(5)

 アーノルドがカウンターを飛び越える。一瞬遅れて閃光と高周波の音。

「モニカさん! アーノルド! 大丈夫ですか!」

 ルピナスが叫ぶ。

「閃光弾だ。大したことはない」

 モニカを庇っていたアーノルドが開け放たれた扉の向こうを睨みながら答えた。既に男の影は闇夜に紛れている。モニカは足がすくんだのか、アーノルドに抱え起こされた。

「ごめん……俺のせいで……」

 少年が駆け寄る。

「いや、お前が悪いわけではない」

 アーノルドは大股でフランツの方に歩み寄ると、いきなり胸倉を掴んだ。

「クロイツァー、なぜ俺の指示に従わなかった」

 フランツは、感情が欠片ほども浮かんでいないガラスの瞳を見下ろした。

「ナイフがモニカに当たっていた可能性は十分あった。跳弾が当たっていた可能性もだ。あの拳銃はダブルアクション式だ。引き金が重い分、発射までやや時間を要する。それを計算に入れたのか」

「俺は計算機じゃありません。あなたがモニカさんを救えていたかどうかだって、五分五分だ」

「今日、撃鉄の音でフラッシュバックを起こしていただろう。下がれと言ったのは、その状態での判断力と精度は当てにならないからだ」

 フランツが口を開く前に、ルピナスが「やめなさい」と鋭く言った。モニカが二人の間に割って入った。

「アーノルド、私は大丈夫です。助かったんですから。私だって軍人の端くれなんですから、対応できなかったのがいけないんです」

「いや。マスター、俺は感情で物を言っているのではない。クロイツァーは確かに並以上の技量があるようだが、総合的な判断力に欠ける」

 ルピナスは長いため息をついた。

「モニカさん。怖い思いをさせて本当にすみませんでした」

 彼女は頭を深く下げた。

「アーノルド、フランツさん、これは私のミスです。フランツさんにアーノルドの指示に従うよう言っていませんでしたし、どんな状況でどう動くべきかも伝えていませんでした。組織の一部として行動した経験が少ないであろう、ということは予測できたはずでした。ランスさんがここに来る日が近いことも、今どんな状況にあるかもです」

「何で……あなたが謝るんですか」

 フランツは唇を噛んだ。ああは言ったが、考えるより先に手が動いたことは事実だ。非は自分にある。むしろ、力不足を責められる方がましな気さえしてくる。

「そうだよ。元凶は俺だから」

 黙って俯いていたランスが口を開いた。

「それは違います。とにかく、また追っ手が来る可能性が非常に高いので、ヘルプを呼んでいます。ランスさん、私はあなたの力になるようお父上から頼まれたのです」

 彼は弾かれたように顔を上げた。

「本当に……?」

「ええ」

 外でかすかに物音がして、ライフルを構えた男が扉を薄く開けた。

「無事か」

「ブレンさん!」

 レベッカが無事だと言うと、彼は安堵したように息を吐き出した。その後ろから息を切らしながら現れた艦長は「電話が切れたし、折り返したのに切るから……」と続けた。ルピナスはまた頭を下げた。

「ご心配をおかけしました。ランスさんをお願いします。ここにいると危ないので」

 艦長は雪を払い落としながら、ランスに歩み寄ると、漂う重い空気にそぐわない笑顔で自己紹介し、痩せた少年の肩を叩いた。彼は俯いて唇を噛み、目を閉じた。その時、静かに撃鉄が上がる音がした。艦長の後頭部に銃口を向けているのは、アーノルドだった。

「……なんの冗談だい?」

「クロイツァー。ブレンを押えろ」

 フランツがブレンの間合いに入るまでに、アーノルドは何の説明も何の躊躇もなく引き金を引いた。が、銃弾は虚しく本棚を穿つ。銃弾を軽々と避けてみせた艦長は、ゆっくりと振り返った。続けざまに三発、フランツがブレンの後頭部をナイフの柄で強打し昏倒させるのとほぼ同時に、最後の一発が艦長の肩に命中する。

「あなたは誰です!」

 ルピナスはランスを背中で庇い、艦長に向けて叫んだ。

「さて、敢えて名乗るような名はないからな……よく分かったね。さすがヘッケルの作品だ」

 艦長だったはずの男は、肩を押さえながら笑っていた。が、そこから溢れているのは血ではない別の液体だった。アーノルドは男の額に照準を当てながら、彼の腰のホルダーに収められた拳銃に目をやると、短く言った。

「艦長はSAA(シングルアクションアーミー)以外扱えない」

「ふ……そうか。覚えておくよ」

「その必要はない」

「アーノルド!」

「マスター、手出しするな」

 彼は男の足首があった位置に向けて発砲するが、そこに影はなかった。「甘いな、A-RN」

 男が抜き放った弾丸がアーノルドの両膝を貫通した。

「このスキンもそれなりにコストがかかってるから――」

 アーノルドが膝を折る。フランツがナイフを投げようとするが、気を失っていたはずの男が、ありえない方向に曲がった腕でその手首を掴んだ。

「!」

「一回使うだけじゃ勿体ないんだよね、君も分かるだろ?」

 続けざまに二発肩を撃たれ、アーノルドは愛銃を取り落とした上に完全にバランスを崩す。それでも彼はホルダーからもう一丁を抜き、引き金を引いた。鼓膜が破れそうな音が三度、だが銃弾はあらぬ方向へと飛んでいく。

「隊長!」

 レベッカが悲鳴とともに引き金を引こうとするが、床に膝をついたアーノルドは「手出しするな」と一喝する。

「……なるほど」

 男は急に動きを止めた。両腕がだらりと下がり、拳銃が床に落ちた。跳弾したマグナム弾が両肩を破壊していたのだ。そして、フランツの腕を掴んでいた男の腕もまた、金属が剥き出しの動かぬ残骸と化している。

「ヘッケルの趣味にはついていけないね。また会おう、A-RN01」

 言い残すと、男は身を翻し、扉から姿を消した。

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