第15話 涙は流せない

目の前の空間に右手を翳して小さな水球をつくる。それを段々大きくして次に分裂させる。それらをまた少し大きくして周りに漂わせて好きな方向に動かす。

暫くしてから周りに漂わせていた水球を蒸発させるようにして消す。


(うん。やっぱり水魔法は問題ないな)


レイアは生まれた時から水を自由に操っていた為、水魔法に関しては詠唱や魔法陣などは全く必要としなかった。

そしてこの数ヶ月で全ての属性の初歩的な魔法は扱うことが出来るようになっていたが、水魔法以外は全て詠唱や声で命令して魔法を発動していた。

レイアはこの"詠唱"や"声で命令"して魔法を発動させるという行為に疑問を抱いていた。

なぜなら人魚は皆水魔法を使う際に特に呪文を使ったりはしていなかった。たまに「洗い流せ!」と言った感じで声に出すこともあったが、殆どの場合はレイアと同じように手を翳したりするだけで水魔法を使っていた。


レイアはソリタニア国に来て初めて魔法を使う際に魔法陣や呪文、簡単な命令が必要であるということを知った。

この魔法の発動条件は人間が作り上げ、考えたものだと思われる。


(でも本来、魔法を使う時に呪文や言葉は必要ない筈だわ)


海の中で暮らす人魚にとって水は常に周りに存在するものであり、身体の一部だった。そしてそんな彼等にとって水を操るという行為は身体を動かすのと同じように出来て当たり前の行為なのである。

そう考えたレイアはこの日、現在練習している中級魔法に取り組むのを一度やめて、今日までの日々で取得した初級魔法を全て呪文や言葉なしで使える様にしようとシレーヌ家の地下に来ていた。


(多分、大事なのは具体的なイメージ……。水魔法も特に何も声に出さなくてもイメージで操ってたもの。私の場合もう特に意識せずに殆ど感覚的に使っていたけど)


レイアは右手を正面に向けて翳す。


(小さな風を、巻き起こすイメージ……ッ!!)


すると目の前に少し風が少しずつ吹き荒れはじめた。


(やった……っ!!)


成功かと思い喜んだレイアだが、喜びで気が緩んだ次の瞬間。


ゴオォアッ!!


「う、っわ……!!」


コントロールを失って小さな風はいきなり巨大な竜巻の様になり、レイアは思いっきり後方へ吹っ飛ばされた


「いったぁあ……」


ここ数ヶ月で身体能力をめきめきと上げていたレイアは無事に受身をとる事で大した怪我はせずに済んだが、左腕を思いっきり擦りむいた。

そしてレイアは特に意識せずに擦りむいた部分に右手を翳して光魔法で怪我を治癒した。

そしてもといた場所に戻ろうとして、はた、と気づいた。

今までと同じような行動をしていたために得に意識していなかったが、


「今、私、特に詠唱とかしてなかったような……?」


そういえば、海の中で小さな怪我を治す時も今と同じ感覚で光魔法を使っていた。

レイアはうーん……と少し考えてから、風魔法よりも光魔法の練習を開始した。少しでも感覚を掴めているものから始めた方が効率が良いだろうと考えたのだ。


そしてレイアの一連の行動を、周りにいた同じようにいつも魔法の訓練している何人かが有り得ないものを見るような目でみていた。


「あの坊主、今、無詠唱で魔法使ってなかったか……?」


「いや、んな馬鹿な……気の所為だろ……?」


「無詠唱魔法なんて、国の最高魔法省でも一握りの人間しか出来ない筈だぜ……?」


ザワザワと周りが騒ぎだす中でもレイアは周りが自分に向ける視線に全く気づくこともなく、その日も修行に明け暮れるのだった。

















夜、レイアは人目につかない海岸の岩場に座り込み、足首から爪先にかけてを海水に浸していた。

本来、人魚であるレイアは長時間海辺から離れて生活することが難しい。だから一週間に一度はこのようにして身体の一部だけでも海水に浸さなければならない。

一週間に一度で済んでいるのは、今生活しているキュステの家が海辺にあるからだろう。


レイアが軍を目指している以上、半年後にはそう何度も海に行くことは出来なくなる。軍は大陸の中で最も海から離れた場所に存在する施設の内の一つと言えるからだ。レイアは半年後にはそこの寮で暮らし、海から離れて生活することになる。レイアがいくら尾びれを脚に変化する事が出来るといっても、海から離れれば離れる程に長時間脚を変化した姿を維持することは難しくなる。

何の準備もせずに行くともって二ヵ月だし、日が経つにつれて脚も動かしずらくなるだろう。


(どうにかして、海から離れた状態でも人間の脚を保てるようにしなきゃ……)





ソリタニア国では軍だけでなく、城を含めた国の重要機関全てが最も海から離れた場所に存在している。何故なら大陸の丁度中央に城を構えているからだ。そして城のすぐ傍に魔法省と軍事施設、裁判所などの政務省といった諸々の機関を構え、その周りを城壁が囲っているのが、ソリタニアなのだ。

その城壁の周りに貴族の館が広がり、一方には国立図書館などの公共施設が連なり、城を中心としてみた反対側には貴族御用達の高級店が立ち並ぶ城下町が広がっている。

そしてその周りにもいくつか位は下がるがまた貴族の家や有力な商人などの家が立ち並び(アルフォンド家やシレーヌ家はこの辺に建っている)、そこから海に近ければ近い程平民や身分が下の者達の家が広がっていく。

キュステの家がある辺りは漁師などの家である事から海辺にあるにしては裕福な家にあたるなど、例外もいくつかは存在するが、普通は海に近ければ近い程身分が下の家が広がっている。

レイアが今いる海岸の方面には平民の家や平民向けの店が立ち並ぶ区画があるが、ちょうど反対側の区画には作物を育てる田圃や畑、そして草原や森、放牧を行う地域も広がっている。

知れば知る程、ソリタニアは恵まれた陸の上に存在する国家だ。

これだけの豊かな土地を有していながら、なぜさらに海域を広げようと、欲を出したのか……。

ぎりっとレイアは爪がくい込むほど強く拳を握った。

数ヶ月で、レイアはこの国の豊かさを沢山知った。そして優しい人間にも沢山会った。

でも優しい人と知り合いになって関わっても憎しみは消えない。これだけ恵まれた人間が何故人魚を裏切ったのかと考えると常に潜む頭や胸の中の黒い感情がぶわっと広がっていく。


「どうして……っ!」


人間を信用してはいけない。

好きになりたくない。

優しさを知れば知るほど、憎みたくない気持ちが膨らんでいくのが怖い。


静かに頬を伝った涙は、真珠へと形を変えて海の中へと沈んでいった。


レイアが人前で泣くことがないのはこの人魚の涙の特殊性があるからだ。

人魚の涙は体から離れると真珠へと形を変える。だからレイアは人間の前では絶対に泣くわけには行かない。

海から離れて長く暮らす事が出来ないのも、人魚の特徴の一つだ。

ーーそして、人間を心から憎む事が出来ないのも。

レイアは頬をつたう涙を強く拭うと立ち上がり、家に戻る為に海に背を向けて歩き出した。



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