16(7)
フランツは背すじを伸ばした。
「陛下、私は自分の意思で機密局に残りますし、ティタンに居たいと思っております」
「こんな目に遭っても残ってくれるというの? 理由を聞かせて?」
「番人になったいま、機密局にいようがいまいが、身の危険は変わらないと思うのです。正直に申し上げると、後ろ盾を失うのが怖いということもありますが。自分を必要としてくださるのであれば、一度関わったことには責任を持ちたいのです。綺麗事かもしれませんが、人を殺めるためではなくて、守るために」
女王は、ふう、と長い息をついた。
「私が選択肢を示しているようでも、あなたには選択肢はないものね。ごめんなさい。あなたが継いだ祭具は断罪の魔剣。あなたは正当防衛以外の理由で人を殺し続けなければなりません。使い手でありながら定めに逆らおうとしたジョルジュは、病に倒れた。マリーはその逆で、厳格な断罪者として働くあまり、魔力を消耗して病に……。
だからジョルジュはあなたに継がせたくなかったの。あれは十二の祭具の中で最も恐ろしく、制御の難しいもの。魔力源が地水火風の元素ではなく、人の心が生み出す闇の力だから。千年の間に人の怨念と血を吸ってきた、生への渇望、呪いの力よ。あなたは、それを制御しなくてはならないの」
「恐ろしさは分かっているつもりです。私を、正しき剣となるようお導きくださいますか」
しばしの間、沈黙が訪れた。
「マリーと同じことを言うのね。あなたをマリーの二の舞にはさせたくないわ……なんて言ったらその剣に殺されてしまうのかしら。私が道を誤った時は、私を正してくれるわね? マリーにも同じことを問うたわ。あなたは答えを覚えているはず」
まだ、記憶を引き出すことが出来るようにはなっていない。首を横に振った。
「陛下、私は母ではありません。まだ記憶を継いだばかりで、申し訳ありませんが思い出せません。ですが、その時は神の教えに従い、力ではなく言葉でお諌めします」
「それが叶わなければ、あなたが私を裁くのよ、約束して頂戴。番人同士でも、直接手を下す以外の方法があること、あなたは知っているでしょう。その魔剣は伝説に逆らう者の命を奪えるのよ。だからたとえ番人相手でも、傷を負わせることくらいできるのかもしれない……それは、記憶を継いだあなたにしかわからないわ。わかっても誰にも明かさないことね」
「陛下を裁けるのは国民だけです」
「やっぱりマリーともジョルジュとも同じことを言うのね……私だけ仲間外れは嫌よ」
寂しそうに笑う、この人は孤独なのだ。そして優しい。だから彼女には局長が必要なのだ。
「シャルル・フランソワ、どうか無事で。家族のことは私が守ります。ルピナスと一緒なら大丈夫だと思うけれど、あの子もまだまだ若いわ。守ってあげてちょうだいね」
コルセットの呪縛から解き放たれたフランツは、姉に一つ頼み事をした。
「いいの? 王国貴族のしきたりじゃない?」
「いいんです。あの街には馴染みません」
「もう少しで新年じゃない。まだ治り切ってないんだから、暫くはうちに来なさいよ」
「いえ、早く帰らないと」
その言葉が出てきたことに、自分でも少し驚いた。妙に照れくさくなって頭を搔いた。
「心配をかけている人がいますし、きっと年末年始は忙しいでしょうから」
「……そう。じゃあ、いくわよ」
リハビリを重ねてティタンに戻ることができたのは、年の瀬も迫った十二月三十日だった。
姉には年を越していけと最後まで引き止められたが、大量のシュトーレンを引き取ることで、どうにか宥めることに成功した。日持ちはするし、店のほうで捌けるだろう。
フランツは大量のシュトーレンのせいでトランクが閉まらず、苦戦していた。その後ろでサビーヌはずっと、忘れ物は無いか、列車の時刻は確認したか等々、ずっと口喧しく言い続けている。
「お師匠様によろしくね。なんだかんだ、ティタンでいい人でも出来たんじゃない? その子にもあげてね」
「あー、はいはい」
「ちょっと、いるの⁉ もっと早く言いなさいよ紹介しなさいよ」
「いません。言いそびれていましたが、ご出産おめでとうございます。何もお祝いができず、すみません」
「ありがとう。いいのよ、勝手にセカンドネームを貰ったわ。フランセスカよ」
体重を乗せて蓋を閉めたフランツは、姉からは見えないように顔を顰めた。
「きっとシャルルみたいに可愛い子になるわ。髪がふわふわで、ほっぺぷにぷにで天使みたいなのよ」
自分のように可愛いという表現はおかしいと思ったが、荷詰めだけで体力を消耗したので、反論する気にはなれなかった。
「顔を見られなくて残念です。二十年くらい経ってもまだ俺が生きていたら、生還兵のフリでもして帰ってきます」
サビーヌは、急に真顔になった。
「あんたは死なないわ。帰ってくるでしょ。いつでもうちに帰ってきなさい」
母の代わりを演じようとしてくれた姉。髪型をずっと母と同じにして、母のお下がりを着ていた。
自分がいなくなれば姉は自由に生きられるかもしれないと思ったのも、早くに家を出た理由だった。しかし彼女は髪型を一度も変えなかった。ことあるごとに下宿にやって来ては世話を焼き、小言を言った。
本当の母になれてから、幸せそうで良かったと思う。
「あんた、やっぱ泣き虫ね」
「全然泣いてなんかいません。ありがとうございました。お元気で」
顔を見られないようにしたけれども、声だけは誤魔化しようがなかった。
年末なだけあって、夜行列車を待つ人の列は長かった。エルンストは、まだフランツは無理をしてはいけないからと言って、荷物を全て運んでくれている。
「列車の予約、よく取れたね」
「豪華客室しかありませんでした。差額をガリウスに請求しないと」
「怒られるでしょ」
「いいんですよ、このくらい」
改札前の列に並んでいると、呼び止める人物があった。
アメリーが息を切らして立っていた。フランツはエルンストに目配せし、列から抜けた。
「わざわざ来てくれたんですか。もう会えないかと……ありがとうございました」
「髪を切ってしまったら誰だか分からないじゃない。どういう心境の変化?」
フランツは、軽くなった頭を振った。
伸ばしていたのは、それが貴族の風習だったからだ。
そして、髪を短くしてしまうと、女性にしては珍しくショートヘアだった母に似てしまうからだった。
「姉さん、なかなかいい腕してますよね。短いとラクでいいですね」
アメリーは怪訝そうな目つきになった。
「私の質問をはぐらかす余裕はどこから来たの? もうこの国とは縁を切るつもり?」
「いえ。時が許せば帰るかもしれませんが、まだ危険なので」
アメリーは目を伏せた。
「たまには貴方の代わりに将軍の墓参りをしてあげるわ」
しなくていいと言いかけたが、好意を無駄にしてはいけないと思い、礼を伝えた。
「貴方にも帰る場所があるって分かったでしょう。むかつくけど、自分のことを昔から知ってる人たちがいる。私もそう。お父様のことなんか大嫌いだけどね」
商家から成り上がるためにすべてを捧げ、彼女を箱入り娘にし、政略結婚に利用した男。けれども故郷での評判は悪くなかった。儲けた金は恵まれない人々にも惜しみなく分け与える人物として知られていた。
「ちょっとだけ顔つきが変わったかしら。あなたの心に刺さった氷を誰かが溶かしてくれたのね。……また嫌な顔してるわよ? ゲルダが女とも、一人だけとも限らないわ。そういえば、明日があなたの誕生日だってマスターに教えておいたわよ。帰る連絡はしたの?」
「ガリウスがどうせ連絡してるでしょう」
「冷たい弟子ね。誕生日パーティの準備をしなきゃって張り切ってたのに」
想像がついて、少し笑ってしまった。
発車十分前のベルが鳴った。
「アメリー。色々とありがとう」
顔つきが変わったというのなら、アメリーもそうだった。丸くなったような気がする。物理的にではなく、雰囲気が。
「礼ならいらないわ。報酬は上から貰ってるし、いい退屈しのぎよ。でもね、次からは助けてあげられない。私、妊娠したわ」
「そうですか……おめでとう」
「ねえ、シャルル。私は誰かに愛されたくて仕方なかった。でも、自分の中には誰かを愛して優しくしたいって気持ちも、ずっとあったみたい。それをちゃんと受け取って、そのまま受け止めてくれる存在が欲しかったみたい」
珍しく、言葉を探しながら話す彼女をじっと見つめていると、顔を上げた彼女と目が合った。
その微笑みは、かつてのものとは違った。侮蔑を含んでいない。自嘲的でもない。
「それは、時間をかけて作るものだった。きっとあなたにも、そんなひとが現れるわ」
■□■□
年の暮れのティタンの繁華街は、朝日が昇る前から、色と音、観光客と帰省者とで溢れかえっていた。
人の波を避けて裏通りに入り、くすんだ時代遅れの建物が立ち並ぶ中、ひときわ目立たない古いコンクリートの小さなアパートを目指す。
道から一段下がった地下へと続く階段の先の、緑色に塗られた扉には『OPEN』の札が掛かっていた。
「荷物、裏から入れておくから。先にルピナスに挨拶してきなよ」
フランツは鞄の中から裏口の鍵を出してエルンストに手渡した。
扉をそっと押し開ける。隙間から、ゆらゆらと波のように青い照明が漏れた。たった一週間離れただけなのに、なぜか、もう懐かしい。
カウンターに立っていた、スーツに身を包んだ小柄な少女は、微笑んだ。
「ルメリ……」
それから、フランツの姿を認めると、泣きそうな笑顔を浮かべた。
「雨が上がったから、もうじき帰って来られるような気がしていました」
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