第三十八話 もう戻れない





 地面には血濡れに倒れ、ボロボロと死体となった肉体が崩れていく星空天の姿。

 



「……怒らないんだね」


「怒っても意味がないもの。これも一つの運命よ」



 小虎によって腕を引っ張られ拘束されている少女。小虎は何が何だかよく分からないけれど、指示に従っていると言った様子。他の生徒もそうだ。


 人を殺した瞬間を見た彼らは、燕に対して恐怖を抱いたように見える。

 しかし彼らはそれでもなお動く。戸惑いはあっても、朝比奈の指示があるからと。



「神様の血は、何色かな?」



 神殺しはできない。

 神の血色なんて知らない。彼女は本体ではないから、殺すことはできないだろう。


 一部の者しか知らない、人間の身体を借りた神。

 しかし力を行使することなく、殺される姿を見届けた無力な神様。


 それを一瞥する燕は、血に濡れた剣を振り払う。



「……未来はね、様々なの」


「知ってるよ。いくつもあるパラレルワールドの一つだってことぐらい……でも、これもあなたが見定めた未来の一部だっていうのかい?」


「ふふ。そうね……あっ君を生き残らせて、私が全てを見守って――――最後に出来るなら妖精をこの手で潰すという未来を優先しようとした。……でもそれは、貴方がいる限りできなさそうだわ」



 笑っていた少女がこちらを見る。

 その瞳は真っ赤にきらめいていた。


 諦めの感情はない。

 怒りもない、蔑みも哀れみも何もない。

 ――――ある意味、無感情のまま殺されようとしているのだろう。神様だというのに。



「……空間の奥にいるのはあの妖精だけじゃないよね。そいつのせいで君は神としての力を使うことが出来なかった。星空天を救うことが出来ず、助言程度しかやれず……いつもの力さえ使えない。人間以下の役立たずになってしまったんじゃないのかい?」


「…………」


「――――ノートに書いてあった。大昔に記憶があった鏡夜が教えてくれた内容だ。

 この空間は、妖精が作り上げた世界の穴だ。何層にも重なって作られている。地上から地獄へ落ちるように、この世界の真下に元凶がいるんだろう?」


「そうね。半分だけ当たっているわ」


「半分か……」


「助言をしましょう。神様にも格というものが存在するわ。強いものほど人に影響を与える、より上へ行けば――――世界を作ることだってできるのよ」



 その程度しか言えない神様の無力加減に燕は溜息を吐いた。

 この世界じゃなかったら目の前にいる神様はおそらく自分たちにとっての脅威に繋がるだろう。

 しかし彼女は人を愛する。天を愛する。そうして人を慈しみ、恨むことをしない。


 唯一、負の感情を与えるとすれば――――妖精だろうか。



 小虎が何の事だろうかと首を傾けているけれど、それでもなお腕を離さず逃がそうとしない所は朝比奈の教育が行き届いていると思い自分の事のように嬉しくなった。



「ボクたちのいる世界に、人を玩具にする神様なんていらない」



 本当は、天にノートを渡して協力したかった。

 でも違う。近くにいるあの紅葉秋音を見てしまったせいで――――思い出してしまったことがあった。


 このまま仲良しこよしでいてはだめだ。

 生き残り続けて――――化け物を殺して、そして長期にわたってこの空間に居てはだめだ。



「君は、星空天を早く自分の手元に置きたいからって理由で早々に殺しにかかってたよね?」



 笑ったそれが、答えだった。


 神様なんて理不尽な存在なんだから、あの天が天啓と言う名の目の前にいる神の力を信じ切っていたから、それのせいで死にかかっていたようなもの。

 直感と言う名の危機感は――――アカネ神に対しては働くことは決してないだろう。


 だからこそ、この空間に長く留まる危険性を表す。


 天はここにいたら死ぬ。

 それだけは避けたかった。



「天には生きていてもらわなきゃ困るんだ。彼は黄色の主人公。バッドエンドはボクぐらいで充分だよ」




 ようやく鏡夜たちがこちらに気づく。

 しかし目を見開いてももう遅い。



「私を殺したら、もう止まれないわよ」


「命乞い……じゃないね。助言はもういらないよ。ボクたちは前へ進みたいだけなんだ。ループもリセットも何もかもいらないんだよ」



 振り下ろす剣の勢いはそのままに、無感情のまま彼女を見た。



「神様なんていらない。それは、ボク達の主人公だけでいい」



 陽葵は優しいから、ボクの行動を自分のことのように受け入れることぐらい分かっている。

 いくつか怒るだろう。説教するだろう。そうして全てを背負ってボクを離さないだろう。


 燕は彼女の首を斬り落とす。

 すべての覚悟を持って――――これより先の、最下層を目指すために。




「最大の危機は、最高のチャンスでもあるんだ」



 これはある意味チャンスだった。

 妖精の懐に入り込んだ今だからこそ、やれることがあった。



 紅葉秋音は、鏡夜から目を離そうとしない。

 その背後に向かってボクは構える。




(ああ、思い出してしまうな……)




 最初に見た色は青色。

 その次が赤で、最後が黄色。



 全ては鏡夜に直結する。

 だからこそ、鏡夜の一部が混ざりこんでいる紅葉秋音を殺さないといけない。



 今の彼女は正気ではないだろうから。やらないといけない。

 そうしないと――――神無月鏡夜が奴らの手に渡ってしまったら、おそらく世界は崩壊するだろうから。




「ッ――――紅葉!」




 焦ったような声が校庭に響く。

 手を伸ばして秋音を助けようとする鏡夜に一部の記憶でも戻ったのか否か。



 いやきっと戻ってはいないだろう。

 しかし身体の奥深くでは覚えているのかもしれない。



「邪魔をしないでね、陽葵」



 殺しにかかる燕を止めようとして一歩前へ出た陽葵に笑いかけた。

 その声だけで陽葵は立ち止まる。


 全てを信用してくれている陽葵のためにも、今ここで――――紅葉秋音の中に入り込んでいるであろう半分の狂気を。


 妖精の一部を、殺さなくては。



「っ!」



 不意に、紅葉がこちらを振り返る。

 そうして笑う。にっこりと、殺されかかっているというのにとても楽しそうに。




「―――――アはッ! モう手遅レでスよー」




 響いた声は電子音のような奇妙なものだ。

 人の声とは違うそれが、殺しを望んでいるように見える。



 ああそれなら――――妖精の望むようなことをしてはならない。殺してはならないとそう思うのに。




「アハはハはハハッッ!!!」



 こちらの止まった腕を掴んでみせた紅葉秋音の手が、そのまま自らの首元へ勢い良く引っ張る。

 それは自殺に等しい行為。


 首から血が派手に飛び散っても構わぬと、彼女が叫ぶ。



「これでいイ。神を殺シた血に濡レた剣でなら……あア、冬野白兎ヲ殺さなクテは……」



 倒れる間際の一声。

 紅葉秋音を殺したのは自分だが、それを促したのはきっと紅葉秋音の中に眠っていた妖精の一部分。



「――――ねえ鏡夜、早く謎を解いてください。秋音と一緒に、現実世界の向こう側で待ってますから」



 最後の声だけは、化け物のような奇妙なものではなかった。

 ただ誰か見知らぬ女の人の声に聞こえた。






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