WCC6. スクワイア/That Perfect Woman Is Gone

6(1)

To my brother and sister


***


 人の少ない夕方の南部国境支部局の局長室で、局長代理を務めるアストラは、ズキズキと痛む後頭部を押さえた。昨日から頭痛が治らない。

 こういう時は煙草に限る。アウグスタが聞いたら怒り出しそうだが、速効性があって、少なからず身体に有害なのは、頭痛薬とそう変わらないと思う。

 窓を開けて、残り本数の少ない箱から一本取り出し、火をつけた。本当は喫煙室で吸わないと艦長に怒られるのだが、本人はほとんどここにいないし、たまに吸うくらいなら別に構わないだろう。

 窓の外では粉雪が舞い始めていて、開けた窓から、ほんの少し室内にも迷い込んでくる。

 ほの暗い夕空に、銀色の機体がキラリと陽光を反射するさまが見えないかと思ってしまったりするが、アストラのプラン通りにうまくいっていたならば、今頃はバイエルンと帝都の中間あたりを飛行していることだろう。

『君は完璧すぎる。君には俺なんて必要ないみたいだ』

 そう言って、前の男はアストラの前から去って行った。その前も。その前の前も。

 待って。口でうまく言えないだけで、本当はあなたをすごく必要としてる。あなたがいなきゃ私は駄目。私をひとりにしないで。

 そんな言葉は口から出てきてくれなかった。遠ざかってゆく彼らの背中を、ただ見つめることしかできなかった。

 ひとりきりで生きてきたから、これからも大丈夫。誰も頼らないって決めたじゃない。

 ちゃんと涙が出てくれば悲劇のヒロインになれたかもしれないのに、出なかった。

 これが自分なんだ。人間らしさに欠ける。職場では必要とされる。出来る人だと、かっこいいと、美しいと褒めてもらえる。でも、友人としても、恋人としても必要とされない。

 こんなの慣れてる、だから平気。つらくなんかない。ちっとも寂しくなんか……。

 最初に就いた仕事は語学教師だった。仕事量の割に賃金が低く、すぐに辞めた。そして自分がどこまでやれるのか試そうと、帝国政府に入った。

 初めての給料で、憧れていたブランド物のヒールを買った。走れるだけ全力で走った。評価も結果も、やった分だけついてきた。だが、それだけだった。そのヒールが折れた時、なにもかも、もういいやと思った。

 こんなの全部捨てて、誰も自分を知らないどこかへ行こう。誰も自分を色眼鏡で見ない、うわべの姿で人を判断しない、正直者の素朴で優しいひとたちだけが暮らす場所が、私を受け入れてくれる居場所が、きっとどこかにあるはすだ。

 そう思ったタイミングで、昔の語学教師としての経験を活かす気はないかと声が掛かった。最初は乗り気ではなかった。ただ、生徒の経歴を聞いて、ほんの少し興味を持った。アルビオン生まれの元王国貴族だという。

 学生時代、学校でアルビオン語を習っていて、全教科の中で一番得意だった。敵国語を学ばせるのは帝国政府の方針によるものだ。まずは敵の文化を知れという施策らしい。実のところ、帝国内にもアルビオン語を母語とする民族が一定数いる。逆も然りで、ゲルマン語を親から受け継ぐ王国民がいる。

 自分は、あの言語の流れるような響きに惹かれたのかもしれない。だから、生粋のアルビオン語話者に会ってみたいと思った。

 二十代半ばの、血筋のせいで過酷な亡命を強いられた皇族。何不自由ない平穏な王国貴族の暮らしを奪われた同年代の青年。彼は、死んだ魚のような目をしていた。時折、早く殺せと言いたげな顔をした。ようやく口を割るようになっても、そのアルビオン貴族特有の言い回しは、アストラにはなかなか理解できなかった。彼は片言のゲルマン語を話せたので、それを頼りに辛抱強く教え続けた。

 ブレンと出会ったのも、ちょうどその頃だ。彼は青年に銃の扱い方を教えていた。喫煙室で同じ煙草を吸っていることに気付いて話しかけたのが、きっかけだった。

 そして、二人で、あの死にたそうな青年を『笑わせよう』と決めた。どちらが先に笑わせられるか競った。笑ったら、その次は『怒らせる』。その次は、『泣かせる』。次は、『一緒に遊ぶ』。

 自ら棺桶に入りたそうな虚ろな目の理想家と、硝煙臭いうえにヤニ臭く、口が悪いけれども心根は暖かい、時折ふと寂しそうな目をする、元人殺しの男。

 二人との出会いが、居場所をくれた。


「アストラがいれば僕は要らないんじゃないか?」

 艦長は、アストラが出してきたプランを眺めながら呟いた。

 客用ソファでだらしなく寝そべっていたブレンは、棒付きキャンディをくわえながら、気の無い返事をする。

「ハ、確かにそうかもな。次の異動じゃ永遠のお暇がもらえるかもしれねーぜ」

「ひどい」

 艦長はわざとらしく悲しい顔を作って落ちこんだ。

「さっき自分で無能って言っただろうが。否定してほしかったのかよ? でもあいつは一人じゃだめだ」

「よく見てるね。さすが彼氏様」

 ブレンは鼻を鳴らす。

「別に。ひとりで全部やろうとする危なっかしいタイプだ」

「なまじ出来てしまうだけにね。もう少し僕らを頼ってくれてもいいのにさ」

「そう言うお前はポンコツだからな。手抜きすることしか考えてねえ」

「……アストラに上手な手抜きの仕方を教えてあげてくれ。僕だと説得力がないから」

「あいつ、俺の言うことは聞かねーよ」

 艦長は、天井を見上げながらそう呟くブレンのほうをちらりと見た。

「そうかな? 言い方が大事だ。君もアストラも言葉がキツいんだよ。正直なのは信頼してる証拠でいいけど、もう少し柔らかく言わないと。だから喧嘩ばかりなんだぞ」

「へいへい、お説教だな。俺も、遠回しがお得意のアルビオン語をアストラせんせーから習ったほうがいいかね?」

 艦長はブレンを小馬鹿にしたように笑った。

「君には無理だ。どうせすぐに喧嘩になるし、『やってられるかクソ!』って投げ出すよ。あと、お説教は僕の仕事だ。他は能無しだ。頼んだよ、今のままじゃアストラは僕をさらに無能にしちゃう」

 ブレンは脚で勢いをつけて起き上がると、一瞬で執務机に詰め寄り、両手で艦長の首を絞めた。

「クソが! 人のせいにして開き直ってんじゃねえ!」

「ぐえっ本気でやるのはやめてくれ! 跡が残ったら変態プレイをしたと勘違いされる!」

「いい加減このコントにも飽きてきた。テメエの女癖の悪さを治すためにしてやってんだよ!」

「ウソだ。ウソは良くない。君は二つもウソをついている」

「ウソじゃねえ!」

「そ、それはどうかな……ぐふっ」

 部屋の片隅に立って、静かに説明書を読んでいたアーノルドが呟いた。

「いい加減、仕事に戻れ」

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