8(6)

 気がつくと、ランスは床に突っ伏して倒れていた。

 身体が妙に重い。転がって仰向けになってから武器庫内を見回すと、拳銃を構えて膝をついたまま動きを止めているアーノルドと、その向かいでレベッカが気を失って倒れているのが見えた。

 窓の外は暗い。濃紺の闇の中に、あり得ないほど大きな月の端が覗いていた。どうやら、ゼイラギエンごと白桜刀の中の空間に入ることには成功したようだった。

 起き上がってレベッカに近寄り、声を掛けてみるが反応はない。彼女の両足は血塗れになっていたが、見たところ弾が貫通しているわけではないようだった。

 ここにいる間は外の時間が止まっているとシロタエが言っていた。とにかく早く傷の手当ができる人を探さないと。ランスが室外に出ようとすると、扉のすぐ外に立っていた誰かとぶつかってしまった。

「うわっ」

 相手が武器を構えていることに気付き、慌てて離れる。目を凝らすと、それは艦長だと分かったのだが、彼は突然白昼夢から覚めたかのような顔でランスを見下ろした。

「あの、艦長?」

「急に足元が崩れたかと思ったら視界が真っ白になって、気付いたら真っ暗になって……何があったんだ?」

「ここは白桜刀の中です。その、俺がやりました。ここにいる間は時間が進まないから」

「ああ、やっぱり君が犯人か」

 てっきり怒られると思っていたのだが、彼は憔悴した顔で手にしていたリボルバーを仕舞い、武器庫内に目を走らせた。それで状況を察したようだったが、何も言わずにランスの脇を抜けて室内に入ると、レベッカの傍らに屈み込んだ。

「レベッカのこと、気付いてたんですか? 処罰するんですか?」

 艦長は答えずにレベッカの傷の手当てを始めた。随分と手慣れている気がする。

「レベッカは脅されてたんです。刑務所に入れられたらレベッカも家族もどうやって生活するんですか!」

「君は人のことばかり心配するなあ。もう少し自分のことも考えたらどうだ。君も幇助ほうじょの罪に問われる可能性があるんだぞ」

「だって俺は番人の関係者だから、罰することも辞めさせることもできないですよね」

「……やれやれ」

 ランスが持っていた鞄の中から包帯を止めるテープを渡すと、受け取った彼の手は真っ赤になっていた。

「レベッカは大丈夫なんですか」

「見た目ほど酷くはない。あくまで応急処置だけど」

 艦長はレベッカとアーノルドを見ても動揺している様子がなかったので、ランスは思い浮かんだ考えを口にした。

「もしかして初めから、怪我を理由に休暇を取らせるつもりだったんですか? アーノルドなら手加減できますよね」

 艦長は横目でランスを見て微笑んだ。

「察しがいいと生きづらいよ。気付いても黙っていることだ。このことは秘密だからな」

 消毒液で手を綺麗にすると艦長は立ち上がり、ランスに、お説教だと言ってから話を始めた。

「ある行動の結果として起きたことには責任を取らないといけない。君たちは未成年だから、なんとか庇ってあげられるが、軍に所属している以上は規律に従ってくれないと困る。勝手な判断で行動するな。結果として人が犠牲になることだってあるんだ」

「レベッカは分かっていました。それでもどうしようもなかったんです」

「そうだね。僕らが信用に足る人間じゃなく、無力だから……」

 一体誰が悪いのだろう、とランスは彼の横顔を見上げながら思った。

「君の行動の結果、事態を好転させられるかどうかは分からない。でも、冷静になる時間をもらった。礼を言う」

「いえ、俺はレベッカを助けたかっただけです」

 自分が考えて取った行動で人の役に立つことができたのは、もしかするとこれが初めてかもしれない。そのことが、ランスは少し嬉しかった。


 それから艦長は無線を使って艦内に呼びかけてみたが、誰からも返答は返ってこなかった。二人で操舵室に行ってみたが、全員がレベッカと同様に気を失っており、呼びかけても肩を叩いても反応はない。

「それでランス、どうすればここから出られるんだ?」

 ランスにも、これからどうすれば良いのかは分からない。だが、シロタエを探してみないと話は始まらない。艦長に向き直ると、ランスは強い口調で言い放った。

「もし艦長がレベッカを除隊したり家族を見放したり、俺がやることの邪魔をするつもりなら、教えません」

「丸腰で僕を脅すとは、いい度胸だな」

 彼は笑っていたが、ランスは真面目な顔のままで続けた。

「だって艦長は俺を傷付けられませんよね。とにかく、俺たちの居場所を奪わないでください。お願いします」

「もちろん、できる限りそうするつもりだ。でも、まずは鮫を止めない限りイタチごっこなんだよ」

「約束を破ったら俺は別の番人を探して頼りますし、艦長がやってきた規律違反を、あの北部の人にチクります。あと、毎日ネギだくの刑にしてもらうようにメイさんに頼みますから」

 ランスとしては真面目に考えて脅したつもりだったのに、艦長は、わかったわかったと苦笑しながら承諾した。

 しかし、ランスがレベッカから聞いた話――今はなぜかこの空間からの移動先を選べるらしく、恐らく鮫のところまで行けるということ説明すると、彼は、さっと顔色を変えた。

「俺は鮫に会って、話を聞きます。両親のことも、アズサやジジイのことも。さっき約束した通り、止めないでください」

「鮫は話が通じる相手じゃない。君を奴に渡すわけにはいかない」

「俺は鮫には殺されないんでしょう? 俺にも鮫の話を聞く権利はあります。そのあと鮫をどうしようが艦長の好きにしてください」

 仮にも皇族の上官を相手に、ここまでずけずけと言って、よく不敬罪に問われないものだ。ランスは自分でも呆れて内心笑ってしまった。たぶん、艦長が甘いのだろう。

 彼は溜息をついた。

「君だけの問題じゃないんだよ。……君と話してると、グレンだけじゃなく姪のことも思い出す。ちっとも言うことを聞かないんだ」

「艦長が従わせようとしないって分かってるからですよ。何なら、俺を気絶させたらいいじゃないですか」

「そしたら僕も外に出られないだろ。一人では行かせないからな」

 二人は艦長室に立ち寄って、武器を用意してからシロタエを探すことにした。


 二人が艦長室で準備を終えて外に出ようとすると、急に人影が現れ、出口を塞いだ。

 ドレスと言っても差し支えなさそうな、品のある黒いワンピースを纏った、すらりとした体躯の長髪の女性だった。彼女は二人の姿を認めると口元を緩めて微笑んだ。しかし、明らかに味方ではない。その手には、装飾の美しい細剣レイピアが握られていたからだ。

「リアナ、どうやってここに……!」

 艦長がアルビオン語で言うのを聞いて、ランス一歩後ずさった。

 リアナと呼ばれた女性は、ヒールの音を響かせながら数歩ぶん前に出ると、部屋の壁を軽く叩いた。

「こんな大きなものを移動させるには、せっかく溜めた巡礼像の魔力をほとんど消費しないといけなくなるわ。ここに維持するだけでもね。だから、ランス君は鮫に早く会ってきて」

 この人は鮫の部下に違いない。人どころか虫でさえも殺せなさそうな、優しそうな顔をしている人なのに、とランスは思った。

「シロタエは、あなたや鮫とはグルだったんですか? どこにいるんですか」

「グル、ね……彼女なら外で待ちくたびれているわ。レオン、あなたは私と少し話しましょう?」

 艦長は彼女に銃口を向けていた。が、その顔にはランスが今までに見たことのない表情が浮かんでいた。鮫の話をする時とは、まるで違う。

「早く行かないと、レベッカの手当もちゃんとしてあげられないわよ」

 ランスは艦長を見上げたが、彼は首を横に振った。

「罠だ。行くな」

「たぶん大丈夫です。シロタエは俺の味方だって言ってましたから。俺はあいつを信じます」

「そうね、あなたを守ることしか考えていないわ。羨ましいくらい一途だもの」

 もしシロタエに裏切られるとしたら……とは、ランスは考えなかった。不思議と彼女を疑う気持ちは湧いてこなかったから。

 ランスが駆け出すと、リアナは剣を扉の枠に突き立て、後を追おうとした艦長の邪魔をした。

「あなたには、とても大事な話があるの。それとも、私とは話したくない?」

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