第一章

第6話 浜辺にて



はぁ、明け方の海岸近くで一人の男が溜息をついた。

昨夜から吹き荒れていた嵐はようやく過ぎ去り、波も落ち着きを見せ始めていた。朝日が照らし出す波打ち際を男は歩いていた。

昨日、ソリタニア国は宣戦布告もなしに突如アクティニア王国をほぼ一方的に攻撃した。

それも二ヶ国の友好を深める祭事の最中にだ。

いくら祖国といえど、この所業には吐き気がする。

男は丁度昨日まで軍の短期間の休暇を取っていた。今日はこれから、軍へ戻らねばならない。


(俺は、結局、何もできなかった……)


上がアクティニア王国の海域を狙っていると知っていた。

だからこそ男は軍の中で実力をあげ、貴族や政治にも発言権を得ることが出来る地位を目指して軍に入隊し、徐々に立場を向上していたのに、結局戦には間に合わなかった……。

上司に意見を述べたりと努力はした。

だが、無理やり取らされた休暇の間に国は勝手に人魚達を襲った。


(今回、俺以外にも無理やり休暇を取らされてる団員が多かったのは、開戦反対派がいない隙に事を起こすためだったのか……っ!!)


男は悔しさから、歯軋りをする。


男には人魚の知り合いがいた。もう十年以上も前のことだから記憶も朧げになりつつあるが、男は人魚が好きだった。心優しい彼らと戦うことがないよう、軍に入った。昇進していけば、いずれは政治への発言権を得ることができる立場まで上り詰めることができると信じていた。しかし、結局男は、間に合わなかったのだ。


人魚達も心配だが、今日軍に戻ったとして、これから自分は何を目標にして生きて行けば良いのか、男には分からなかった。

その悩みから結局一睡も出来ず明け方の誰もいない海岸を散歩していた。すると、視界に何かが入った。


「あれは……?」


浜辺に何かが倒れている。それが人であると気づくと同時に、男は走り出していた。





ーーー





コトコト、トントントン……

小さな物音に気づいてレイアは眼を覚ました。


(ここは……?)


木の木目がみえる。横を向くと壁は煉瓦でできており、どうやら何処かの家の一室であるようだった。

何故自分はこんな所にいるのだろう。確か嵐の中浜辺に向かって泳いでいた筈ーー


そこまで思い出してガバッと起き上がった。

脚を確認する。ちゃんと人間の二本脚である事を確認して少し落ち着いた。

そうだ。

浜辺に近づいた時点で尾びれを脚に転変して人間から剥いだ軍服に着替ていた所、突如襲った高波に飲み込まれた所まで覚えていることから、どうやら私は人魚のくせに海の中で気を失ってしまったらしい。


「なんて情けない……!」


初っ端から先が思いやられる、と溜息をついた所でガチャリと目の前のドアが開く。

ギクリと肩が強ばる。そうだ、まだここが安全とは限らないー。

心臓の音が耳の奥で大きく鳴り響く。扉が開くのがスローモーションのように感じられた。


「おや、良かった! 気がついたんだねぇ」


扉からひょっこりと顔を出したのはご年配の優しそうな女性だった。若く見えるが歳は五十は超えているだろう。


あまりにも優しそうな風貌に思わず拍子抜けしてしまい、反応に戸惑う。


こちらがどう反応しようか迷ってる間に彼女は湯気のたったお碗とスプーンを乗せたお盆を持ってこちらにゆっくりと近寄ると、レイアが横たわっているベッドの側にある小さな机に盆を置いてから急にレイアの額に手を当ててきた。

急な接触に思わずビクリと反応してしまう。


「ああ、急にすまないね。でも良かった。熱は下がったみたいだね」


「あ、いや……、あの、ここは何処でしょうか?」


とりあえずは現状把握だ。

状況を理解しない事には何も始まらない。


「アンタ、大方何処かの国の軍人関係の人だろう? この国じゃ女性の軍人はいないし、シャツとズボンしか履いてなかったから詳しくはわからないけど……。一昨日の嵐で流されたのか、昨日の朝に浜辺で倒れてるのを甥が発見して運んできたんだ。熱が酷くてなかなか眼を覚まさないから心配してたんだが、一晩たってすっかり良くなったみたいで安心したよ」


女性の優しい笑みに戸惑う。

どうやら自分は運良く優しい人間に助けられたらしい。人間は嫌いだ。でも、悪い人ばかりではないのだろう。解っていても昨日見た兵士達から受けた人間への憎しみが残ったままの心中は複雑だ。


(まさか人間に助けられるなんて……)


「にしても女の子がなんで軍服なんて着ているんだい。他国では女の子も兵士をやらされるのかい?」


レイアの心中には気付かずに彼女は話しかける。


「……えっと、その……」


しまった。上手い言い訳が思いつかない。そもそもレイアはソリタニア国では女性の軍人がいない事さえたった今知ったのだ。


(しまった、確に船の兵士は全員男だった……。でも、他国から流された事にすれば……でもそれにしたってボロが出そうだ)


レイアの戸惑った様子に彼女ははっと息を飲み、まさか……と言った。


レイアはギクッとし、冷や汗を流す。まさか、人魚だというのがばれたのだろうか?

だが、彼女から出たのは予想外の言葉だった。


「お前さん、もしかして記憶がないのかい?」








あの後女性はレイアが何かいう前に一人で勝手に納得したかと思うと、甲斐甲斐しく煮込まれた柔らかいお米(お粥というらしい)を食べさせ、まだ体調は万全じゃないだろうから寝てなさいと言って、部屋を出ていった。


正直騙している様で罪悪感が拭えない。


(いやいや、人間相手に罪悪感など抱く必要なんてない!)


レイアは思わず頭を降って思考を中断したが、そのせいで折角治りかけていた熱が悪化した気がした。

どの道、この国で目的を果たすまで私は人魚である事を隠し通さねばいけないのだ。こんな事で罪悪感なんて抱いてなどいられない。


(でも……あの人は凄く良い人だ……)


見ず知らずの自分を本当に心配してくれているのがとても伝わってきた。

だが、自分が人魚だと知ったらあの兵士達のような冷たい眼を向けてくるのかと思うと胸が痛くなった。


(なんだが成り行きで妙な事になったけど、記憶喪失っていうのは以外といい手かもしれないな)


自分はこの国の事を何一つ知らない。だからどの道これから多くの事を学ばなきゃならない。記憶喪失というのは物事を知らないことへの違和感が全くないことへの真っ当な理由としては完璧なものに思えた。

それにこの国で自分の身分や出自を証明するものなど存在しないことから、他国から流されてきたとするのもいいだろう。


(とりあえず、明日までにある程度の私の人間としての設定を考えておかないとな……)



そう考えながら、レイアは再び深い眠りについた。





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