85・人質奪還大作戦④ (ジュールside)
エールティアがナッド伯爵を痛めつけている間、ジュールも自らを連れてきた男を気絶させていたところであった。
奇しくもそれは、エールティアに向けて暴言を吐いた男だった。
「ちっ、くそがっ! 俺にこんな事して、どうなるか……!」
「どうもなりませんよ。貴方がボコボコにされるだけです」
一発、二発と男を殴り、手の甲に感じる痛みと血の温かさを感じながら、男が気絶するまで殴り飛ばした。
多少は気が晴れたような顔をしていた。
「……こんな事をしている場合じゃありませんね。急いで行動に移しませんと……」
ジュールは静かにイメージを構築し、魔導を発動させる。
――水は自らを写す鏡。消え去る時まで、己の一部となる。
「『ウォーターエゴ』」
発動された魔導によって、ジュールは水によって作られた自らの分身を生み出した。この魔導は魔力の消費量によって精巧度が変わる。
エールティアの『ミラー・アバター』と同じ類の魔導ではあるが、あちらは魔導が使えるが、こちらは魔導は使えず、その分身体能力が本人に近くなる性質を持っていた。
水で生み出したもう一人の自分の出来を確認し、満足そうに頷いたジュールは、分身になるべく見つからないように『ルーナ』と思われる熊の耳の獣人族を探すように命令を下した。
この時、ジュールの中では最善の策を打ち出したと思っているようだが、熊の耳をした獣人族はルーナだけではない。少なくとも『夢幻の泡沫亭』には五人程度在籍しており、顔を知らないジュールが確かめる方法は、グルセットとエーレンの話をするしかない。そして、彼女の魔導『ウォーターエゴ』は喋ることが出来ない。
その結果どうなるか……それを知る方法は、ジュールにはなかった。
――
ジュールと『ウォーターエゴ』は二手に分かれて捜索するも、思うような成果が上がらない。宿の一部屋一部屋を丁寧に探しているのだから当然の事なのだが、騒ぎに気付いた宿の者達に度々攻撃を受けていたからであった。
「……ああ、もう! 数だけは多いですね!」
狭い通路であまり派手な魔導を放つことも出来ず、むしろ自分自身の行動を阻害する結果になりかねない事を、ジュールはよく理解していた。
……これがエールティアであれば、標的を絞ったり、威力を抑えた魔導を扱うだろう。
「さて、この部屋は――」
また一人刺客を排除したジュールは、他の敵が押し寄せてくる前に近くの部屋に入る事にした。
少し埃っぽく、あまり清潔そうには見えない一室は、宿という存在とはかけ離れているように見える。
ジュールが今現在いる場所――それは倉庫として使われている物置部屋だった。ルーナを探すべく様々な場所を動き回っていた彼女は、二階の一番奥に存在するこの部屋へと辿り着いていた。
様々な荷物が積まれており、見るからに誰もいなさそうな場所なのだが、ジュールは慎重に中へと入っていく。
特に何かを感じた訳ではなく、人を探すのだから、どんな部屋でもくまなく探さないといけない……そういう理由からだった。
あまり身体に良いとは思えない空気に顔を
「……誰かいませんか?」
警戒心を剥き出しにしながら、ジュールは慎重に声を掛けてみた。耳を澄まして周囲の様子を
(誰かがいる? でも、襲ってくる気配はありませんね。ここの宿の方でしたら、今何が起こっているかわかっているはずです。なら……)
出来る限り足音を立てずに掃除されている開けた場所入ると……そこにはぼろぼろな布で顔から足まで隠れる程度にはぐるぐるま巻きにされていた。微かに動いているそれは、見るからに何かの生き物――人と思われるものだった。
何が出てくるかわからない不安に思わず生唾を飲んで、気配を悟られないように静かに歩み寄った。呻き声のようなものが聞こえて、ジュールは何が起こっても良いように覚悟を決めてそのぼろ布を取って中身を確かめた。
そこにいたのは熊の耳の獣人族。エーレンと髪の色が同じで、胸はかなり自己主張を強める縛り方をされていた。
「ルーナさん? エーレンさんのお母さん?」
こんなところにいるのだから、多分そうなんだろうという確信を抱いて質問したジュールに向かって、女性は驚きの表情を浮かべていた。探るような視線を向けてきた彼女は、それでも隠せないと思ったのだろう。半ば降参するような表情を浮かべて、ゆっくりと首を縦に振った。
その姿を見たジュールは、安堵するように息を吐いた。もし……万が一見つからなかったら…….そういう不安が、彼女の中に湧き上がりそうになっていたからだった。
「はぁ……やっと見つけました。グルセットさんに言われて貴女を助けにきました。もう、安心ですよ」
ジュールの言葉に、今度はルーナが安堵する事になった。いきなり捕らえられ、心の底から不安だった事がそれだけでも十分に伝わってくる。
ルーナを見事に見つけ出したジュールは、先に脱出して『踊る熊の花蜜亭』に向かう判断をした。
その理由の一つとしては、『ウォーターエゴ』が連れてきた熊獣人族の存在だった。
流石のジュールも、五人の女性を引き連れるのは足手まといなりかねないと判断したのだ。
こうして、ルーナ救出作戦は大成功の中で幕を下ろした。
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