第7話

 次の日も、事務員が迎えに来て、私は天界へ上りました。


 けれど、通された先は白い事務机が置かれた狭い部屋で、すぐには妹に会わせてもらえませんでした。


 私はいてもたってもいられず、勧められたパイプイスの上でそわそわと体を動かしました。


 事務員は相変わらず単調に、かつ丁寧に、私に数枚の用紙を手渡しました。


「これは、なんですか?」


「面会のための、事務書類です。ご記入いただきました後、面会となります」


 見ると、一枚目の用紙には図形の問題。二枚目には簡単な数学問題、三枚目には質問が羅列されたアンケート、おおよそこの面会には関係がなさそうに見えるものばかりです。


 一秒だって惜しい私は、さっさとそれらを片すことにしました。真面目に取り組むつもりはありません。少しでも早く終わらせて、私は妹に会わねばならないのです。


 今日は、二日目の更生プログラムを終えた妹が待っているはずです。

 私は、二日目を途中で棄権した身ですが、あの扉の向こうで教えられる真実はかなり衝撃的であることを知っています。感じやすい妹にはとても耐えられるものではないと考えていました。とても、心配です。


 妹の死因は、車との衝突事故による脳挫傷。


 そんなことは病院で聞いていたので知っていましたし、交通事故で死んだと言えば、事故の様子はおおかた想像がつきます。


 しかし、天界では、それ以上の事実を知ることができます。


 それは、この空間に足を踏み入れた直後に、まるで今までも知っていた事実だと言わんばかりに私の知識の中に組み込まれるのです。


 あの日、妹は疲れ切った体を引きずりながら、家路につきました。真っ暗な夜の街の中、彼女は歩きます。仕事に忙殺されたのか、それとも上司に叱られたのか、『疲れた、ああ、死にたい』そんなことを思いながら歩きます。そのとき、ある考えが彼女の脳裏をよぎるのです。あの、向こうからやってくる車に轢かれたら、死ねるだろうか。この考えが、彼女の体を道路へと押しやったのでしょうか。頭では、このあと食べる夕食は何にしようか、でも、この時間に食べるのはなぁと悩みながら、しかし、体はふらりと道路へ進んだのです。


 それは一瞬、でした。


 私は、ろくに頭に入って来ない問題を適当に解き進めました。

 とにかく、はやく妹に会いたい一心です。


 やっとすべての解答を終え、まとめた用紙を事務員に手渡しました。


 事務員は用紙を一瞥すると、私の目を覗き込みました。

 どぎまぎと視線を逸らしたのがまずかったのかもしれません。


「この問1の解答ですが、あなたはなぜこれを選んだのですか」


 なんと、一問一問、すべての問題についてどうしてこの答えを出したのかと質問をし始めたのです。


 いちいちそんなことは覚えていないし、まして、最初から真面目に解いていないのです。それらの質問に答えるには、その場で理由を考えるしかありませんでした。

 その労力と時間のかかること!


 時間は、刻一刻と過ぎていきます。

 面会時間は、深夜12時まで。つまり、「今日」までです。


 そもそも事務員が私を迎えに来た時間は夕方遅く、さらにここへ来て、すでに2時間が経過しました。腕時計の針は夜の11時を回ろうとしています。


 私はイライラと足を揺すりました。しかし、笑顔は崩しません。頼みの綱は、この事務員しかいないのです。仲介人の彼女に嫌われてしまっては、妹への面会を許してもらえなくなるかもしれません。私は、辛抱強く彼女の質問に答え続けました。


 そうしてようやく解放されたのは、面会可能時間も残り30分というところでした。


 私は、溜まりに溜まった事務員への恨みで気が変になりそうでした。あの事務員ときたら、意味のないことで永遠と……どうしてこんな意地悪ができるのでしょう。


 いいえ、もう会えないはずの妹に会わせてもらえるだけ感謝しなければならないのかもしれません。そう思うことで気持ちを鎮め、私は妹が待つ一室へと歩みを進めました。


「あ……お姉ちゃん……」


 妹は、用意されたベッドに上半身を起こした状態で、こちらに顔だけを向けました。


 その目は空虚で、光を映していません。


「どうしたの、何があったの」


 私は慌てて妹の傍へ駆けつけました。

 しかし、妹は薄く笑うだけです。

 こんな顔は見たことがありません。

 途端に、恐ろしくなりました。


 私の妹に何をしたの!


 危うく叫び出しそうになるのを、私の中の理性が押しとどめます。


 私は知っています。あの事実が、妹をこんなにしてしまったのだと。


 ただ宙を見つめる妹の頭を、私は優しく撫で続けました。


「明日が最後です」


 事務員が、平たんな口調で言いました。

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