55・策略の二人(ラディンside)
夕方。雪桜花では逢魔が時と呼ばれている時間。今は魔物によく巡り逢う時間だから注意しようという事で名づけられたその時間に一人。エールティア達が寝泊まりをしている屋敷の部屋で、ちびちびと酒を飲みながら誰かを待っていた。それは二つのお猪口にそれなりの量の酒が揃っているところからしてもわかるだろう。
「待たせたようだな」
待ち人と思われる人物――ラディン・リシュファスは、特に悪びれる様子もなく酒を飲んでいた男――時雨・出雲に穏やかな笑みを浮かべながら近づいて行った。
「いいや。そんなに待ったわけでもない。……お主も一献どうだ?」
出雲はお猪口を傾けながらちらりとラディンの方を見て、視線をもう一つの徳利に視線を向ける。その様子は久しぶりに会った友人と酒を酌み交わしたい……そういう想いが伝わってきそうな態度だった。だからこそ、ラディンも嬉しかったのだ。出雲も彼と同じ気持ちだったという事に。
「ふふっ、丁度良い。頂こうではないか」
隣に腰を下ろしたラディンは、出雲が用意したもう一つのお猪口に酒を注いでゆっくりと……味わうように傾ける。口に広がる雪桜花で作られる酒の独特な風味とふくよかな味わいを楽しんでいるようだった。
しばらくの間、互いに何も言わずにただ酒を味わう。玉に隣にいる友の盃に酒を注ぎ、または注がれそれを飲み干す。
彼ら二人の間には言葉など不要だとでもいうかのようにただ時間だけが流れていく。しかし、いつまでも何も語らずにはいられない。ただ親交を深めにやってきたわけではないのだから。
「……此度の件。上手くいくと思うか?」
先に口火を切ったのは出雲の方だった。ただ疑問に思っているだけの問い。だが、ラディンはどういう思いで出雲がそれを口にしたのかよくわかっていた。今回の件……。それはエールティアも関係している事なのだから。
「当然だ。私の娘だぞ? 上手くいかないはずがない」
「ふっ、親馬鹿ここに極まれり。だが、なるほど。信じるのも親の務めというわけか」
「……私達側の問題は、むしろスライムの方だろうな」
ラディンは少しため息を吐きながら酒を飲み進める。ラディンは確かにエールティアの事を信頼している。子を信じない親などいないとでもいう程だ。だが……ジュールの事に関して言えば、ラディンは一切信じていなかった。むしろエールティアに悪影響を与えるようであれば、例え契約スライムであろうともこの世から葬る事も厭わないくらいだ。
「ははっ、やはり物事と言うものは……思い通りにいかぬほど面白いな」
「面白い……か」
出雲の言葉に、ラディンは今までの笑みとは打って変わって苦虫を噛み潰したかのような顔をしていた。思い通りにならない事は彼には数多くあった。その一つ……最たるものが『性別』だろう。ティリアースで王位に就くには『女』でなくてはならない。だが、ラディンは『男』だった。王位継承権はその時点で存在せず、彼は王族が戴く『公爵』を授かっただけだった。その後に生まれた妹が女王の座に就き……今のラディンがいる。到底面白いと思えるものではなかった。
出雲はそれによる葛藤もよくわかっていた。ラディンが思い悩んでいた時、出雲は彼と出会ったのだから。今、ラディンが何を考えているのか手に取るようにわかった。だからこそ、不敵そうに笑みを浮かべた。
「面白いであろう? お主が男でなければ……こうして酒を飲み交わす事もなかっただろう」
「……そうだな。確かに、面白い」
出雲の言葉に、ラディンは深く頷いていた。その時、彼の脳内に浮かんだのはアルシェラとエールティアの二人の事だった。
(今の私でなければ、アルシェラと結ばれる事もなかったろう。エールティアも産まれる事はなかった。そう考えれば、確かに思い通りにならない、予測不能の事態も面白い……と言えるのだろうな)
知らず笑みが零れているラディンを横目に、出雲も嬉しそうに酒を一口飲みながら、酔いに浮かされるようにかんらかんらと笑いだした。
「はっはっはっ! ラディン、今の時を楽しめ。定められた事柄に付き従い、縛られる事のなんと窮屈な事よ。敷かれた道に沿ってただ進むだけの人生のなんとつまらぬ事よ。不条理を、自らの意志で選び取った未来を楽しもうではないか。我々の世界は、思い通りにならぬことばかりなのだからな」
「……その通りだな。だからこそ、我らは策を弄するわけだ。お互い、子供の事で苦労するがな」
「はっはっはっ! まっことその通りだな!」
高らかに笑う出雲の顔は大将軍としての顔ではなく、ラディンの親友としての顔をのぞかせていた。
「しかし、私達の次はその子供達が……初代魔王様も雪桜花のセツキ王と激戦を繰り広げたと伝わっている。つくづく、戦いに縁があるようだ」
「そうだな。此度の決闘……久方ぶりの盛り上がりを見せるだろう」
互いに顔を見合わせ、不敵な笑みを浮かべ……再び互いに酒を飲み交わす。陽が沈み、夜が始まる瞬間を見守るように、その様を見つめながら――
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