第二楽章
俺は彼の言う通り、一階のちょうど真ん中にある、
『5号室』の鍵を取り出し、ドアを開けた。
もう随分長い間、誰も住んでいないんだろう。
何か黴臭いというか、妙に籠ったような得体の知れない臭いが鼻をついた。
勿論中には家具もない。 しかし室内は割と掃除は行き届いていて、臭いの他は特に気になるということもない。
当然ながら、人が住んでいないんだ。ブレーカーも落としてあるし、ガスも水道も通っていない。
しかしもう季節は三月も終わりなんだ。
寒さを我慢するという事もする必要もなかろう。
一間きりしかない六畳間に胡坐をかくと、持参したスポーツバッグから電池式のランタンとICレコーダー、それから暗闇でも映る小型のビデオカメラを取り出して、畳の上に並べる。
幽霊相手なんだ。
こんなもの、どうせ何の役にも立たないだろうが、気はこころともいうからな。
ついでに小型のペットボトルも取り出し、軽く口に含んだ。
え?
(酒を持って来たのか?)って?
さあ、どうかな。
でもまあ、今のところは秘密にしとこう。
次第に夜が更けてきた。
しかし何も起こらない。
静かなもんだ。
どこからか風の音が漏れてくる。
建付けが悪いんだろう。
俺は畳の上にコートのまま横になり、軽く目を
どうせ何にもやることはないんだ。
腕時計をちらり、と眺める。
やっと午後五時を過ぎたばかりだ。
幽霊ってのは、大抵の場合、午前零時を過ぎないと現れない。
俺はそれから30分おきごとに目を開け、時計を眺め、周囲の状況を確認した。
(なんだ。格別何も起こらないじゃないか)
俺は腹の中でひとりごちた。
まあ、レンジャー訓練の時、仲間とたった二人で、夜通し立哨させられたことを思えば、今なんか天国みたいなもんだ。
若い時の苦労は買ってでもしとけというが、まあ、あれがあったから、何があってもビビらない精神が養えたんだろうな。
聞こえるのは相変わらず風と、それにつれて窓ガラスが規則的に揺れる音が聞こえてくるばかりだった。
時計が零時を過ぎ、やがて午前一時になった。
(そろそろ、かな?)
そう思った時だ。
足元に人の気配がした。
上半身を持ち上げ、身体を捻って後ろを見た。
だが、何もいない。
俺はまた寝転び、目を瞑った。
10分も経たないうちに、やはり人の気配を感じる。
もう一度身体を持ち上げて、後ろを見た。
今度は何かいた。
間違いなく『人』だった。
いや、人であって人でない。そういう存在というべきだろう。
ゲートルを巻いた脛と軍靴が二つ。
それから長靴を履いた脛が見えた。
上体を起こし、畳に胡坐をかく。
そこには三人の男・・・・ぼろぼろの軍服に着剣をした三八式小銃を持った兵隊と、腰に軍刀とホルスターを帯びた軍人が立っていた。
全員青白い顔をして、落ちくぼんだ目をしている。
軍刀を帯びた男の襟を見ると、曹長の階級章と、太く赤く『憲兵』と書かれた腕章も着けていた。
年齢は20代の半ばくらいだろう。
兵隊は二人とも30代半ばと言ったところに見える。階級章は片方が筋が一本に星一つ、もう一人も同じく星一つに筋が一本だった。
俺は何も言わず、畳の上で不動の姿勢を取り、腰を軽く折って礼をした。
無表情だった兵隊達(の幽霊というべきか)が、何だか少し驚いたような、そんな様子に変わったのを感じた。
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