目撃
美輝の世界に宮瀬潤という存在が加わった。
これまでも気付かぬだけで、その姿は視界に入っていたのかもしれない。
しかし、彼の存在は認識するようになってから、突然この世界に現れたように感じられた。
見かけるとき、どこにいても彼は、周囲の人間とかけ離れた特殊な空気を纏っていた。
それが、どこかこの世界とは不釣り合いなのだった。
ある時は廊下で、ある時は正門で、またある時は校庭に彼の姿を見かけた。
次第に、美輝は彼の姿を目で探すようになった。
そうして日々は過ぎていった。
***
放課後の廊下は静まりかえっていた。
自分の足音だけがずっと先まで反響している。
窓から外を眺める。
葉を落としきった街路樹は寒々しく、風に飛ばされたビニール袋が電柱に引っかかっていた。
部活が終わった美輝は自分のビデオカメラを片手に昇降口へと向かっていた。
今日は那波が風邪で学校を休んだため、美輝はずっと一人で活動していた。
次に撮る映画は那波との合作で、この町のドキュメンタリー映画にする予定だ。
その題材を探すため、学校の敷地内をウロウロと歩き回ったのだが、撮りたいと思えるものは見つからず、孤独感と寂寥感を噛みしめながら、ひとけのない廊下をただひとり歩くだけの時間になってしまった。
ため息を尽きながら階段を降りていると、階下から足音が聞こえてきた。
自分の足音と誰のかわからないその足音が重なり、緊張感が走る。
足音を発していた人物が視界に入り、美輝はうっかり足を止めそうになった。
すれ違いざまに一瞥を投げると、彼の目はまっすぐと前を向いていた。
宮瀬潤。たしかに彼だった。
美輝は何事もなかったかのように階段を降り続けた。
背後にあの異様なオーラを感じる。
それは少しずつ離れていき、遂に美輝は一階へと降り立った。
彼女はそこで足を止め、降りてきた階段を振り返った。
もう足音は聞こえてこないが、階段には彼の放ったオーラが残っていた。
彼はどこへ向かっているのだろう?
なぜだかわからないが、彼のことが気になり、居ても立ってもいられない。
美輝は足音を立てないよう足先に体重をかけるようにして階段を駆け上った。
何階だろう……。
美輝は二階の廊下を覗いて彼の影を探す。
ここじゃない。
また駆け上がる。
三階。ここでもない。
最上階に辿りついたとき、廊下の奥で教室のドアが閉まる音がした。
ここだ、という直感に導かれ、音が響いた場所へと歩き出す。
「たしかこの辺り……」
両側に様々な部屋が並んでいる。
化学室、化学準備室に社会科資料室……。
美輝は一室の前に立つと、扉に手をかけた。
図書室。
生徒が放課後に入るとしたら、恐らくここぐらいだろう。
音を立てないようにそっと扉を開ける。
なぜだか、見てはいけないものを盗み見ようとしている気分だった。
図書室の机では三年生だと思われる生徒たちが資料を開いて勉強をしている。
それ以外に眼鏡をかけた細い女子生徒が英書の棚を眺めていた。
美輝は本を探すふりをしながら、視界の端で潤の姿を探した。
いない。
ここの列にもいない。
もしかしてこの部屋ではなかった……?
諦めかけていたその時、本を小脇に美輝の横を通り抜けていく生徒がいた。
ハッと息を呑んでその場に凍り付く。
潤はミステリー小説を手にしていた。
私が愛して止まないミステリー映画史上の名作、『死なない男はただ眠る』の原作だった。
後ろを着いていくと、彼はずらりと机が並べられた区画で一番端の席に座り、それを開いた。
美輝は近くにあった本を手に取ると、彼の席とは正反対に位置する席に腰を下ろして、本に目をやった。
紙に並ぶ文字列を見てから、ちらと視線をあげて遠くに目をやると、彼は食い入るようにして本を読んでいた。
美輝は彼に対して湧いてくる興味に胸が高鳴っていた。
根拠はわからないが、彼が自分の何かに強く引っかかっているのだ。
今まで求めてきた何かを、彼はそのうちに秘めている。そんな気がしてならなかった。
良くないということは承知の上で、彼こそが次に撮る映画の題材だと感じていた。今、彼を前にした以上、それ以外の題材は考えられない。
とにかく漂う怪しい魅惑を、作品に収めたくてたまらなかった。
***
低くなった太陽が窓から差し込み、光に映し出されて舞い上がる埃がよく見えた。
司書の先生が閉室を呼びかけると、生徒たちはぞろぞろと部屋を出た。
美輝は昇降口で靴を履き、顔を半分ほど埋めるようにしてマフラーを巻いた。
そして潤からある程度の距離をとると、彼の後ろを歩きだした。
冷たい風が頬を打つ。
できるだけ目立たないよう、低い位置でビデオカメラを構えつつ、彼の後をつけていく。
彼は一度も振り向かず、ひたすら前だけを見て歩いた。
美輝は彼の姿を見失わないよう、だけども見つからないよう慎重に追いかけた。
丁字路を曲がるところで、はたと足を止めた彼に、美輝は慌てて電柱の裏へ身を隠す。
彼がじわりじわりと後ずさり、曲がり角から大型犬が現れた。
大型犬は犬より狼に近い風貌で、黒い毛に白が混ざっていた。
首には紐が巻き付いていたが、持ち手の方は切れており、どこかに繋がれていたのを噛みちぎり、逃げてきたと見える。
大型犬が潤の目を見据え、喉をグルルと鳴らした。
美輝は息を呑む。
大型犬が飛び掛かる姿勢に入った。
危ない!
犬の足が地面から浮いた。
思わず目を瞑る。
何の音もしなかった。
叫び声も、犬の吠える声も、何も聞こえてこなかった。
目を開けて、美輝は言葉を失った。
犬は空中で静止していた。
彼は手を前に突き出したまま、その場に直立し、驚愕の表情で犬を見ていた。
犬が真下に落下し、地面に伸びた。その目はかっと見ひらかれており、だらしなく開いた口から赤い液体が広がった。
そこに、向こうの角から眼鏡におかっぱ頭の女子生徒が現れた。写真部の長谷川梨里子だ。
「うっわ。やば! 超能力使えるのって本当だったんだ……」
彼はまだその場に固まっていた。
彼女は手にしていたカメラを持ち上げ、地面に倒れた犬を見下ろす潤に向かって、シャッターを切った。
逃げるようにして梨里子がその場を走り去ると、彼は尻餅をついてその場に座り込んだ。
じっと自分の手を見ている。
相変わらず、犬の目は開かれたままだった。
そこで美輝は我に返った。
仰天がみるみるうちに恐怖へ移り変わり、美輝は震える足で駆けだした。
家を目指しながら、頭の中では様々な考えが目まぐるしく巡っていた。
まさか本当に超能力が使える人間が存在したとは……。
しかし彼自身、能力を使ったことに驚いているようだった。
あの力は思うように制御できていないのだろうか?
それともこれが初めての経験で、今まで超能力者と言われ続けたことにより、本当に力を手に入れてしまったのか?
今まで見てきた刺激的な映画の数々が、頭の中に溢れかえっていた。
とりあえず、どうやら自分はとんでもないものを目にしてしまったようだ。
朱色に染まった道を、不気味な予感と胸をかき乱す好奇心との狭間で、自分の影を追うように走り続けた。
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