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 教室内をくすくすという忍び笑いが満たした。ランスの隣に座っているレベッカは額を押さえている。男性教師はため息をついた。

「君、一限目から昼食のことを考えておるのか? そんなに大口を開けて爆睡する学生は初めて見た。君が今日限りの交換学生でなければ、即刻廊下行きだぞ」

「ゲッ! すいません! 昨日の夜は今日が楽しみすぎて、よく寝られなかったんです!」

「分かったから、ちゃんと起きて授業を聞きたまえ。それから、この続きを簡単に説明しなさい。魔法の部分を」

 彼が指差した黒板には、『魔法の出現』『帝国』『王国』の三単語が並んでいた。ランスは冷や汗をかいた。帝都にいた頃は国立の一貫校に通っていて、当時はそこそこ真面目に勉強していた。それに歴史は中でも得意なほうだった。が、田舎村に移ってからは村人が開いてくれる私設学校に通う程度で、すっかり勉強は苦手になってしまっていた。

「え~~っと、ガキの時から何回も聞いてるけど、うまくまとめるのには、ちょっと時間がかかります」

「仕方ない。それではフラウ・ハミルトン」

 教師に当てられたレベッカは、教科書を読んでいるかのように、すらすらと解答を口にした。

「至福千年期の始まりとされる神の救済ののち、人類は夢物語の中にしか存在しなかった『魔法』を手に入れました。特定の地域で算出する魔法エネルギー元素の力を借りることで、かつての化石資源に頼ることなく日々の暮らしを営むことができるようになりました。元素は地水火風の四種に大別され、人は生まれたときから、基本的にそのうちの一つを使う才能を与えられました。日常では、元素を活性化させる魔法石を媒介として生活に役立てることができるそうです」

「素晴らしい。完璧だ」

 レベッカは得意気な顔でランスのほうを見ると、意地悪い笑みを浮かべた。

「続きはランスが答えてくれるそうです。考える時間、あげたでしょ?」

「あ!? 聞いてねーよ!」

 ランスは両手で机を叩いて抗議したが、教師は容赦なく指示棒をランスに向けた。

「では、どうぞ」

 唸り声を上げつつ、ランスは頭の片隅の引き出しに残っていた知識を総動員して解答を絞り出した。

「え~っと、生き残った人間は宗教と民族で分かれて国を作りましたが、そのうち二つの勢力に分かれて対立するようになりました。だいたいが、聖十字帝国とクリステヴァ王国の二つのどちらかにつきました。で、理由はよく分かっていませんが、帝国では五百年ぐらい前から、だんだん魔法が使えなくなりました。仕方なく帝国は、昔の文明で使われていた技術を研究して使うようになりました」

「よろしい。そして、帝国と王国は百年前から国交断絶しており、今も各地で小競り合いが起きている」

 その教師の説明は中立的だった。基本的に帝国の教育機関では、周辺の小国や地域を侵略し属州化していることを正当化した説明がなされている。ランスは、へえ、こういう先生もいるんだな、大丈夫なんだろうかと少しばかり心配になった。もしかすると、リベラルな私学だから可能なのかもしれない。

 黒板の上にあるベルが鳴り、壮年の教師は教科書を閉じた。

「今日はここまでだ」

 教師が教室を出ていくと、生徒たちは机の上に広げた教科書を仕舞い、談笑を始めた。この光景はランスにとっては三年ぶりだ。

「あ~首がいてえ」

 レベッカは次の数学の授業の教科書を机に出すと、半眼でランスを睨んだ。

「あのね、最前列でいびきをかいて寝るバカが隣に座ってて、起こそうとしても全然起きる気配がない状況が、どんなものか分かる?」

「なんか、レベッカもアズサとシロタエみてえになってきたな」

「誰が原因なのよ」

「そもそもの原因は、つまんねー授業をするセンコーだよ」

「偉そうなこと言って! 次寝たら、お昼ご飯は抜きよ」

「はあ!? そんな権限、レベッカにはねえよ!」

「ランス、最近ブレンさんから悪い影響を受けてるんじゃない?」

「そーゆーレベッカは、アストラさんみてえになってきてるんじゃね?」

「アストラさんならいいわ。だってクールなデキる女だもん」

「へえ~じゃあ真似してくれよ。いつものアレ」

 レベッカは真顔になった。そして左手を腰に当てると、ランスに右の人差し指を突きつけた。

「ちょっと、ランス。次の授業で爆睡したら、お昼ご飯は没収よ?」

「わかった、わかった」

「そこはブレンさんっぽく『うるせえ!』でしょ」

 そこで次の授業開始のベルが鳴ったので、二人は慌てて口を噤んだ。ガラガラと音を立てて開いた扉から、いかにも数学教師といった風貌の若い男性が入ってくる。

「えーそれでは教科書の四十五ペーシを開いて」

「なあ、いまペーシって言ったよな」

 ランスが囁きかけると、レベッカは鼻を鳴らした。

「静かにして」


(著者注:Herrとはドイツ語でMr.で、FrauとはMis.のことです。確か。)

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