第三話 真白の少女




 夕青のゲームで一番面白いとされるところは一番初めに難易度を決めることが出来ないことだと俺は思う。

 鏡夜の行動と言動、そして誰を選ぶかによって難易度が変化するから思う通りに行かないと一部プレイヤーはアンチに走ってはいたけれど……。


 それでもなお、クソゲーとか言われながらも人気はあったんだ。

 全員に対して切り捨てを選択し難易度ナイトメア状態で遊んでもいいし、白兎を生き残らせることを優先して行動することでクラスメイト同士での対立が楽しめることもある。


 数千のパターン、完全クリアなんて無謀もいい数百以上のバッドエンド。

 プレイヤーによっては主人公『神無月鏡夜』を取り巻く環境が変わるし、遊び方が様々なのも面白い点じゃないだろうかと思う。


 まあホラーゲームだからこそ一日中ずっと夕青なんてやっていたら精神がズタボロにされるのは確実だけど……。


 それに選択肢だけじゃない。

 化け物と対峙する場合はプレイヤーがそれ以前の行動を決めた結果によって変わる。


 わかりやすい例で言うと鬼ごっこやかくれんぼ、陣取り合戦といったものだろうか。



《境界線断絶オーケー! 空間補強開始しまーす! 終了まであと10分です!》



(……ってことは、それまでの間は鬼ごっこ確定ってことか)



 聞こえてきた妖精のアナウンスはゲームシステムで言うところのタイムリミットの事だろう。ここでトラブルが起きてくれるなよと祈った。

 ゲームでは、終わりに近づくにつれて面倒な事態が巻き起こるのが常だった。

 今回は白兎が死ぬか生きるかで左右されるんじゃないかなーとは思うが……どうなることやら……。


 不安な気持ちになりつつも、鏡夜の指示通りに動くことに決め歩き出す。


 ゲーム知識で言うなら俺は『鏡夜が単独で白兎を助けに向かう選択肢』を紅葉秋音がプレイヤーとしてやっているようなものだろうから。



「俺は鏡夜じゃないんだし、あいつからもどうすればいいのか計画立ててもらったし……大丈夫、だよな?」



 この世界の難易度がナイトメア状態だった場合は詰む。チュートリアルであろうとも死ぬときは死ぬ。それだけは何とか回避しなくてはならない。

 事前に鏡夜が言っていた内容を思い出し、仕掛けを作るために動き出した。



『奴らは音に反応する。目が優れているわけじゃない。見ることはできるが、音の方を優先とするようだ。そこで紅葉さんにはある罠を仕掛けてもらう』



 いつの間にやら実験していたらしい鏡夜が導き出した答えを実践するために俺が持っていた携帯を設定し、机の中へ隠す。

 万が一妖精ユウヒの防衛戦が終わり、元の世界に戻った時でも物だけは変わらなかった場合に備えて一年青組の自分の席に置いた。

 


「さて、あとは……」



 あの冬野白兎の声はしないけれど、廊下の奥で騒がしい音が聞こえるから多分そこにいるのだろう。




・・・




 なんでこんなことになったんだろう。

 私はただ、会いたかっただけ。


 あの子に会うためにここまで来た。

 十年前に私を救ってくれたあの子が、境界線へ。

 無意識にだろうけれど、こっち側に近づいて来てくれたから。



「ギィ……ィ……」


「ひっ」



 大きな身体。黒く濁った瞳。

 私の悲鳴に反応して、腕を伸ばしてくる。


 私を壊そうとする異界の者。

 喰うためにだけやってきた獣。私が囚われたら、ああなってしまうかもしれない。


 でも私は、あんな惨めな姿になりたくない。

 もっとこの世界であの子と交わした約束を守っていきたいのに。


 ようやく共に、再会を果たしてあの子だけの大切な■■に、なれるはずだったのに!



「やだ。やだよ……私はまだ、そっち側に行きたくない……っ!」


「ギ……イィ……」



 大きな腕が私の身体を掴もうとする。

 近づいてきたせいで肌が黒く焼け爛れ、闇へ――――。



【ピリリリリリリリリッ!!!!】



 ベルのような大きな音が遠くから鳴り響く。

 それに反応して、化け物の腕が止まり音の鳴る方へ振り返った。


 捕まりたくない。

 あの子に会って、約束を果たすまではまだ生きていたい。

 ああ、まだ大丈夫。私はまだ手遅れじゃない。


 化け物が音に引き寄せられているみたいに私から離れていく。

 部屋から廊下へ。その奥へ。


 立ち上がることが出来ず、何とか頑張って這いずりながらも後方へ下がるが、まだ安心できる距離じゃない。


 不意に、誰かが私の腕を引っ張った。



「っ……!」


「しっ、静かに。……大丈夫、私は鏡夜の願いを聞き入れるためにあなたを助けに来たの」


「えっ」



 誰だろう。知らない子だ。

 なんで私が見えるんだろう。


 この世界が、境界線があやふやだからだろうか?



「あの化け物たちは音に敏感だからなるべく騒がないでね。……大丈夫、絶対にあなたを殺させはしないから」



 茶色い髪の毛を束ねてポニーテールにした女の子が、私に向けて優しく笑いかけてきた。

 それが何故か、あの子に似ていた。それはとても、……。



 ――――鏡夜君みたいに優しく笑う可愛い顔が、とても眩しく見えたんだ。



・・・




 本来ならば鬼ごっことなるはずの冬野白兎救出ルート。

 外に出た時点で確定死亡するのがゲームだったが、今いる現実のこの世界ではそうなることはない。


 音に敏感だと言った鏡夜の言葉通り、そして何をしたらいいのかの知恵を借りて実行した罠はうまくいった。



(携帯に目覚まし設定しておけば時間内に白兎に近づけるし、アラーム音に反応した化け物が遠ざかるから安心とか……)



 本当に鏡夜が居なかったらどうなっていたかと恐ろしく思う。

 俺だったら最悪自分自身が囮にでもなって白兎を生かそうとか考えていたから……。



「あの、助けてくれてありがとうございます」


「別に当然のことだよ。気にしないで」


「そんなことない……ですよ。貴方が居なかったら私……」

 


 うつむいた顔と、多少黒ずんでいるような右手の状態にひくりと口元が引き攣った。



 あっぶねえええええええ。

 死ぬ一歩手前の状態じゃねえか!


 腕ぐらいならまだマシ……だろうか。

 一度染まりきったら二度と白には戻らないし、あっという間に闇堕ちする子だ。

 あの化け物たちに近づけさせないようにしないといけない。



「……腕なんだけど、大丈夫?」


「は、はい。ちょっと休んだら綺麗になります。大丈夫です」



 笑った顔がとても可愛らしく小さな兎のよう。

 ああ、この子は絶対に守ってみせよう。


 そうすれば、最悪の状況だけは避けられるのだから。


 そう思いながらも体育館へ向けて歩き出す。

 救出したら鏡夜のもとへ向かう。そう指示を貰っていたからだ。


 白兎はダメージを受けていたから歩くのに少しばかりふらふらとしていたが、しばらくすると体調がよくなったのかしっかりとした足取りで動くようになった。

 歩きながらも、白兎は何か決心したかのように俺に向かって口を開いた。



「……あの、私はフユノ……冬野白兎といいます。貴方の名前を聞いてもいい、でしょうか?」


「ああうん。私は紅葉秋音」


「もみじ……秋音ちゃん。はい、ありがとうございます。秋音ちゃん」


「う、うん」



 ――――どういう意味で、私にお礼を言ったのだろうか。


 助けてあげたから?

 怪物たちから身を守ると言ったから?


 鏡夜の代わりだけれど、あの人が白兎を助けようとしてくれたと分かったから?


 藪をつついて蛇を出したくはない。

 この子を守るのは当然のことだけれど、無防備なまま一緒に居るつもりはない。


 夕青に油断も隙もない。気を付けねば……。



「……白兎って呼んでもいい?」


「はい」


「白兎はなんで、あの場所にいたの?」



 この子の力があれば、体育館内に出現することも可能だったはず。


 だというのに外にいた。

 だからあの化け物たちに追われる羽目になった。

 そこだけが気がかりだったのだ。


 白兎は真っ白の髪の毛を揺らしながらも視線をあちこちに向けて、頬をリンゴのように真っ赤に染めて口を開く。



「あの……わたし、鏡夜君に会うのに緊張していたんです」


「うん」


「鏡夜君に会いたくて、でも他の人間もいっぱいいて、緊張しちゃって……」



 人間が怖い。人の感情が怖い。

 何故助けてくれたんだろうって、今も俺を恐怖しているのがわかる。


 そういう恐怖があるからこそ、この子は守りにくいキャラクターだったということを覚えている。



「……ねえ、私は怖い?」


「ちょっとだけ。……でも、鏡夜君みたいに笑うから、鏡夜君みたいだから。怖くはないですよ」


「えぁ……そ、そう?」


「はい」



 うふふふふ。それってどういう意味なのかなー?


 庇護するべき存在として?

 それともバッドエンドの一つとして?



 聞くことはできないが、次に向けて先手は打っておいた方がいいか。



「あのね白兎ちゃん。鏡夜なら君のことを怖がったりはしないし、君を守るのは当然だって考えるはずだよ」



 じゃないと俺たち全員死にます。



「他の生徒が、他の人間が怖いなら私も守るよ。またこの曖昧な境界線の世界に来たときに、安心して私たちの前に出ておいで? そうじゃないとまたあの化け物に追いかけられるかもしれないからね」


「……そう、ですね。もう私は、あんな思いしたくない」


「ん、いい子」



 逃げられるかもしれないが、なんとなく頭に向かって手を伸ばす。


 しかし白兎は逃げなかった。

 頭を撫でると、ふわっとした猫っ毛の感触が味わえた。


 白兎はとても気持ちよさそうに目を細めて、俺に向かって嬉しそうに笑いかけてくれた。

 なんか懐かれたな。でも後半の白兎は他の生徒にもそんな態度になるし、まあいいか。



 ……うん、アレがなかったら根はいい子なんだけれどなぁ。人外だけど。




「ッ――――静かに」




 不意に何かの音が響いた。


 俺たちがいるのは校舎の中。廊下の角に位置する場所。

 右と左、どちらの方向から聞こえてくるのか見定めようとして――――キリキリキリと、音がした。



「えっ」



 左奥の廊下の空間が、まるでガラスが砕けるように裂けた。

 裂けた中は真っ黒で――――空洞だった。


 否、空洞だと思うように錯覚したのだ。

 普通の生徒だったら何もないと思うだろう。俺だから理解できた。


 もしかしたら俺の真横で震えている白兎も分かったのかもしれない。



 ――――空洞のずっと奥に、何かの視線を感じた。


 俺たちを見つめている赤黒い大きな目だった。



(あれって……)



 夕青シリーズ、二年青組の第一話に出てきた異物。

 夕黄主人公の住んでいる寺生まれの転入生によって発生してしまった化け物。


 空間より外へ出ることは不可能だが、俺たちにとってラスボス並に厄介なものだったはずだ。



 それが、



「っ―――――走ろう白兎!」



「えっ、あ……うん!」



 あああやばいやばいやばい。

 そうだ。何故忘れていたんだ。


 空間を裂くあの音は、化け物が出現する合図! 

 あの化け物が涙を流したのも当然だ。


 だってそれが、化け物がこの境界線へ出てくるための条件の一つなのだから!




「ギィィアアアアアアアアアッッ!!!!!!!!!」




 人の叫び声かと思えるような音が校舎内に響く。

 轟音のように、後ろから何かが迫るのがわかる。


 後ろをチラリと見れば、そこにいたのはあの手の細長い怪物。新しく出現したチュートリアルの怪物!



 このままではまずい。

 俺はともかく、白兎が死ぬのがまずい!



「っ……白兎ちゃん! 俺が囮になるから、君は体育館の近くまで逃げてくれ!」


「そ、そんなことできません! だって私は……」



 人が嫌いなのに、躊躇する優しい心の持ち主。

 でももう、迷っている時間はない。


 俺はただ、大きな声で叫んだ。



「君がどういう生き物なのか俺は知っている!」


「ふぇっ!?」



 呆然としたような声。

 隠していたはずなのに、何で知っているんだろうというようなもの。


 警戒される前にと、俺は叫んだ。



「俺は鏡夜の道具だ! あいつのために動く人形だ! 俺は他の人とは違う! 君が怖がる人間とは少しだけ違う! だから大丈夫! 俺は君を否定しない!」


「そ、それは……」



 足がもつれても、言わなきゃいけない言葉があった。


 鏡夜の選択肢の一つ。

 白兎の正体を知った生徒たちによって否定され、闇堕ちしそうになった彼女を引き留めたあのセリフがよぎる。



「俺の命がどうなろうとも、君を守らないといけないって思っている! だから白兎、生きてくれ!」


「っ―――――」



 息を呑むような音がする。

 立ち止まりそうになる白兎を手で引っ張って、どこかの教室へ押し込もうとして視線を向けた。



 その先に、人影があった。



「はっ?」



 不意に身体が持ち上がる。

 化け物に捕まった感覚ではない。


 大きな手の平。がっしりとした体格の男が、俺たちを軽々と持ち上げて走り出す。

 普通なら女子高生二人を持ち上げ怪物から逃げるだなんて無理難題できるわけがない。

 ただ、この男だけは別だ。



「な、んで……」



 何で桜坂春臣がここにいるんだ!?




「神無月に感謝しとけ。オラ静かにしとけよ。あと少しだ!」




 白兎が春臣を警戒して、俺の手をギュッと握りしめる。

 普通だったら白兎は逃げ出すような場面だ。


 俺がいるから……じゃなく、鏡夜の意志を持って助けに来た俺がいるから、我慢しているのだろう。



 机やロッカーを障害物のように利用して逃げていく春臣。

 しかし怪物の移動速度は速く、音を出し光の中ではっきりと見えている俺たちの姿を見逃そうとしない。



「おらああああああああっっ!」



 彼が大きく一歩を踏み出した刹那。


 怪物の手が春臣の背に伸びようとした――――瞬間、だった。





《空間補強完了! 境界線切除しまーす! 皆さん、お疲れ様でしたー!》




 妖精の声がはっきりと聞こえて、世界が眩しい光に包まれた。




「私を受け入れてくれてありがとう、秋音ちゃん」




 視界が白に染まる前に、白兎の泣きそうな声が伝わった。




(あれ、今のって白兎ルートの時に言われた台詞じゃね? あれ?)




 なんで鏡夜に言うはずの台詞を俺に向かって言ってるの?


 もしかして鏡夜の台詞を言ったから?

 いやでも……ああもういい。後で考えよう。鏡夜に今回の出来事を話して、どういうことか考えてもらおう。



 そう思いながらも安堵する。

 チュートリアルが完璧に終わったということに。



 瞬きをした先に待っていたのは―――――妖精が境界線の世界へ飛ばす以前の光景。


 何も変わらない荒れてはいない体育館内。

 ただただ、騒然としている新入生で溢れた入学式だった。

 




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