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 メイとアウグスタは郷士の家の生まれだという。古びた石像は、たぶん何代か前の当主がどこかで手に入れたのだろう、他にもそこそこ価値のありそうな骨董品が地下室に眠っているようだから、とアウグスタは言った。

 古びた赤い煉瓦の塀に囲まれた、広い庭のある家の前まで来ると、アウグスタは鉄製の門扉に手を掛けた。

「ベルを鳴らさなくていいんですか?」

「自分の家に入るのに許可を取る必要はないでしょう」

 確かにそうだが、ランスとレベッカは少々不安になった。

「君たちも入ってください」

 手招きされたので、二人は一面雪で覆われた庭に足を踏み入れた。だだっ広い庭の右手の奥には、雪を被った古い石像が立っているのが見える。飛び跳ねる格好の馬に、右手を上げながら跨っている男の像だった。アウグスタが背伸びしてライフルの銃床で雪を払い落とすと、その下からは口髭を生やしている男の顔が現れた。そして、ランスにだけずっと聞こえていた微かな声は、間違いなくその像から発せられていた。

「確かに巡礼像だ。でも、ほんとに壊しちゃっていいのか?」

 アウグスタは赤茶色の眼鏡のフレームを押し上げた。その奥の黒い瞳からは、郷愁などは読み取れなかった。

「それが君の仕事です。あとは私たちに任せてくれればいい。親に地下室に隠れるよう言ってきます。寒い中申し訳ありませんが、そこの塀の陰に隠れて待っていてください」

 アウグスタは首に巻いていたチェック柄のマフラーをほどき、寒さに震えているランスに手渡すと、まっすぐ玄関に向かって歩いていった。

「大丈夫かしら」

「まさか家を出てから帰るの、これが初めてじゃないよな」

「あの口ぶりだと、そうかもしれないわ。喧嘩にならないといいけど」

 二人は白い息を吐きつつ気を揉んだ。


 アウグスタは木製の重い扉を押し開け、昔と何ひとつ変わっていない玄関ホールを見渡した。久しぶりに帰ると、自分の家はこんな匂いだったのかと思う。

 物音に気付いた母が、驚いた顔でアウグスタに駆け寄った。

「アウグスタ!急に帰ってきてどうしたの。メイフアは?」

 ほんの少しだけ白髪の量が増えたな、とアウグスタは内心独りごちた。

「ただいま。メイは別行動」

 アウグスタは背負ったライフルを母の視界から隠すようにして答えた。

「外を凶悪犯がうろついてるから、一時間ほど地下室に隠れて。父さんと一緒に」

「あなたはどうするの」

 彼女はライフルの先端がある辺りとアウグスタの顔とを交互に見た。

「私は軍人だから。ちょっと物を取りに二階に行く」

「お父さんは書斎よ。呼んでくるわ」

「いや、そのまま地下室に連れて行って。出るときに鍵は閉めとくから」

 アウグスタは廊下から自室へと繋がる階段を登ろうとした。人の気配がしたので見上げると、視線の先には父がいた。アウグスタはため息をついた。すっかり髪の量が減った父は、相変わらず口をへの字に曲げて、唸るような声を出した。

「何しに帰ってきた」

「父さん、外が危険なんだ。母さんと今すぐ地下に隠れて」

「なんだ、その格好は」

「空軍の制服だよ」

 そう言ってアウグスタは父の脇を通り抜けようとした。

、その化粧と髪はなんだ」

「見た目をどうしようが私の自由だろ」

「お前は母親イリーナを侮辱する気か!」

 アウグスタは黙って自室のドアを開け、明かりをつけた。出た時そのままの状態の部屋を埃が舞う。父は扉の脇の壁を蹴った。

「そんなことをしても、私は男にならない。今は私のほうが父さんより力があるってことを忘れてるのか」

「そんな恥晒しをして歩き回っているくらいなら、戻って跡を継いだらどうだ!」

「恥晒しなんだろ? だから、この街から出ていったじゃないか」

 父が口を開くより早く、階段のほうから「クソジジイ!」という甲高い金切声が響いてきた。

「メイ。なんで……艦長か。余計なことを」

 メイは階段を登りきると、自分より頭二つ高いところにある父の顔を睨みつけた。右手には、母から渡されたのか、湯気を上げるティーカップを握っている。

「今さら跡を継げ? アウグスタは、お前が出てけって言ったから出て行ったんだ! ホントは街のお医者さんになりたかったのに!」

「何だと」

「お前は勝手だ。勝手に家族を作っておいて、私たちをさんざん苦しめておいて、思い通りにならなかったら出ていけだって? そのくせ今度は帰ってこい? 勝手もいいところだ!」

 騒ぎを聞きつけた母がやってきて、「何してるの。やめなさい」と止めようとしたが、メイはその手を振り払った。

「母さんは黙ってて。この家で四人で暮らした十年間、いいことも悪いこともあったけど、私は無駄だったとは思ってない。お前のことなんか死ぬほど嫌いだけど、それでも私たちはお前の娘だ。お前は私たちの父親だ。父親なら父親らしく子どものことを尊重したらどうだ!」

 父の顔が怒りで真っ赤に染まった。メイは右手に握っていた紅茶を父のすぐ脇の壁にぶちまけた。チャイナボーンが涼しい音をたてて砕け散る。

「これだってお前がやったことだ! ちいさいアウグスタを泣かせた! 母さんも泣かせた! くたばるなら、とっととくたばっちまえ、クソジジイ!」

 父はただ黙ってぶるぶると震えていた。母は慌てて割れたカップを片付け始めた。アウグスタは一歩踏み出すと、メイと父の間に割って入った。

「メイ、私の言いたいことを全部言ってくれてありがとう。すっきりした。でも、ちょっとばかり言い過ぎだ」

 それからアウグスタは眼鏡を押し上げ、まだ顔を真っ赤にして拳を握りしめている父に真正面から向き合った。昔は見上げるだけだった、怖かった父はアウグスタより小さくなっていた。

「父さん、医者になるのは私の小さい頃からの夢だった。だから父さんの希望は叶えられない。私は父さんの操り人形じゃないんだ」

 彼は眉を跳ね上げた。

「お前は親に向かって……」

 構わずアウグスタは続けた。

「私は父さんを愛してる。父さんが私にくれたのと同じぶんだけ、愛してる。でも、それ以上でもそれ以下でもない」

 それからアウグスタは頭を下げた。

「今まで言う機会がなかったけど、親の義務とはいえ、私たちを育ててくれてありがとう。特に私は一浪して医大に行ったから、お金も沢山かかったと思う。貰った分は返していくつもりだ」

 メイがアウグスタを見上げながら肘を掴んだ。アウグスタは彼女に微笑みかけ、自分とよく似た形の黒い目をした男を見据えた。

「私は、私を必要としてくれる職場で元気にやってる。自分で選んだ居場所だ。だから父さんも母さんとお元気で。お願いだから、今すぐ地下室に隠れて。行こうメイ」


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