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 翌日、アウグスタから連絡があり、ゼイラギエンは姉妹を拾える駅近くにある飛行場で二人を回収した。 

 戻ってきたメイは、出迎えた船員に何も言わないまま、食堂へと消えていった。レベッカが、戸締まりをする前にアウグスタの部屋から解剖の本をいくつか持ち出しておいた、船室の前に置いていると伝えると、アウグスタは礼を言いつつ微笑んだ。

 銃弾に倒れた二人の父親の意識はまだ戻っていないが、容態は安定したので、あとの経過は母親から電話で聞くつもりだという。レベッカを除く他の船員たちが持ち場に戻ってから、ランスはアウグスタに声を掛けた。

「お父さんに何も言わなくて良かったのか?」

「置き手紙は残してきました。あまり顔を見たくありませんし、家族なんだから、言わなくても分かるでしょう。そこまで愚かな人ではありません。可哀想な人ですが」

 ランスは俯いたまま、返答した。

「言いたいことは言えるうちに言っといたほうがいいと思う」

 両親にも、ジジイとアズサにも、言いたかったことは山ほどある。レベッカは黙ったまま、ランスの横顔を見ていた。

「そうですね。言えないものです。あとで後悔すると分かっていても」

 雪が舞い降りる街を見下ろしながら、船はゆっくりと上昇していく。アウグスタは丸い船窓から遠ざかる大地を見つめた。

「だから、子どもには毎日言いますよ。愛してるって。私は子どもを産めない体ですが、いつか愛する人ができたら、里子をもらおうと思うんです。普通の家族でないぶん苦労をかけるでしょうが、そのぶん幸せな家庭を築いてやるんです。誰もが羨むような円満な家庭を」

 そう言うと、彼女は眼鏡を押し上げた。

「普通って何でしょうか。みんなの平均が普通なら、みんな、どこかしら普通じゃないはずだ。……さて、仕事に戻りますか。艦長に文句を言わないと」

 それから、大股で艦長室の方へと歩いていった。

「感謝じゃなくて文句なのか? だいぶ経路変更して拾ってもらったのに」

 ランスが呟くと、レベッカは微笑んだ。

「たぶん両方だと思うわ。だって、救急車が来るのが早過ぎたって、アウグスタさんが分からないはずないもの」


 その日の夕飯はカレーだった。チキンマサラという、おかずのようなカレーだ。厨房に立つアウグスタは、カレーならいくらでも食べると喜んで並ぶ船員たちに弁解した。

「すみません、カレーは月に一回って決めてるんですが、メイが疲れてて作れなくて。私はこれ以外は作れないんです」

 ランスはヨダレを垂らしそうになりながら、スパイスがきいた香りを漂わせる大鍋を見つめた。

「もしかして、カレーの時って、いつもアウグスタさんが作ってたのか?」

「そうですよ。材料はメイが切ってくれてますけど。もう五分ほど我慢してくださいね。ヨダレがカウンターに落ちると不衛生です」

「うへーい」

「いつもすごく美味しいです。何か秘密があるんですか?」

 レベッカに聞かれ、アウグスタは指を折って数え出す。

「カレーの種類にもよります。蜂蜜、すりおろしリンゴ、ヨーグルト、あとはチョコレートを入れることもあります」

「チョコ? 確かにウ○コ色のカレーなら違和感ないかもだけど」

「ランス!」

 レベッカに咎められたランスは舌を出した。

「カカオは香辛料としても使われているよ」

 二人の後ろに並んでいた艦長が、笑いを堪えながら教えてくれた。

「ところでアウグスタ、ひとつ聞きたいんだが」

 そう言われたアウグスタは、何故か目をそらした。

「僕のチョコレート、最近内容量が減ったと思ってたんだけど?」

「何のことですか?」

「とぼけるな。君がくすねてたんだろ! 発注表を見れば、食堂にチョコを置いてないことくらい分かる。僕しか持ってない!」

「私は艦長室に出入りしていません。冤罪です」

「だったらアーノルドかブレンにやらせてるんだろ、コソドロめ!」

「俺じゃねーよ。アーノルドじゃね?」

「どうせ両方だろ!」

「やれやれ、バレたんなら仕方ありません」

 アウグスタは首を横に振りつつ、相変わらずの淡々とした口調で続けた。

「あんな高級チョコレート、独り占めするなんてズルいと思いません? みんなが美味しいカレーを食べて幸せになれるんだから、いいじゃないですか。ケチだな」

「ちょいちょいみんなにも分けてるし、あれは自腹だ!」

 大人げなく言い募る艦長を見て、並んでいた船員たちがくすくすと笑い出す。

「笑うな! チョコは僕の主食だ! 燃料なんだよ!」

「睡眠薬じゃなかったのかよ」

「ですが、これまでに我々が被った数々の迷惑を考えると、これじゃ全然釣り合わないと思いませんか? 発注書の手違いで、人類は麺類だ・エブリデイ・パスタ地獄になったりとか? ナットウが百箱届いたりとか? 懐かしいですね、ネバネバ地獄」

 艦長が怒り出すのか黙り込むのか、ランスは興味津々で見つめた。結局彼は何も言わずに、不機嫌そうに黙り込んだ。アウグスタは口の端をかすかに吊り上げて続けた。

「悪いと思ってるのなら、腹を切っていただいても構わないんですよ。東洋ではそういう自殺法があるらしいですね。うっかり中身が出てきても、何度でも押し込んで元通り綺麗に縫合して差し上げますよ。でも艦長は不摂生だから、中身から綺麗にしないといけないか。やり甲斐がありますね」

 艦長を含め、その場にいた全員が吐きそうな顔になる。

 ランスは、アウグスタが行く先々でメイに変な肉を買わせているという噂を誰かから聞いたことを思い出した。

「なあアウグスタさん、これ、ホントにチキンだよな?」

「メイが監修しているので、栄養面は保証しますよ。そういえば、カエルって鶏肉みたいに香ばしくて美味しいんですよね」

 アウグスタは、魔女が魔法のスープを作る時のように、不気味な顔で鍋を掻き混ぜた。その場にいた全員が青ざめる。

「でも、そんなに簡単に手に入らないので、今日は普通のチキンです」

 一同は、ほっと安堵のため息をついた。

「お待たせしました。皿を貸してください」

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