86・宿屋の主との戦い

 ある程度『ナイトメア・トーチャー』で情報を絞り出した私は、ナッド伯爵をその部屋で寝かせたまま『踊る熊の花蜜亭』に戻りかけて……ランジェスに出会った。


「……やってくれましたね」


 憎々しげに私のことを睨んでるけど、全然怖くない。その気になったらいつでも命を奪うことも出来るからね。

 例え万単位で現れたってかすり傷一つ負わない自信がある。


「やったのはむしろそっちでしょう? 私が懇意にしている宿屋の奥さんを誘拐するなんてね。恥を知りなさいな」

「はっ! 自分の店を大きくするのに、最善の手を尽くしただけですよ。それより、覚悟は出来てますよね? 貴族に……そしてその後ろ盾がある私達に手を出してどうなるか……」

「くすっ、ふ、ふふふ、あははははは!」


 ランジェスは何も知らない。だからこういう事が平気で言えるんだろう。あんまりの滑稽こっけいさに思わず大笑いしてしまった。それを『こいつ狂ったのか?』みたいな顔で見てくるものだから、余計におかしい。


「……何がそんなにおかしいのですか?」

「ふふっ、昔の人の言葉を思い出してね。『無知は罪』。貴方の立場で私の存在に疑問を持たないなんて、間違いなく罪ね」

「罪人は貴女の方でしょう。タダで済むとは思わない事ですね。受けた損害は、貴女とそのメイドにしっかりと請求しますからね」


 下卑た想像をしてるのかにんまりと邪悪な笑みを浮かべていた。

 本当に嫌な男だ。今頃、彼の頭の中では私とジュールが無残な姿で許しを乞うてる姿でも繰り広げられてるのだろう。


「……残念。それは天と地がひっくり返ってもあり得ない話ね。王族である公爵の娘を、高々伯爵のコネでなんとか出来る訳ないじゃない」


 一瞬で空気が凍った感じがした。それだけランジェスの顔はわかりやすかった。


「……今、なんと?」

「むしろ私を殴った馬鹿を雇っているこの宿屋が潰されても、なんにも言えないんじゃないかしら」

「……あり得ない!!」


 大声で叫んだランジェスは、信じられないものを見るような目でこっちを見てきた。

 確かに、普通なら有り得ない。だけど、こうして私はここにいる。


「有り得ない? それは貴方や伯爵の事かしら。それとも……私が公爵の娘だって事? なら、ナッド伯爵に尋ねてみなさいな。彼には、たっぷり教えてあげたからね」


 強者として、今の立ち位置を明確に露わにしてあげる。『私は貴方より数段高い場所にいるんだよ』って丁寧に教えてあげないとね。


「仮にそうだとして、何故この状況で貴女が出しゃばってくるのです! 高々平民のいさかい。貴女には全く関係のない事です!」

「関係ない訳ないじゃない。平民は私達にとって、いわば資源のようなもの。それをぞんざいに扱うような真似を……しかも我が国の貴族が行っている。放って置けるわけないじゃない」

「……貴女は、正義の味方にでもなったつもりですか? 馬鹿らしい! 弱者とは、搾取される存在なのですよ。だから――」


 ぱちん、と指を鳴らすと……今まで部屋に待機していたのか、一斉に武器を持った男達が現れた。

 なるほど。私をなんとかすれば……って訳ね。男達に囲まれて余裕が生まれたのか、蔑むような視線を向けられた。


「貴族の娘なら、付加価値は高いでしょう。ここを離れる事になるのは些か残念ではありますが――」


 色々と喋ってるところ悪いけれど、これ以上付き合っている暇はない。


「『ダートソニック』」


 イメージは音の速さで飛んでいく細く鋭い泥で固めた針。


 それを忠実に再現したわたしが飛ばしたのは、針よりは太い泥の塊が無数に飛び出していく。点ではなく、面での制圧攻撃。あまり派手な魔導は使えないし、好んで使う炎の魔導は使えないしね。


 放った『ダートソニック』に当たった男達は悲鳴を上げてるけれど、別に死ぬわけじゃないのだから、我慢して欲しい。

 動ける程度の傷しか負わなかった敵に向かって駆け出し、混乱している間に一気に制圧する。


「くそっ!」


 正気を取り戻した男が剣を振り上げてきたけど……それは悪手というものだ。

 振り下ろす前に剣を持ってる手を抑え、そのまま流れるように内側に入り込んであごに肘鉄を打ち込む。

 更に腹を蹴り上げて、後ろにいた邪魔な男にもろとも巻き込んでやる。


「隙ありぃぃっ!」

「ないわよ。そんなの」


 斧を横一閃に振るってきた男に呆れながら、しゃがむと同時に足を蹴って、体勢を崩してあげる。倒れ込む男の顔面に膝を叩き込んで、更に一人。


「嘘……でしょう……」


 私が瞬く間に敵を制圧する姿を見ているのか、呆然としているかのような呟きが聞こえてきた。


「この程度、運動にすらならないわね。さて……貴方には大人しくして貰いましょうか」


 答えを聞く前にひとっ飛びでランジェスの元まで近づいて、そのままの勢いで髪を掴みながら背後に回り込み、首を締め上げてやる。

 苦しそうな声を上げているランジェスに『ウイークマインド』を発動させて、彼が気絶するまで首を締める。


「く……おぼ……」


 それだけを残して、ランジェスは気絶してしまった。

 察するに『覚えていろ』って事かな。この程度の輩を記憶に留めるなんて記憶の無駄だから、すぐ忘れるでしょうけど。


 少しだけ覚えておいてあげる。

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