ドキュメンタリー映画
「今日も来てない……」
あの日以来、潤は学校を休むようになった。
今日も那波を迎えに行く際、二組の教室を覗いたが彼の姿は見当たらなかった。
二組はまだ帰りの会の最中で、教壇で教師が話している。
美輝は教室前の廊下で壁に寄りかかりながら、あの時撮ったビデオのことを考えていた。
あの日、美輝が手にしていたビデオカメラは、事件を終始録画していた。
スローモーションで見ると、潤が犬に向かって手を突き出した後、犬の体は微動だにしなくなり、それから数秒の静止後に、一度大きく痙攣して落下した。
気になったことの一つとして、彼の手の出し方は、超能力を行使するために出したというより、飛び掛かる犬に対する恐怖から反射的に出しているように見て取れた。
何がともあれ、触れてもいない犬が、前触れなくしてその命を奪われたことに間違いない。
あれはどこからどう見ても超能力だ。
美輝は身震いして顔を上げた。
教室の前にもう一人生徒が来ていた。後ろ扉の窓から中を覗いている。
彼の横顔には見覚えがあった。
一年一学期末に映研を退会したミステリー好きの同志、佐賀賢也だ。
「佐賀君、久しぶり。誰か待ってるの?」
美輝が声をかけると、彼は元気のないそぶりでこちらへ顔を向けた。
「おお、雨川さんか。久しぶり。ちょっと用事があってね」
「そう――」
最近なんか良い映画あった? と質問しようとしたところで教室の扉が開き、中から生徒が流れ出してくる。
賢也はそのうちの一人を呼び止めた。
「あの、宮瀬潤ってこのクラスですよね?」
美輝は彼の口から潤の名が出たことに驚いた。
聞かれた男子生徒は顔を曇らせた。
「ああ、あいつはずっと学校に来てないよ」
「そうですか……ありがとうございます」
賢也は少し俯いて、足早に去っていった。
彼と賢也にどういう繋がりがあるのだろう。
美輝は廊下に一人取り残されて、賢也の寂しそうな背中が降りていった階段を見つめていた。
***
土曜日の朝、美輝はビデオカメラ片手にあの事件現場に立っていた。
既に掃除がされたようで血の跡は残っていない。
犬が倒れた地面や近くの塀を調べて見たがどこも怪しい場所はなかった。
やはり犬だけに何らかの力が働いたのだ。手品ではない。
果して彼は、どんな力が使えるのだろうか。
未知の世界が自分を呼んでいる気がして、じっとしていられなかった。
それが故に、美輝は当てもなく町の中をぶらついているのだ。
川の堤防を歩いていると、静かな河原から水を叩くような音が聞こえてきた。
好奇心をくすぐられ、堤防から河原へ続くなだらかな斜面を降りていくと、河原に立って川に石を投げ込む青年がいた。
私服姿ではあるが、後ろ姿で潤だとわかる。
美輝はゆっくりと彼に歩み寄っていった。
数メートル横まで行くと、彼はこちらに気が付いて、流し目で美輝を見た。それからすぐに視線を川に戻し、足元の小さな石を拾うと力いっぱい投げた。
川の水面を転げるように石が跳ねる。
美輝はビデオカメラで石を追いかけた。
「何をやっているんだ?」
最初に声を発したのは潤の方だった。
優しい、落ち着いた声。彼の視線は石が沈んだ場所に残っていた。
「映画を撮ってるの」
映画、と呟くと彼は顔をこちらへ向けた。
今度はしっかりとこっちを見ており、すぐに戻す気はないようだ。
「どんな映画を?」
美輝は迷った。これは何を撮っていると言えば良いのだ。
「うーん。撮るものがなかなか見つからなくて……ドキュメンタリーにしようかと思ってるんだけど」
彼は真剣な顔でこちらを見つめている。
その目の中に吸い込まれそうになり、突然、犬の映像がフラッシュバックする。
「――君、大丈夫?」
「えっ?」
随分と長い間、黙ってしまった。
「えーっと……ちょっと、ぼうとしちゃって」
「……あ、そう」
素っ気ない返事だが、不快感はない言い方だった。
「それで、よければなんだけど……映画、宮瀬君を撮らせてもらうのって可能かな?」
思い切って尋ねると、彼は眉をひそめて腰に手を当てた。
「どうして俺の名前を?」
そうか。これが初対面のはずなのだ。
美輝にしてみれば、彼は既に生活に組み込まれていたため、あちら側に認識がないということを忘れていた。
「いや、えっと、友達から聞いたんだよ」
「友達ね……」
彼はまた目を逸らし、穏やかに動く流木を目で追った。
「君、何部?」
「私は映画研究同好会の雨川美輝。宮瀬くんは部活とか入ってる?」
「俺は帰宅部。君は映研所属なのか。あと、その宮瀬くんっていう呼び方、やめて欲しい」
彼は視線を合わせない。
「じゃあ、何て呼べば……?」
「潤」
えっ、いきなり下の名前!?
しかも呼び捨てで……。
「期待するなよ」
美輝は頭の中を読まれているような気がして固まった。
「え、期待って?」
確かに彼には不思議な魅力を感じている。でもそれは未知のものへの興味関心であって、それ以外の何ものでも――。
「超能力」
「えっ」
体中に汗をかいている。
なんなんだこの人は。
何を考えているのかちっとも読めない。これも能力の一環なのだろうか。
「俺は平凡な人間だ。何か面白いものを映画に撮りたかったとしても、平凡な男子高校生の日常しか撮れない」
彼はそう言うが、美輝はあの場面を見てしまっている。
よって、彼が力を持っていることは知っているのだが、彼は美輝が目撃していたことを知らない。
なぜ嘘をつくのだろう。
やはり知られてはいけないものなのか?
「別に、能力を撮りたくて誘ったわけじゃないよ」
彼は訝しげな視線を投げかけてくる。
「私はただ、君のその独特な雰囲気に魅力を感じてるだけなの」
彼はちょっとの間沈黙した。
ちょっと失礼な言い方をしてしまった、と自分の言葉を悔いた。
「……そう。てっきり能力目当てかと思ってたよ」
怒っている様子はなかったので美輝は胸を撫で下ろした。
しかし、そう言う彼の口調は美輝の言葉を信じているものではなかった。
「ところで」
美輝は軽く咳払いをして、ずっと気になっていることを聞く。
「その、能力って言うのは本当に持っているの?」
彼は下を向いて目で石を探し始めた。
彼は随分と長い間、黙ったままだった。
それから丸くてすべすべした石を手で包むと、大きく振りかぶった。
「やっぱり、能力目的じゃないか」
石は三度ほど跳ねてからちゃぽんという音を残し、川底に消えた。
流石にこの質問はまずかったか。
美輝は次の言葉を探して、自分の足先を見つめたが、何も見つからなかった。
彼は無言で石を探している。
「ごめん、そういうつもりじゃなかったの……」
彼が投げた平べったい石は十回近く跳ね、向こう岸まで届いた。
今日の終わりを告げる赤い空に、烏の鳴き声が響いた。
「帰る」
潤はズボンを手ではたくと、唐突に言った。
さっさと美輝に背を向け、歩き出す彼に待って、と呼びかけた。
彼は振り返らずに足を止める。
「ドキュメンタリー映画、撮りに来て良い?」
彼とこれきりになるのは耐えられなかった。
美輝はじっと答えを待った。
「……大体ここにいるから」
彼は面倒くさそうに言い残すと、堤防を駆け上がっていった。
「みやせく……じゃなくて、潤!」
彼は振り向かなかった。
美輝は冷たい風が吹く河原に、一人、佇んだ。
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