第2話 欲
佐久間氏に今日の出来事を電話で伝えると夕飯を食べようということになった。
約束時間まで少し横になっていると、気疲れだろうか、爆睡してしまった。
ふと目が覚めた時には、約束の5分前。
寝起きでしばらくボーっとしているとチャイムが鳴り、開錠し、玄関先へ向かった。ふらついて転びかけそうになったが、なんとか持ちこたえることが出来た。
「おう」
「寝てたのか?」
「わかる?」
「髪ぼさぼさだし、目がうつろだぞ」
「それはいつもの事だろ?」
「そっか」
ハネてるであろう髪を手で押さえ直した。
「部屋、随分綺麗になったな~」
「そうか?」
「あぁ、綺麗になってるよ。細かい所とかさ。埃とかなくなってる」
何故か照れ臭くなった。
「あ、サイン貰っておいた」
「おう。で、今日はどうだった?」
「ん?何が?」
「何って、今日一日、彼女と過ごしてみてさ」
「あぁ、良かったよ」
まるで彼女が本当の彼女のような言い回しみたいで小っ恥ずかしくなった。
「なんかあったら、連絡よこせよ。別にないとは思うけど」
「ありがとう」
「適当におでん買ってきたからよ、食べようぜ」
「悪いねえ~」
「コンビニのだけどな」
「コンビニ以外のおでんってあんま食ったことないわ。あんまっていうか、コンビニのおでんしかないわ」
「今日30円引きだったんだよね」
「そりゃ、得した気分だな」
「10個買ったから、300円お得」
「おっ」
「で、その浮いたお金で~」
佐久間氏はレジ袋から350mlの酎ハイ、ストロングを2缶、取り出した。
「乾杯しようぜ、これからの快適な生活に♪」
プッシュという音の後に、ゴクゴクという音が耳に入った。
まだ乾杯してないではないか。
またプッシュという音が聞こえると、冷たい缶を手に持たされた。
寝起きに冷えたアルコールは本当に目が覚める。
酔った佐久間氏はそのまま眠りについてしまい早朝急いで仕事へ向かった。
彼女は、いや、紛らわしくなる、沖田さなえさんは週に3日、月水金、2時間程家にやって来る。
この程好いペースが私の生活に張りと喜びを持たせてくれた。
毎日ではきっとストレスになってしまう。
ここだけの話だが、僕は疑似恋愛を楽しんでいる。
彼女が家に来て三回目の時、緊張がほぐれたのか、普通の会話をしてきてくれた。
「真田さん、もし目が治ったら、何がしたいですか?」
考えたこともなかった。
日に日に悪くなる一方なのに、治るだなんて発想がまずなかった。明日、いや、5時間後、30分後に突然視界が無くなることもあり得るのだ。私は常にその恐怖と共に生きている。
朝起きて、日の光を感じてホッとしている。
一寸先は闇なのだ。
治る。
見える。
ほう。
ほうほう。
少しずつイメージが湧いてきたぞ。
「ドライブに行きたいな」
自然と出てきた言葉に自分自身が驚いた。
「ドライブですか~。いいですね~」
彼女の満面の笑みが想像できるような、そんな感情のこもった声であった。
「どこ行きたいですか?」
「やっぱり海を見に行きたいな」
「いいですね~」
またもや驚いた。自分が海を見たいなんて。
人と話すとこんなにも自分の知らない自分を知れるのか。
さなえさんはド素人の新米ヘルパーだから、目の病気の事など全くわからない。
だから普通では聞かないような質問をしてきてくれるのだ。遠慮の塊、気を使った質問ではなく、本当に興味心から出た質問だ。それが私にとっては新鮮で心地よく、有り難い。
「免許はいつとったんですか?」
「免許もってないんですよ、恥ずかしながら」
「あっ、そうなんですね」
気まずそうな彼女の焦りを感じて私は少し興奮をした。人と交流をしている実感が物凄くしたからだ。
「私、免許もってるんで、いつか海行きます?」
海に私が?想像もしていなかった事だった。
「車はないので、レンタルカーでですけど」
彼女は恥ずかしさを笑ってごまかしながらそう言った。
私にとっては免許を持っているだけでも尊敬に値するというのに、何をレンタカーごときで恥ずかしがっているのだ?
「高級車を借りて海へ行きましょう」
どうせならいい車で行きたいと思った。オープンカーなんてのも悪くない。見えない分、いろんな角度で感覚で味わいたい。
「高級車なんて運転したことないですよ!怖いです」
「フェラーリのオープンカーなんてどうかな?」
「無理です!」
「面接した時にいた人覚えてます?」
「佐久間さん?」
「そうそう、もしかしたら車貸してもらえるかもしれない」
「フェラーリなんですか?」
「フェラーリかどうかはわからないけど」
「普通の車がいいです。怖くて運転できないです」
「佐久間氏に今度頼んでおきます」
「はい、じゃあみんなで行きましょ。それで美味しいお魚食べて」
僕は小首をかしげた。
彼女は楽しそうに話していたが、3人で行く事には反対だ。
佐久間氏に車を借りるのは取り消し。それでは計算が狂う。
私は結構したたかな奴なんだなと感じたが、したたかで何が悪い?とすぐさま自分を肯定した。
その後も彼女は話続けた。
「気分転換に旅行はしたくないですか?北海道とか沖縄とか!」
飛行機で行くような遠い旅行を勧めてきた。
「飛行機は・・・・・・」
「怖いんだ~」と私をおちょくってきた。
この時、完全に沖田さんは私に心を許していると確信できて嬉しかった。私も同じ気持ちである事を表したくて、敬語を辞めた。
「怖いのもあるけどね、目が持たないんだよ、眼圧が上がって爆発しちゃうんだよ」
と彼女を怖がらせながら、笑って見せた。
彼女はいけないことを言ってしまったと一瞬無になったが、すぐにひらめいたような顔をして、
「じゃあ、青春18切符で行こう!」
彼女なりに新幹線での眼圧の恐れも察したのだろう。
「それじゃあ、いつ着くかわからないでしょ~」
「そうですね~」
私たちは話の終着点が見つかった気がして、ホッとして、そして笑った。
きっと、いや、青春には間違いない。
ただ、快適に早く到着したいという、欲張りな気持ちが大人にはある。
いつ失われてもおかしくない視力だ、できるだけ美しいものをかすかでも長く見ていたい。時間がないと焦る気持ちは彼女の存在のお陰で押さえられている。しかし、皮肉にも彼女と一緒にいる時間はあっという間に過ぎ去ってしまうのだ。
今日も2時間が経ち、彼女は笑顔で帰っていった。
私の欲は徐々に顔を出してきている。
2時間じゃ短い!
今日は彼女がこない日である。いつもより遅く起き、だらしない格好に遠い目で苦いコーヒーを啜る。
当たり前だった一人の生活、今ではすっかり人が恋しい。
彼女が恋しい。
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