第六十話 記憶の泡





 気が付いたら、そこは真っ暗な世界だった。

 何も感じられない闇夜の世界。光もなく、音さえも聞こえない。


 己の身が水の中に沈んで揺らめいているように感じた。



(……なんでこうなったんだったっけ?)



 思い出すのは疲れたような声で溜息をついたあの男。

 俺たち全員大人になってしまったから変わりきった雰囲気をしていた。高校生だった頃のあの元気そうな声ではなくなった、星空天の姿。



 他人の部屋の中で眠れるわけがないと思ってはいたが、いつの間にか意識を落としていたらしい。

 揺らめく意識が、誰かの気配を感じてそちらへ自然と近寄る。



「なぜこちらへ来たのです? わたくしの夢へ繋がるなど馬鹿なことを……」



 鈴の音のような、凛とした強気そうな女性の声がする。

 これはきっと向日葵桃子の意志そのものなんだろう。



「ああきっと旦那が……あの人がやったことなのですわね……良いでしょう、ちょっとだけ手伝ってあげますわ」




 突風が吹く。

 風船のように軽く、暗闇の世界から飛ばされていく。



 眠っただけで不可思議な事態になっていることに疑問を抱かず、ただ彼女の言う言葉が頭の中に入り込む。

 抵抗なんてできず、流されていく。



 それはまるで魂が吹っ飛ばされていくかのように。




 記憶の泡に沈み込む。

 意識が消える。ただ映画の一部を見ているかのように、その視界はある人物の目を通して映し出される。


 それはとても中途半端な映像だった。


 ノイズが酷く、分かりにくいところもあるモノ。





・・・






 始まりは高校時代。

 そこからすべての人生が狂い始めたのだろう。





「――――い。おい秋音」


「……っ。な、に?」



「ようやく起きたのかこの馬鹿。話している最中に寝る奴があるか」




 溜息を吐いた鏡夜が俺を見た。

 そうして理解する。――――何をしていたのだろうかと記憶がぼんやりとするが、鏡夜と話をし続けているうちに意識が戻った。




「お前が燕に憑依した件については理解できた。……秋音の、いやあの『本来の紅葉秋音』のあの言動もな」




 話していた内容は、赤組での出来事。

 俺は生き残るために鏡夜に全てを話し、青組の一員として突っ走ってきた最中だったはずだ。


 最近になって赤組の未雀燕があの境界線の世界で俺達青組と合流し、この世界が原作沿いではないことに気づいた。


 俺の正体についても気づいた。

 ただの生まれ変わりではなかった。ただの『夕青ゲームの紅葉秋音の成り代わり』ではなかったのだ。




「憑依っていうのは、一つの身体に二つの魂を持つ状態を意味する。だからお前は紅葉秋音に成り代わったようなもの。……いや、成り代わりというよりは、体の乗っ取りだろうが」



 その言葉に俺は頷いた。

 彼は俺を見て、とっても面白そうな顔をした。



「あの紅葉秋音とはうまく共闘できるとは思えない。危険を危険とは思えないあの言動も好きじゃない。奴が心を開いたら信頼できる良い奴だというがな、今はそういう時間はないし、リセット機能だってこの世界には存在しないんだ。だから秋音、お前と協力したい。分かるな?」


「……うん。でもどうやって?」


「どうやってじゃない。お前はその力があるだろう?」



 鏡夜が笑う。

 妖精がドン引きそうな悪魔みたいな顔をして、とっても悪いことを考えているのだと分かるような表情で。



「お前はいわゆるキーパーソン。あの妖精を欺けたのもお前がいるおかげだろうな……。お前が頑張れば妖精の身体も乗っ取れるんじゃないのか?」



 からかうような言動。

 本気でないのは分かっている。でも何を考えてそう言ったのかは分からない。



 ただ言えることは――――目の前にいる鏡夜にとって、本来の紅葉秋音を嫌っているということだけだった。

 それほどまでの事をしでかしたのかもしれない。俺は眠っていたから、何も覚えてはいないが……。




「赤組の被害も聞かなきゃならねえし……とりあえず、冬乃と話をしよう」


「えっ」


「ん、どうかしたか?」


「あ、いや……何でもない」




 冬乃って誰だったっけ。

 そう一瞬思ったけれど、首を横に振って我に返る。


 何故忘れたのだろうか。

 俺の魂が紅葉秋音から未雀燕へと移動した衝撃で、記憶が吹っ飛んだ?


 いや、思い出したから大丈夫だろう。


 夕青の原作はすべて覚えている。回避方法だって覚えている。


 大丈夫だ。きっと。

 だって俺には鏡夜がついているんだから。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る