第5話 終わりと始まり


砲撃を避けながら必死に国を出て東へと逃げる。東の先に人魚と人間が共生している大国があると父は言っていた。

でもその国についても、果たして自分がまた人間と暮らす気になれるとは思えなかった。

砲撃によって崩れ去る王城が遠ざかる。

海底に沈み行く人間と、血を流しながらも戦い続ける人魚の兵士の姿がみえる。


ーーレイア、お前は皆を連れてこの国を出て逃げるんだ。


父の声が頭に木霊する。


ーーレイア、アクティニアを守って……!


母の最後の言葉が、瞼の裏に浮かぶ。




ーー駄目だ。やはり自分は、行けない。




進むのをやめたレイアを仲間が心配そうに見やる。


「姫様、お気持ちはわかります。でも急いで今は逃げませんと、いつ人間に追いつかれるか解りません」


「そうだね。だから、皆は逃げて。このまま逃げ続ければ、人間が人魚の速さに追いつくなんてことは有り得ない。きっと無事に東の国まで行ける」


「何をいっているのですか!? なりません! お父様に逃げるように言われたのでしょう!?」


「そうだね……。きっとお父様には、とても怒られちゃうだろうなぁ……。でもね、皆、私は姫だよ。まだ成人したばかりで、頼りないかもしれない。でも、私にだって王族としての血が流れてる。ー王族としての誇りがあるの」


レイアの酷く澄んだ碧い瞳に共に逃げていた人魚達は息を呑む。彼女の瞳は晴れた日の深海の色その物だ。


「皆はこのまま逃げ続けて。少しでも多くのアクティニア王国の人魚が生き延びるのがお父様の願いだから」


「姫様は、どうするのですか……?」


「お母様が目の前で殺されて……、なのに、私は何もできなかった。ダルヤ叔父様やバハルが命懸けで助けてくれたこの命を無駄にすることなんて、出来ない。でもーー」


その時、遠くから戦っていた何人もの兵士が追いついてきた。


「戦いは終わりです! このまま続けても命が失われるばかりだと、王が撤退命令を出しました! 我々も共に西に向かいます!」


「お父様は無事なの!?」


「ええ! 時期に追いつくでしょう……姫様!?」


「皆は先に進んでいて!」


レイアは急いで父の元へ向かう。


(良かった……! 無事なんだ……!)


遠くに多くの兵が集まっている姿が見えた。きっと父がいるに違いない。


「お父様……!」


安心しながら声をかけて父の姿を確認しようとしたレイアは、その姿をみて、言葉を失った。


ラウト王は血だらけだった。


「どうして……海の中なら、人間は手出し出来るはずがないのに……」


しかし父が胸に抱く者をみて、直ぐに理解した。


ーー父は、母の亡骸を抱いていた。


娘の言いたいことがわかったのか、ラウトは話だした。


「危険だとわかってはいた……。だが、どうしても……身体だけでも、海に返してやりたくて、無理をした……。その結果がこの態だ……」


「お父様……!」


ラウト王の身体からは未だ血が流れ続けている。このままでは出血多量で死んでしまう。


「お父様、このまましばらく逃げ続ければもう人間は追いつきません。そこで身体を休めれば、きっと大丈夫です。だから、もう、喋らないで下さい…!」


「レイア……私の宝……」


自分の手を両手で必死に握りながら語りかける娘をラウトは見詰めた。しかし、その視線が合うことはなかった。きっと、もう視界もはっきりとうつってないのだろう。


「最後まで自分勝手な父で済まない……。だが、最後の我儘を聞いてはくれないか……?」


「最後だなんて、言わないで下さい!!! お願いだから、もう、喋らないで……!!」


ラウトが口を開く度に傷口から大量の血が流れ出す。気をしっかり持つようにと、手を強く強く握りしめる。


「お前は、お前だけはどうか生き延びてくれ……生きて、生き延びて、幸せになって欲しい。……東の果てには人魚にとって夢のような国が、あるらしい……そこへ皆と逃げ、て、幸せに……暮らして……くれ……レイ、ア……」


父の声は次第に小さく、途切れ途切れになっていく。


「お父様……、ちゃんと聞こえています……! レイアは、ここに……!」


「レイア……最後、まで……一緒に、いてやれな、くて……すまな、い……」


レイアは涙を流し続ける、もう、まともに答える事も出来ず、ただただ強く手を握り返す。


「愛して、いる…………レイア、私と、セイラの……」




ーー私とセイラの、大切な宝物。




その言葉を最後にラウトの手から力が失われた。もう、父が言葉を零すことはなく、瞳が光を映すことはなかった。


「お父様……私も、愛しています……ずっと……ずっと……っ!」




ーーー




レイアは父の瞼に手をやり、閉じさせると、残りの兵士とともに父と母の亡骸を海の中で遠く、人間の手の届かないであろう所まで運んだ。


生き延びた人魚達と父と母の墓を立派ではないが、安らかに眠れるようにとたてた。

(お母様……幸せそうな顔だわ……)

兵達によると父が船上に残っていた全ての人間を倒し、会談の広間についた時、母の亡骸を庇うようにして叔父が倒れていたらしい。

その為だろうか、父が抱いていた母の亡骸は貫かれた胸以外は傷一つなく、父の胸の中で安心したように安らかな顔をみせていた。


父と母が共に埋葬される中、レイアはもう涙を流すことはなかった。ただ、父と母や、失われたアクティニア王国の民が安らかに眠り、天国で幸せであることを願った。



「レイア姫、そろそろ出立しませんと……」

墓の前から動こうとしないレイアに、年配の兵士が声をかける。


「やっぱり、私は行けないわ……」


「レイア様…何を言っているのです……?」


「私は、行かない……やらなきゃいけないことが、出来たから」


「何を言っているのです!? 父王様と王妃様の言葉をお忘れですか!?」


「忘れてなんかいないわ!!!」


レイアの大声に思わず兵士達は押し黙る。


「忘れるわけが、ないじゃない……!!」


涙を零すまいと拳を握りしめ、それでもレイアは動こうとしなかった。


しかし、暫くして振り返った彼女の瞳はもう強く決意を固めていた。


「お母様は国を守れと、お父様は生き延びろとおっしゃったわ……でも、」


「そうです! だから我々と共に東に向かいましょう!」


「でもそれは、今じゃない! 今はまだ、行けない……!!」


レイアは大きな声で反論する。


「姫様!!」


人魚達は口々にレイアを説得しようと声をかけた。


だが、レイアは頷かない。

そうだ、アクティニアの王族は昔から一度これと決めたら意志の固いものばかりだった。

ーー彼女は、間違いなくアクティニア王家の血を継いでいる。


「レイア」


「お爺様……」


それまで遠くから様子を見るだけで一言も声をかけてこなかった先王サムドが声をかけてきた。


「もう決めたんだね?」


「……はい」


「決意は揺るがないのかい?」


「はい……!」


「そうか。……だったら、お前の好きにしなさい」


サムド様!? と他の人魚達が口々に驚きの声や止めようと声にだす。


「皆、この子の眼を見てご覧、もう何を行っても無駄だ。アクティニア王家の子はみんな一度こうと決めたら考えを変えない頑固者ばかりなのは皆も承知の上だろう」


そう他の人魚に伝えると、サムドはレイアに向き直って言った。

お前の母、セイラの願いは、私が引き受けよう。私が皆を無事に東の国へと連れていく。その変わりレイア、一つだけ約束しなさい。


「お前はラウトの願いを守らなければいけないよ。なにがあろうと、どれだけかかろうとも、必ず生き延びなさい。生き延びて、何年後でも構わない。東の国へお前も来て、幸せに暮らすこと。……約束できるかい?」


「はい……。必ず、必ず私も東の国へ向かいます。目的を終えたら必ず、会いに行きます……!」


「そうか。では私はもう止めないよ。でも、けして無理はしないように。ラウトとセイラの思いを無駄にしてはいけないよ」


レイアは強く頷き、他の人魚達にも笑顔を向けてお辞儀した。

そして崩れた王城へ向き直るともう振り返ることもなく、泳いでいった。


その場の人魚達は戸惑い、心配する者ばかりであったが、後を追うものはなかった。

レイアの姿が見えなくなると、サムドの声かけで、生き残った人魚達は東の国へと向かった。





---





「絶対に、絶対に、許さない……っ!!!!」


崩れ去った城の周りには逃げ遅れたのだろう、多くの人魚達の亡骸が残されていた。中には子供を抱いたまま瓦礫に埋もれた母親の姿もみえた。

レイアは催事の開会式で見たソリタニア国の王族と王の顔、そして母が殺された時の人間達の顔を思い出す。

何年かかってもいい、絶対に殺してやる……! あの王が、アクティニア王国を侵略すると決めたとあの宰相は言っていた。

だったら何があろうと、あの王だけは、私がこの手で葬り去ってやる……!!!


だが、人魚の姿で正面切って挑むなどという、馬鹿げた命を無駄にするような真似はしない。私には本当に少しだけれども忌々しい古代の先祖の人間の血が流れている。そう考えると今にも心臓を掻きむしりたい思いになるが、今だけはこの血に感謝しよう。この血のおかげで私は尾びれを足に変えられる。この足でソリタニアに行けば、私が人魚だということには誰も気づかない。

そしてその為には人間としての立場も必要だ。王城に入り込むためにはさらに色々な条件が課せられるだろう。

辺りを見渡すと人魚の亡骸に紛れて何人かの人間の亡骸を見つけた。

その身ぐるみを剥ぎ、兵士の服を手にして、レイアは嵐の海の中をソリタニア国の陸へ向かって泳ぎだした。


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