第6話 オカリナ2
彼女が来ない日は遅起きだ。
眼痛と頭痛にうんざりしながら、苦いコーヒーを啜る。
日を跨いでも気持ちは変わらなかった。
今日は有言実行の第一歩を踏み出そうと思っている。
通帳らしきものは貴重品箱にあり直ぐに見つかったものの、印鑑が見つからない。
目を皿にして円柱の棒を手探りする。
これか?と思いきや、くるくる回ってツンとした匂い、メンソレータムであった。
配達が来た時に使ったのかもしれないと、玄関に向かった。
円柱、円柱。
あった!
このガタガタは『真田』と名前が彫られているに違いない。
私は鉛のように重くなった体にムチを打ち、魔法の絨毯に乗って、郵便局へ向かった。
彼女が女王様ならばムチでもロウソクでも大歓迎だ。
毎月送られてくる通常貯金点字通知書によれば貯金残高は800万円近くある。母の遺産のおかげだ。
1級に値する障害年金と障害者手当て、それから遺族年金と持ちマンションのおかげで生活は成り立っているが、貯金がつきれば生活保護になる。
遅かれ早かれ生活保護になるのなら、この貯金、生活費でちびちび無くなっていくより、有意義にぱっと使いたい。
いつもより時間がかかったが無事に着き、お尻が痛くなるまで待たされた後、受付で600万を引き出す手続きをした。200万は引き落とし用にとっておいた。
私は大金をリュックに入れてもらい、背中に背負わず、腹に背負い、妊婦のようになった。たまに吐き気があるから丁度いいだろう。
職員が付き添いを申し出てくれたが、丁重にお断りし、右手に白杖、左手は大きくなった腹(リュック)に手を当て、帰る事に集中した。
家に着くと、すぐにリュックを下ろしベッドへ向かい、仰向けで大の字になった。
ついにこの日が来た。
そう、私は昼と夜の違いもわからない完全なる盲目者になってしまったのだ。
慣れない暗闇に戸惑うが、絶望に浸る暇もなく、強烈な頭痛が私を黙らせた。
しばらくの間痛みに耐えると、生理現象が顔を出した。
おしっこだ。
大人になって漏らすにはまだ早い。
ゆっくり体を起こし、トイレに行き、スッキリさせると、のっぴきならない事態が起こった。
何かに躓いたわけではない、くらっときて頭が真っ白になり一瞬で床に叩きつけられたのだ。
反射的に近くにあった白杖を掴み、頭上50センチの位置に腕を伸ばした。盲目者のSOSサインだ。
しかし、ここは家の中。
こんな時に駆け寄って来てくれる人はおらず、虚しい静寂が私を包み込んだ。
黄昏の時間だろうか。
西日が私の瞼をじんわり温めた。
立ち上がるのは面倒くさい。というか、無理だ。
トイレ も済ませたし、しばらくこの体勢のままゆっくりしようじゃないか。
こんな時は慌てない、慌てない……。
しばらく寝ていたのだろうか?意識が戻って、音声腕時計が夜中の3時を知らせてくれた。
頭がぼーっとする。身体を動かそうとすると、腰の辺りから腿の付け根にかけて痛みがある。手を伸ばした先にソファーを確認。匍匐前進で少し近づくと痛みに耐えながら少しずつ上体を起こし上げ、ソファーを背もたれにし、座り込んだ。
少し落ち着くと、また瞼が重くなった。
目覚ましが鳴り響き、一瞬にして目が覚めた。
私は何とか立ち上がり、目の届くところに置いていた録音機を手に取ると、ソファーに座った。
直感的に何かを感じとっていた私は、まなじりを決した固い形相で口を開いた。
「私、真田さとるは全財産を沖田さなえさんに譲る事を決めました。貯金600万とマンションはさなえさんのものです。私の遺言が尊重される事を切に願います」
不思議とすっきりした気分。
やれることはやった達成感なのか、断捨離のように所有物を無くした快感か。
稚拙な行動かもしれないが、彼女が幸せになってくれれば、それでいい……。
数時間すれば彼女がやって来る。
待ち遠しい反面、何か胸騒ぎがして心がちっとも落ちつかない……。
オカリナの出番のようだ。
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