(3)

 王国民にとって、帝国は未知の国だ。ロストテクノロジーと呼ばれる電気を使った文明を発展させ、破壊兵器を開発し周辺国を侵攻する機会を常に伺っている、不気味な国というイメージさえある。もちろん、ここに来る客にそんな偏見は抱いていないつもりだが、わざわざ行きたいとは思えない。

「そもそも帝国には入れませんよ」

「場合によっては可能だ」

 黙っていたアーノルドが口を開いた。

「帝国の属州の市民権を取得すればいい。学生として滞在権を得れば居住できる。そのまま就職できれば市民権が取れる」

「王国出身であることを、うまいこと隠さなきゃいけないんですけどね。スパイと判断されれば送り返されるかムショ行きですから。もし興味がおありなら、その筋に聞いてみますよ」

「ええっ……本当に大丈夫なんでしょうか」

「前例はあります。クラクフあたりで市民権を取得して、ケルン大学なんていいんじゃないですか、ねえ」

 ルピナスは旅行の計画でも立てるように言う。

「ですが、お金の出どころが突かれると厳しいですね。こちらの銀行に移したほうが良さそうだな……」

「王国ほど物価が安定していないし、レートが悪いので今はやめたほうがいいですよ。それに、ティタンの滞在権はうまいこと取れてるんでしょう? 」

 それは王国政府の工作のおかげで取れているのだが、いつまで支援が受けられるかは不安なところだ。特に、女王の私設組織に属していた身なので、彼女が退けば白紙に戻される可能性もある。

「何にせよ、動くなら早めの方がいいですね。取ったもの勝ちなので」

「クラクフの市民権はどうやって取れるんですか?」

「まずはクラクフ大学に入るといいです。学生なら、市民権Bという期限付きの居住資格がもらえます。一定以上の収入がある現地の仕事に一年以上就いて、申請が通れば、居住権付きの市民権Aが取れます。それからケルン大学に移籍すればいいんです」

 アーノルドは分解掃除していた拳銃を元に戻すと、調子を確認するように何度か撃鉄を上げて引き金を引いた。不意にフランツの視界に爆音と閃光、それから硝煙の香り、人が焼ける匂いが蘇る。

「すみません。それ、やめてください」

 彼は目を上げた。

「これか?」

 蒼白な顔の青年を何度か瞬きしながら見つめ、彼は弾倉を入れると腰のホルダーに収めた。

「どうしました?」

 ルピナスに手を握られ、フランツはハッとした。

「あ……大丈夫です」

 始めて来た日、銃口を向けられた時は何も感じなかった。

「いえ。すみません、気にしないでください」

 時計を見上げると、そろそろ開店の時間だ。

「扉、開けてきます。大学のことは早めに決めますね」

 アーノルドの視線が追ってくるのがわかる。心配されているというよりは分析されているようで、落ち着かない気分になる。逃げるように背を向けた。


「PTSDの可能性がある」

 アーノルドは扉が閉まるのを確認してから言った。

「フランツさんがですか? 初日は平気でしたよね」

「何が鍵になるかは分からない。いざという時、あれでは護衛にならん」

「とはいえ、現状、この街ではまだ刃物の犯罪の方が多いですから、大丈夫なのでは?」

「犯罪事件に使用された銃火器の数は年々増加している」

「うーん……まあ、VIPには予約を入れるように頼んでいますから、その日は極力シフトを避けますね」

 用心棒はもう一人いるが、週末に一回くらいしか入れない。

「もしかして、あの紛争に従軍していたということでしょうか」

「当時十六歳か。中等士官学校を出ていれば十分あり得る」

「これはまた……シャロンさんには知られないほうがいいですね」

「いずれ分かることを隠してどうする」

「みんなアーノルドさんのように理屈で考えられたらいいんですけど、そうはいかないんです」

 ルピナスはため息をついた。

「彼は暗殺者ですよ。想像したくない可能性が浮かび上がってきませんか?」

 アーノルドはルピナスのオッドアイを見つめ返した。

「可能性に過ぎない」

「私は最悪のケースを考える癖がついてしまったみたいですね」

「最悪の事態を考えることは最大の防衛策だ」

 ルピナスは笑って立ち上がった。

「あなたがいると安心できます。行ってきますね」

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