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  •  エピローグへの応援コメント

     一天才俳人の半生とともにひとつの時代を描いた歴史小説として、また、秀逸な文芸論として、興味深く拝読いたしました。とにかく面白かったです。
     田辺聖子さんの著書を近くの図書館で予約しました。坂本宮尾さんの著書はそこには置いてありませんでしたが、長男の通う大学(大学院が坂本さんの母校)の図書館にあるということなので、館外貸出しが可能かどうか現在打診しております。(購入すればいいのですが、貧乏なので)とりあえずその2冊読後、レビューを書かせて頂く所存です。(すみません。上月文学に見合うちゃんとしたレビューを直ぐに書くことのできぬ言い訳です)
     僕は勇気ある公開続行を望みますが、ホトトギス派からの攻撃などへの御懸念があるようでしたら、ゲリラ的公開(オファーがあった時だけ公開)などの対策をなさったら如何でしょう。指定した読者にのみ公開するようなこと、カクヨミで出来ませんでしたっけ。
     感動甚だしく、結果、長文の応援コメントなど差し上げ、大変失礼いたしました。

    作者からの返信

    Mondyon Nohant 紋屋ノアンさん

    長ったらしい拙作を最後までご高覧いただき、本当にありがとうございます。
    星だけでも過分ですので、レビューのご心配はどうかご放念くださいませ。

    えっとぉ、ここだけの話ですが、田辺聖子さんのご著作は文句なく圧倒的な秀作ですが、もうお一方のほうは、正直、田辺さん作を土台にしていることがありあり過ぎて、つまり、あまり発見がなくてがっかりするので、お読みにならなくてもよろしいかと……。( ;∀;)

    非公開にもどすかどうかの件ですが、古い書き物を発掘していただいた(笑)Mondyon Nohant 紋屋ノアンさんに敬意を表させていただき、公開のままとさせていただきます。( ^)o(^ )
    虚子贔屓の袋叩きも、今後もリアル句会に出席しないつもりなので問題なさそうですし、現代の俳壇を牛耳っているご子孫(苗字はちがいますが、新聞やNHKなどの選者になっている方、相当数いらっしゃいます)への遠慮も、歴史的事実として無用とさせていただきます。

    そのうえ、今回の思いがけない一件に導かれまして、読んでくださる方も少ないし、もう書くことはないだろうと意欲を失っていた時代長編の執筆も再開してみようと思い始めています。

    いつもの癖で、カクヨムへのアップは下書きを完結させてからですから相当先になりますが、こうした不思議な出会いで(もしや杉田ご夫妻のお導き?(笑))ひとつの道を開いていただけましたこと、Mondyon Nohant 紋屋ノアンさま&カクヨムさまに心から感謝申し上げます。
    本当にありがとうございました。


    追記:前言を訂正させていただきます。
    坂本宮尾さんの『真実の久女 悲劇の天才俳人 1890-1946』は、田辺さんのご著書の刊行から四半世紀のあいだに判明した事実を、冷静かつ温かな視点で記録された、久女研究になくてはならない良書でした。

    かつて、別の女性研究者(戦国時代が専門)の著作を数冊購入したのですが、ものすごく定価が高かったのに推敲が雑で、同じような記述が何度も出て来たり誤植が目立ったりして、読者を舐めてんのかい?! と思った苦い経験がありまして、その方とごっちゃになっていました。💦
    まことに申し訳ございません。ぜひ大学図書館で貸し出してくださいますように。

    編集済
  •  頭でひねくりまわした「文芸上の真」など、耳障りのいい言葉をかぶせただけの言葉あそびではないか…反省。
     向日葵の句に好意的な評価を頂き、光栄です。
     同句を「川柳に近い」と評してくれた「詩歌論」の教授ですが、追課題として彼に提出した句がこれ→「風一過(かぜいっか)花散る里に君はおり」
     読んで小さなため息をついた後、「源氏物語かい?」と教授。「はい」と得意げな顔で答える僕に、彼は「源氏物語は全巻読んだのか」と訊いてきました。
    「夕顔で挫折しました」と正直に答える僕。
    「あのね、"花散"は里の形容じゃないよ。"花"は桜じゃないし」
    「?」
    「源氏物語くらい、ちゃんと読みなさい。それから、文学は知ったかぶりじゃないからね」
     と、強い調子で叱られました。
    「本だけ読んで頭で考えただけの詩や小説なんぞ書いてはいけないし読む価値もない」…と、次週の授業で僕に視線をくれた教授の顔(笑顔でしたけど)を思い出しました。
     以後、約三か月をかけ源氏物語54帖(現代語訳つき)を読破しました。読後、苦労して読んだ源氏物語をやたらと話題にしようとするので、友人たちから煙たがられたのを憶えています。
     因みに、上記の句は「風一過桜(はな)舞う路に君は立つ」と改稿し再提出。
    件の教授から「まあ、ちったあマシか」との評価を得ました。
     因みに(因みばかりで、すみません)年度末の試験では自分の名前の後に小さく(碧梧桐)と書き、それが功を奏したのか「詩歌論」の評価は「優」でした。
     さらに、因みに、学生時代、碧梧桐の写真を目にしたとき、「俺ってこんなトボけた顔なの?」とがっかりしたことも憶えています。

    作者からの返信

    うわわわ、なが~いコメント、どれだけ時間をかけてくださったかと恐縮です。
    たしかに花散る里の花は桜ではないかも……。(笑)
    源氏物語はいろいろな作家の訳で何度か読みました。
    つい数年前にも女性作家の訳を再読しましたが、歳のせいか「恋とか言いながら、ありふれた情事そのものじゃ~ん」と思ったら、なんだか急にツマラナクなりました。( ;∀;)

    風一過桜(はな)舞う路に君は立つ

    こちらは美しく浪漫的な佳句と存じます。
    そのころはまだ美貌の🦖夫人との出会いはなかったでしょうから、君とはたれ?(^_-)-☆

    編集済
  • 作家としての本当の幸福は、それらの外在的条件にはなくして、むしろ内の内なるものに、自ら蔵して自ら認識するところのものにありはせぬか…反省(;´д`)。

    作者からの返信

    リアル句会が復活しても、自分だけメール投句で済ませている理由、奈辺にあります。
    ホトトギスほどではなくても、相当な同人・会員を抱えた組織に属していると、憧れの(一種教祖的な)主宰に何句採ってもらったかが最大の関心事になりがちで……。
    絵に描いたようなエリートコースを歩んで来た年下の二代目に、拙いながら一句に込めたオバサンの心情が分かられてたまるかい……そんな不遜をうっかり口にしないように。(笑)

    編集済
  •  虚子、久女 周辺についてググりながら、拝読しております。
     虚子先生の一挙手一投足に一喜一憂し……弟子とはもっと距離を置いた淡い付き合いを望んでいたのだ。という星野立子さんの御意見も、御尤ものような気がしてきました。
     形振り構わぬ虚子さんの身内偏重もどうかと思いますが、久女さん、ちょっとウザイかな。立子さんの作品を手に入れて褒め殺しにし自分の陣営に取り込むとか、もう少し上手く立ち回れなかったのかなと思います。久女さん、「営業」が下手です。
     夫の宇内さん、悪い人ではないような気がします。中学教師(や薄給の非常勤講師😢)は妻に軽蔑されるような職業ではありません。御自分の不遇を夫のせいにしているようで(宇内さんと同じような社会的境遇=社会的評価の低い貧乏人の)僕としてはあまり面白くありません。
    以上、僕の正直な意見でした。すみません。でも、このお話は本当に面白いです。

    お願い:吉屋信子さんの「私の見なかった人」を読みたいのですが、具体的な書名とか出版社を教えて頂けませんでしょうか。

    作者からの返信

    あえて申しますが、女性のなかにはこういう人、いるような気がします。
    あまりに傾注されると、された方が鬱陶しくなるのも分かりますよね~。
    久女の「営業」下手は、無骨一辺倒の父親ゆずりかも知れません。( ;∀;)
    中学教師……社会的に尊敬されるお立場かと存じますが、その妻のポジションに感謝して収まっていられない久女に、宇内さん、相当に困ったでしょうね。

    吉屋信子さんの「私の見なかった人」、わたしも探しましたが見つかりませんでした。
    おそらくですが、あまりの不評に、作家本人がなかったことにしたかったのでは?(笑)

    編集済
  • 秋櫻子と虚子の子供の喧嘩、下手なプロレスより面白い…

    作者からの返信

    ですよね~。(^_-)-☆
    なまじ頭のいい人たちだけに、大人気なさが際立って……。

  • うちの🦖さんは二人の息子を前にして、「男は強くなくては生きていけない。優しくなくては生きる資格がない。だがしかし、男のベースは経済力だ。①強さと②優しさと③経済力、この三種の神器がそろわなければ、特に③の経済力がなければ、女を幸せにすることなど絶対にできない」と機会ある毎に説教します。稼ぎのない僕への当て付けだろうと思っておりましたが、第3章を拝読し納得しました。はっきり申し上げますが、銭にならない(男の)才能に惚れるアホな女など、世の中には一人もいません。うちの🦖さんだけでなく、僕もそう思います。久女さんの絶望の根にあったのはそのような自身の本心だったのではないでしょうか。

    作者からの返信

    河東碧梧桐さんのご尊顔、Wikipediaで拝見。
    うぉ~、かなりのイケメンじゃないですか~。
    ノアンさんこそ女性に不自由なさらないのでは? 
    あ、超別嬪🦖さんもそれで?(笑)

    🦖夫人の三種の神器説、ごもっともと存じます。
    男の子は大変ですよね、完璧を求められて……。
    わたしはそうですね、そこそこの経済を保持しつつ芸術もという虫のいいタイプですかね。(≧▽≦)

    編集済
  •  上月様の文才に見合った感想文を書こうと思えば思うほど、ありきたりな文しか思い浮かばず…申し訳ございません。とにかく面白い物語で、ハマってしまいました。
     学生時代「詩歌論」の課題として提出した僕の俳句を教授は「俳句と言うより川柳に近いかな」と幾分否定的に評した後、「でも君の顔には碧梧桐の面影があるな」と俳句以外のところで褒めて?くれました。
    「ヘキゴトウ?誰じゃそれ?」…当時はインターネットなど無い時代ですから急いで図書館に赴き、受付の女性に「へきこどう という人の本、どの棚を探せばいいですか?(へこきどう と言ったかも)」と訊いたところ、「カワヒガシヘキゴトウですね?」と軽く笑いながら俳句関連の書棚を案内してくれました。河東碧梧桐という漢字がわからず探しあてるまでに二十分もかかったのを憶えています。
     詩歌論の教授の歓心を買うためにとりあえずその碧梧桐論を読んだのですが、頻繁に名前がでてくるのが高浜虚子。(虚子の名前くらいは知っておりました)
    で、近くの書棚にあった虚子関係の本にも一応目を通しました。あまりの作品数の多さに辟易し、虚子の句より碧梧桐の句の方が好きかな…と、その時は思いました。
     貴作の第一章を拝読した後、あらためて虚子と久女について(ネットで)調べました。虚子さん、結構イヤな奴だったようですね。
     俳壇のプーチン…ゆるし難いです。極端な身内偏重…ゆるせません。そこそこイケメンできっと女性には不自由しなかった(羨ま…いや、これもゆるし難いです)のでしょう、人妻で然程美人ではない(僕の主観。NHKのドラマ「台所の聖女」で久女を演じたのは樹木希林さんでした)久女さんに慕われて迷惑だったのかもしれないし、たぶん久女さんの才能に嫉妬していたのでしょうが(僕は久女さんの句の方が虚子の句より好きです)、久女さんへの虐待が本当だったとすれば、虚子はかなりゲスな野郎です。
     因みに川柳に近いと教授に揶揄された僕の句は「向日葵や哀し映画も知らぬ顔」でした。ソフィアローレン主演の伊仏露合作映画『ひまわり』(ロケ地はウクライナ)が好きだったので……御一笑賜れば幸いです。

    作者からの返信

    いま、気に入りのラーメン&餃子を食べて来ました、雨が来る前に。(笑)
    で、帰宅したら、ものすごい長文コメントが……うわあ、怠けていてスミマセン。

    田辺聖子さんの調査は信用がおけると思いますし、恣意的なイジワル問題が次々に明らかになってのち、亡き母の名誉をなんとか回復したいと、亡母の旧師を頼った久女の娘さんへの明らかな騙し討ちなど、思い返すたび憤怒が湧いて来ます。

    晩年の若い女性弟子との色恋も薄汚いですし、決して人間として尊敬できる人ではないと思いますが、なにしろ信奉者がいまだにワンサカなので、わたしの所業が判明したら句会で袋叩きに遭いそうです、これ、マジで。(笑)

    俳句の入門書に、初心者向け秀句としてまず紹介されていたのが虚子御大の「遠山に日の当りたる枯野かな」。なにも知らない身は、へえ~、すごい! と大いに感心しましたが、スレて来たいまは、なにこの凡句は?(笑)

    向日葵や哀し映画も知らぬ顔 ← なんともステキな句ですね~。さすが芸術系の学生さん、初詠みがこれですか~。秀作が多々ありそうですね。
    わたしも『ひまわり』は大好きな映画のひとつで、ソフィアローレンとマルチェロマストロヤンニがオートバイに乗っている場面、巨大オムレツなど、幸せな恋人時代のカットが忘れられません。

    編集済
  •  興味深く読ませて頂いております。
     途中、相馬黒光さんとか柳原白蓮さんとか佳人ヲタクの僕としては見逃せないお名前を目にし、ググりながら、或いは本棚を漁りながら拝読しましたので、まだ第2章しか読了しておりません。因みに『パンとあこがれ』で黒光を演じた方は宇津宮雅代さん、『碌山の恋』は水野美紀さん、『花子とアン』で白蓮を演じた方は仲間由紀恵さんでした。何れも美人です。白蓮さんのお墓は僕の住まいから然程遠くない山の中にあります。

    作者からの返信

    Mondyon Nohant 紋屋ノアンさん

    拙いうえになが~いものをご笑覧いただき、たいへん恐縮に存じます。💦
    黒光と碌山の関係は、碌山館の彫刻「女」に語り尽くされているかと。
    夫の愛蔵もかなりの女性好きだったそうですから、お互いさま?(笑)
    少し前のNHKで、夕方、『花子とアン』の再放送を観ました。
    大好きな仲間由紀恵さんの白蓮、ぞっとするほど凄艶でした。
    力みの入った下手な作なので、途中放棄もどうぞご遠慮なく。

    編集済
  • プロローグへの応援コメント

    松山の生まれであったので久女についてはある程度は知っていました。解釈はそれぞれありますが、花衣ぬぐや、で声高らかにうたいあげた意思力と松山での句会の繊細な様子など、感情と表現の振れ幅が人より大きく、それだけ才能も大きかった人のように思えます。
    ドラマ性が高いのか、ノラの句だけが極端な解釈で独り歩きして残念でもありますが、他の句に関するエピソードを拾いながら多くの作家がそれぞれの久女像を執筆しているように、上月様の久女がどのような物語になるか楽しみにしております。


    作者からの返信

    清原夏頼さま

    ご丁寧な応援コメント、どうもありがとうございます。
    孤独に執筆しておりますので、とても励みになります。
    久女については何十年来の思い入れがあり、一時は関係者に打診したこともありましたが、時期尚早だったのか難しい問題が多く断念しました。時間が経過したいまは、自分なりの久女像を書かせていただこうと思っています。
    ノラの句については、高名な俳人が「この句はきらい」と断言していることを知り、少しショックを受けました。筋トレがわりに上っている急坂の途中に久女のお墓がありますので、はあはあ息を切らせながら「遅ればせながら書かせていただくことをお許しください」と手を合わせております。
    ただ、健さん同様(?)不器用なタチで、複数作品を同時に書けないので、連載中の『書物屋お了』を完結させてからになります。もうすぐ「一茶編」が終わりますので、「北斎編」「牧之編」を仕上げたら取りかかろうと思っております。気の長い話ですが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

                                上月くるを