第6話

 この世とあの世を繋ぐ、通称『下準備事務局』の様子は、私が以前ここにいた頃と少しも変わっていませんでした。受付らしいテーブルに置かれた淡いピンク色の花でさえ、あの時のままなのです。


「こちらです」


 事務員に案内された先に、妹はおりました。


「お姉ちゃん」


 つい先日まで見ていたままの妹が、いつものお気に入りのパーカー姿で駆け寄ってきました。


「お姉ちゃん、お姉ちゃん」


 明るく私を呼ぶ声が嬉しく、目頭が熱くなります。


 しかし、なぜでしょう。どこか、違和感があるのです。

 目の前にいるのは、確かに妹であるはずなのに、どこか、違うような。


 妹は、昔の話をします。誰と遊んで楽しかったとか、美味しかったとか、自分が残してきた家族の心配よりも先に、そんな話をするのです。


「お姉ちゃん、はい、飴玉あげる。あのおばさんからもらったの」


 妹は私の手のひらに、黄色い飴玉を転がしました。そして、無邪気に笑います。

 おばさんと呼ばれた事務員に顔を向けると、ぎこちなく微笑んでいました。


 これは、一体どういうことでしょう。

 この、妹の幼稚さは。

 見た目は、死んだときの二十歳のまま。けれど、中身はまるで幼稚園児です。


「お姉ちゃん、これで遊ぼう」


 妹が取り出したのは、積み木でした。


 聞けば、妹はちょうどいま、一日目の更生プログラムを終えたところだということでした。

 とすると、母のお腹の中で今日のプログラムを終えたのでしょう。私も経験しました。

 幼稚化は、そのためなのかもしれません。

 3分の1の垢を削ぎ落とされた妹が、私の知る現世の妹と全く同じであるわけがないのです。

 私の知っている妹は、もう。

 胸が、締め付けられました。


「遊ぼうか」


 私は積み木を手に取り、夢中で積み木を重ねる彼女の横に座りました。 


 妹は、きゃっきゃと、とにかく楽しそうに笑いました。お姉ちゃん、お姉ちゃんと、私をよく呼びました。


 私はだんだん、懐かしい気持ちになってまいりました。

 積み木で遊ぶこの子を、確かに知っている。そんな気になってきたのです。


 この姿はきっと、幼き日の妹そのものなのでしょう。その日々を、はっきりとは思い出せないものの、そう確信するのでした。


 そう思うと、目の前の妹が可愛くてしょうがなく感じられました。可愛くて可愛くて、ああ、この子は私が絶対に守ってみせる、そう私に決心させるのでした。


 私は決意を固め、事務員の元へ行きました。

 けれど彼女は、私が何か言う前に、それ以上の確固たる決意を持って私の決意を跳ねのけました。


「できません。彼女はもう、天に帰る運命にあるのです」


 どうか、代わりに私を。

 母の声が脳裏をよぎります。


 どうか、あの子の代わりに私を。


 そう叫び出したい衝動に駆られるも、それは衝動に過ぎず、私は実行に移しませんでした。そんなことをしても意味がないのだと、一時でもここの住人であった私にはよく理解できるのです。


「また、明日来るからね」


 結局、私は大人しく帰路につくしかないのでした。


 帰り際、その刹那、妹の顔が大人びた表情をつくりました。幼児化していない、二十歳の妹の顔です。


 私はたまらず彼女を抱きしめました。今にも泣きだしそうな私をよそに、妹は無邪気な笑顔で「どうしたの?」などとはしゃいでいます。そこにはもう、見えた気がした表情はありませんでした。


 帰宅すると、私は家族に天界での妹の様子を伝えました。


 母は、「そう」と一言発した切り、ずっとうつむいたままでした。


 本当ならば、母が妹と会いたかったに違いないのです。今、母の胸の内は悔しさでいっぱいでしょう。

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