わたしはいるんだ。好きな人」

「そ、そうなんですか」

「待て春香。今のは聞き捨てならないぞ」


 好きな人がいるのに俺の世話ばっかりしてくれてるなんて悪印象も良いところだ。さっきも校門にいた時変な目で見られていたし。


「大丈夫だよ。わたしの好きな人はそういうのは関係ないって思う人だから」

「なら良いけど……」

「……? どういうことです?」

「ユウくんは心配してくれたんだよ。好きな人がいるのに異性の自分と一緒にいてて良いのかって」

「なるほど……。何ていうか、通じあってますね」

「ふふっ、ありがと」


 おっ、今ので双葉から質問と会話のパスを引き出したな。流石春香、ハーフアップだけのことはある。


「まあそれでね? その人はすっごい鈍感なの。これでもかーってアピールしてるのに全然気付いてくれないし、多分異性の友達くらいにしか思ってないんじゃないかな」

「酷い人ですね」

「全くだ。春香は可愛いのに」

「……でも、そういうところが好き、って言うとちょっと変な子に思われちゃう?」

「いえ。一途で良いと思いますよ」


 双葉は真面目な様子でそう答えた。初めの警戒心はどこへ行ったのか、気付けば普通に会話をしている。なるほど、ツインテ相手はまず話をさせるんじゃなくて聞かせるところから始めるのか。勉強になる。


「……私はそういうの、まだわからなくて。友達だって今は居ませんし」

「都妃ちゃんも心配してたよー。陸上部でも孤立気味だって言ってたし」

「そうですか。でも部活は部活をするところなので、そういうのは割り切ってます」

「ほう。割り切ってる、か」

「何ですか変態先輩」

「変態だと周りの人が勘違いしちゃうからハーフアップ先輩って呼んでくれよ」

「そういうところが変態だって言ってるんです」


 春香にはいくらか気を許してるようだが、俺には依然刺々しいままだ。まあ今は良い。これから仲良くなっていけばそれでオールオッケーだ。


「私こっちなので、失礼します」

「またね、双葉ちゃん」

「また明日な」

「……では」


 またねとは言わず、ペコリと一礼してから俺と春香と反対の方向へ歩いていく。ピンと伸びた背筋にはどこか強がっているのを感じた。


 その場で双葉を見送った俺は、春香へと向き直る。


「現状把握をしようか」

「うん、お願いします」

「春香は流石ハーフアップが似合うだけのことはあるな。あの一瞬で多分早乙女よりも仲良くなってた」

「良い子だよね、双葉ちゃん」

「対して俺はめちゃくちゃ嫌われた。もう完膚なきまでに嫌われた」

「……そんなことない気がしなくもなきにしもあらずんば……?」

「フォローはありがたいがそれはもう肯定と同じだぞ」


 自覚があるから別に良い。ちょっと家で枕を濡らすくらいで何も気にしてない。本当に気にしてないからな。嫌われてたとしても気にしてない。この後仲良くなるからマジで気にしてないし。


「……気にしてないから……」

「今日のおやすみの電話は長くなりそうだなぁ。いっぱい慰めてあげるから安心してね」

「いや別に気にしてないし……」

「うんうん、気にしてないよね」


 春香は俺の背中をさすりながら励ましてくれる。やっぱり優しいヤツだなぁ……。


「……まあこれは良いんだ。現状俺は知り合いになる前よりも距離が遠くなった。なんせ口を開けば暴言だったからな」

「うん」

「で、だ。てことは仲良くならなきゃならない。明日から俺は猛アタックする」

「周りの子に勘違いされないようにね? 付き合ってるなんて噂を流されたらわたし何するかわかんないもん」

「ん? うん。そうだな」


 何で春香? とも思ったが、一々訊いてちゃ話が進まない。俺は適当に流して話を続ける。


「明日は昼飯アタックだ! もし良かったら春香もついてきてくれないか?」

「ふふ、ユウくんが望むならわたしはどこにだって行くよ。海の見えるレストランとか観覧車の頂上とかね」

「はは、何かプロポーズするみたいだな。そういうのは好きな男に連れて行ってもらってくれ」

「……鈍感」


 春香が何かをボソッと呟いたが、ポンカンにしか聞こえなかったし良いや。急に柑橘類を言ったわけでも無さそうだしな。


「明日はお味噌汁でも作っていこうかな。そしたら気付いてくれる?」

「味付けの話なら今のままで十分美味しいぞ! いつもありがとうな!」

「バカ。そういうところがズルいの」


 まあ春香みたいな美少女に作ってもらうのは確かにズルいよな。何度男子の怨嗟を聞いたことか。


 ともかく、明日は昼飯だ。そこで連絡先でも聞けたら御の字だろう。


 俺は明日のことについて色々考え巡らせながら、春香と共に家路を辿った。

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