(5)

 翌朝、朝食を室内サービスで摂ったあと、フランツはドレッサーの前に座らされていた。必死の抵抗も虚しく、他人には言えないような、あの手この手でシャロンに脅され、されるがままになってしまった。

 彼女は鼻歌を歌いながらフランツの髪を結っている。始めてから既に十五分は経っているのだが、まだ終わる様子がない。何やら凝った髪型にしているらしい。

「もう、そのへんにしておきませんか?」

「ダメ。あともうちょっとだから……うつむかないで。よし、できた!」

 シャロンはフランツの顔を覗き込むと、腕を組んだ。

「んー、まだ何かが足りない。色気? 綺麗すぎて作り物っぽいのかな?」

「色気なんて要りません。気持ち悪いじゃないですか!」

「いやいや、ここはリアルさを追求しないと」

 シャロンは自分の化粧ポーチの中を漁ると、大きいブラシを取り出した。ヘアセットの前に化粧は済ませていたのに、まだ改造されるのか!

 ブラシを頬にはたきかけられ、思わず目をつぶる。それからシャロンは口紅を指先に取ると、おもむろにフランツの顎を掴んで上を向かせ、唇に指を這わせた。べたつくものを塗りたくられている感触がする。

「あ、あの」

 エロティックな指の動きのせいで妙な気分になる。逆の立場ならいいのにと思っていると、間近にある瞳が満足気に細められた。

「うん、いい。これだ。ふっふっふ、その表情もいいよ。ほら、見て」

 恐る恐る鏡を見ると、その向こうには肖像画の中の母と瓜二つの女がいた。繊細に編み込まれた白金色の髪、抜けるような白い肌、薔薇色の頬、控えめながら艶のある唇の女が恥じらうような表情でこちらを覗き込んでいる。心底ぞっとした。

「うっ」

「なに、その反応」

 ハロウィンの時のルピナスの化粧もなかなかのものだったが、本人がそれほど慣れていないせいか、ここまでの完成度には達していなかった。シャロンは「羨ましいを通り越して、ため息が出ちゃう美人だわ」と、一人でえつに入っている。

「もう年齢的にも限界ですよ。声も体も合ってないし」

「外では喋らないでね? あと、動作をもうちょっと何とかしようか」

「ハア……。夕方になったら髭も生えてきますから、一旦剃らないと」

「そっか、じゃあ化粧を落として剃って、また化粧しよ。見つかったらまずいでしょ? その表情、だめ」

 シャロンは、苦虫を噛み潰したような顔をしているフランツの顔を片手で掴むと、「男装の麗人はやっぱり目立つから、どこかでドレスを買おうよ」と凄みをきかせた笑顔を浮かべた。

「ふぇ……嫌です! もうスカートは二度と履きたくありません! スースーする」

「あーあ、顔と中身がちぐはぐだよ。貴族の礼儀作法を思い出して。お姉さんの真似をするの」

「それは余計にまずい」

「どゆこと?」

「会えばわかります。こういう感じ」

 フランツは左手を腰に当てて右手の人差し指をシャロンに突きつけた。

「あんたってホント馬鹿なの? っていう感じです」

「ああ……。フランツは儚い系の美人だからなあ。もうちょっと顎を引いて。足は開かないで、手は前で揃える。うん、それそれ」

 ぎこちない動作で指示に従いつつ、もう一度横目で鏡を見た。かえって人目を引きはしないかと若干不安になるが、とりあえず、すれ違っても男だとは気付かれないだろう。

 フランツは、椅子の背に掛けてあった緋色のワンピースを摘んだ。彼女が先程「一回着るだけでいいから!」と無理矢理着せようとしたもので、フリルやレースがふんだんに使われたクラシカルなデザインだ。

「シャロンもこういう服、着るんですね」

「ホントはそういうの好きなんだけど、仕事柄ラクなのを選んじゃうから」

「今日はぜひこれを着てください。スカート姿が見たいです」

 熱意を込めて言うと、シャロンは目線をすいと逸らした。

「か、考えとく」

「考えるだけですか?」

 シャロンは微妙に顔を赤くしながらフランツの手からドレスを引ったくった。

「着替える間は、こっち見ちゃだめだからね!」

「見ませんけど、どのみちもう見たあとじゃ……痛、痛い、師匠じゃないんですから!」

 シャロンに足を踏みつけられ、フランツは悲鳴を上げた。

「ルピナスの言う通り、あなたって余計な一言が多いね」

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