第11話 軍に入るために その1



インベル・アルフォンドは茶髪に緑の瞳をしたとても七十代とは思えない立派な体格をした男性だった。まだ現役と言われても納得してしまいそうな軍人然とした雰囲気と、多くの戦場をくぐり抜けて来たであろう貫禄を有して彼は現れた。一軒強面に見える彼だが、緑の瞳には優しげな光を携えていた。


「待たせて済まなかったな。キュステも随分久しぶりだが元気そうで何よりだ。もう少し類便に顔をだすか、やはり一人暮らしなんてやめて家に戻ってきたらどうだ?」


「嫌ですよ。こんな豪邸でメイドさんなんて雇いはじめちゃって。私は自分のことは自分でやりたいね。人にお世話されるの慣れてないし、落ち着かないよ」


確かにお茶こそターニャさんが煎れていたけれど、このリビングに来るまでに多くのお手伝いさんがいた。結婚して家を出る前は一般家庭だったのなら、確かにいきなり他人にお世話をされる生活には慣れにくそうだ。

キュステの家に居づらいと言っていたのも頷ける。


「全く強情な奴だ。……それで、見ない顔がいるようだが」


そう言ってインベルさんは瞳を鋭く細めて探るような視線で私に目を向けた。流石は元軍人、凄い威圧感とオーラだ。だが国王を父に持ち、多くの謁見の場や会議にも参加していた私はそれくらいじゃ全く怯まない。背筋を伸ばし、その瞳を真っ直ぐ見詰め返し、口を開いた。


「お初にお目にかかります。レイと申します。本日は前触れもなしに突然の訪問失礼致します。インベル殿に折り入ってお願いしたい事があり、キュステさんに同行させて頂きました」


私は軍人一家であると聞いた時からこの家にいる間は軍人を目指す青年を演じることにした。その方が気に入られやすいと思ったのだ。

インベルさんは大抵の人間は怯える自分の視線に怯みもせず、それどころか真っ直ぐ目を合わせてきた様子に驚いた後、毅然とした姿勢で礼儀正しく言葉を返す私の姿をみて、機嫌を良くした。


「ほう。なんだ、言ってみろ」


「はっ!ありがとうございます」


そして私はキュステさんに世話になった経緯と記憶を取り戻すために軍に入りたいこと。そして軍に入る為の剣技や知識、魔法について学びたい旨を話した。


「成程……、経緯は理解した。しかし、」


一度言葉を区切り、インベルさんはまた鋭い目を私に向けた。


「軍に入るということは、ソリタニアに忠誠を誓うことと同義だ。記憶を取り戻したとして、その後はどうする? 直ぐに母国に帰るつもりか?」


それは当然の疑問と言えるだろう。だが、答えは準備してある。

私はいいえと返さた。


「軍に入っても記憶が戻るという確証はありません。それにもし戻ったとしても、俺にはキュステさんに命を救われた恩があります。今日までの数日間だけでも、キュステさんがこの国を大切に思っていることはとても伝わって来ました。ですから、キュステさんが大切にされているこの国に恩を返すまで、軍を抜けるつもりはありません」


これは半分は本当で、半分は嘘だ。私が感謝を感じているのはキュステさんに対してだけで、恩を返したいと思うのもキュステさんにだけだ。ソリタニアには憎しみしかない。恩を返すどころか、アクティニアを滅ぼされたように、この国も滅ぼしてやりたい。だが、その為には軍に入らねばならない。だから私は嘘をつく。もう、目的の為に嘘をつく事に罪悪感など感じなかった。


「……良いだろう」


「……! ありがとうございます!」


私の決意の込められたの瞳を別の意味で捉えたのか、将又、その言葉に嘘はないと思ったのか、インベルさんは私が軍に入る為に必要になる諸々を教え、与えることを約束してくれた。


「では明日から始めようか。私は厳しいぞ。覚悟しておけ」


「はい!よろしくお願いいたします」


アルフォンド家の道場で行われる剣術・武術指導は週に三回、午前中の十時から午後の十五時まで昼に一時間の休憩を挟んで行われる。

道場には勿論通うとして、この国の軍についてまだ何も知らないレイアは道場が休みの三日間は午前中に軍人としての知識を学び、午後は魔法について学ぶことにし、週末は一日休みを貰うことになった。


「何から何まで、本当にすみません」


「気にするな。しかし、一つ問題があるな……」


「何でしょうか?」


「魔法についてだ。我が家は軍人一家とはいえ、剣術や武術に特化した一家でな、全ての属性の魔法について詳しい訳では無い。うちは土属性と火属性、無属性魔法を持って産まれる者がいるからそれらはある程度教えることが出来るが、まず魔力自体もそんなに多くはないから、魔法ついて教えるのには少し役不足ではないかと思ってな」


その言葉にキュステさんが反応した。


「お父様。その事なら心配いりませんよ。恐らくそうであろうと考えて、魔法についてはシエール家にお願いしようと考えていましたからね」


シエール家はキュステの嫁ぎ先の家だ。聞けば、シエール家はアルフォンド家と同じ軍人一家ではあるが、魔法に秀でた一門であるそうだ。

本当にキュステさんには助けられてばかりだ。本当に感謝してもしきれない……。

如何にして恩を返すべきかと私はキュステさんの優しさに胸が熱くなった。


インベルさんはキュステさんの言葉に成程、と頷いた。


「そうか。確かにそれなら魔法についてはシエール家に任せた方が良さそうだな。だが、まずはレイがどの魔法の属性であるか調べる必要があるな。魔法をどう学ぶかは調べてから決めるとしよう」


インベルさんの言葉でまずは私の魔力の属性を調べる為の準備が始まった。


さて、ここからが問題である。私は闇以外の全ての属性持ちである。勿論一番得意なのは水であるが、水属性であるということは人魚の血が流れていることを示す。

他の属性で誤魔化すことも可能だが、今まで海で生きてきた私は水属性以外の魔法はほとんど使ったことがない。少なくとも闇属性以外の全ての属性を持っていることは隠すとしても、水属性を隠すことは難しい。咄嗟に魔法を使うとしたら今まで慣れてきた水属性を使ってしまう事は必須だ。やはりここは、正直に伝えるべきだろうか。


「……あの、その属性のことなのですが……」


「どうした?何か心当たりがあるのか?」


言いにくそうに声をあげた私をインベルさんが訝しげに見遣る。


「恐らくですが、多分……わ、俺は水属性の可能性が高いと思います」


私がそういうと同時、準備で忙しかった部屋が静かになった。皆、一様に驚いた顔でこちらをみていた。やはり、まずかっただろうか。だか、何か言われる前に私は言葉を続けた。


「キュステさんが、俺が浜辺に流れ着く前日にこの国は人魚の国を襲ったと聞きました。恐らく、俺には少なからず人魚の血が流れているのだと思います。これは軍に入る上では、やはり不味いことでしょうか……?」


私の言葉にターニャさんやアンナさんは戸惑ったようにインベルさんを 見やった。インベルさんは目を閉じて何事かを考えているようだった。キュステさんが私に問いかけた。


「レイはなんで水属性だと思ったんだい?」


「俺が浜辺で発見された日の前夜は嵐だったと聞きました。俺は多分、泳ぎはそんなに得意じゃない……なのに奇跡的に助かった。だとすれば……」


「水の加護……という訳か」


私の言葉に続ける形でインベルさんが答えた。この世界での魔法の属性との相性の良さはどれだけその属性に愛されているかによって左右される。一般的にはその属性との相性の良さが、その属性から加護をどれだけ受けているかということを表現している。

実際、まだ浜辺から離れた場所で転変して大波に飲み込まれた私は一歩間違えれば命も危うかっただろう。それに人魚であった私は脚の状態での泳ぎ方を知らない。水の加護があった事は間違いない。


「恐らくは、その可能性が高いと思います」


目を閉じて考え込んでいたインベルさんは不意に目を開けて私を見た。


「……いや、寧ろ水属性なら歓迎されるかもしれない」


一瞬、何を言われたか分からなかった。インベルさんが続けて説明する。


「何十年か前まではこの国も人魚と結婚する者はいた。その影響で水属性の魔力を持つ者も珍しくはあるが一定数はいたんだ。しかし、人魚との関係が悪化するのと同じくして水属性を持つ者は激減した。そして軍は恐らくその事を表立ってはいないが問題視してると考えられる。その証拠に他国との軍の交流の場などに於いて他国の強い水属性の者を勧誘している姿を何度か見ている」


キュステさんが続けて言う。


「確かに、他国には人魚と友好的な国も多い。寧ろ今のこの国に比べたらどの国も人魚との関係は良好なほうだろう。その分水属性を持つ人間も多いだろうしね。とりあえず、レイが他国の人間であることはもう間違いないだろうね。加護を得るほどの水属性と相性の良い人間はこの国にはもう何年もいない。……まぁ、少しの水属性持ちなら家を含め、例外はいるけど」


「……え?」


インベルさんの寧ろ歓迎されるという言葉にも驚いたが、それよりもキュステさんの最後の言葉が気になった。


「アルフォンド家にも、水属性を持った方がいるんですか……?」


キュステさんが優しい顔をして私に言った。


「レイを助けた甥が、この国での数少ない水属性を持つ人間の内の一人だよ」


その言葉に私は目を見開いた。


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